引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

異なる世界観が交差したのかもしれない

おはようございます。
前回更新が1ヶ月以上前とか…まじか…
もうちょっと更新頻度を上げたいところ(毎回言ってる気もするが)。

今日はネットで話題になっている「叶姉妹コミケ参戦」で気付いたことを。
引き寄せとは一見関係なさそうだが、実は面白い事例なのではないかと感じている。
お正月の暇な時間にでも読んでほしい。

叶姉妹コミケに参戦する

ツイッターなどでこの話は話題になっていた。
ずいぶん前に美香さんがジョジョ好きで恭子さんに布教しているという話を聞いたことがあったが、正直コミケ参戦までとは思っていなかった。

この方達のスタイルがキャラなのか地なのかは私にはわからない。
が1つ言えるのは、「参戦を表明した時から随分と丁重に扱われていた」ということである。
コミケ参戦に当たり、色々アドバイスを受けていたようである(それを素直に受け取る叶姉妹も素晴らしいと思った)。
叶姉妹コミケに降臨*1した時は、戦場であるコミケ会場で十戒のように人が割れ、叶姉妹のために道ができたという。
コミケで想像しにくければ、花火大会やお祭りなどを想像していただくといいかもしれない。
会場の広さが違うとはいえ、あの状況が10万人以上の規模で繰り広げられているのがコミケである。
その状況で人が割れ、芸能人なのに好奇の視点からの写真も撮られず(0ではないだろうが)、周りの人に拝まれるというのだからすごいとしか言いようがない。

叶姉妹にとってはそれが「当たり前」

さて、ここから引き寄せの話に入ろう。
コミケ参加経験者からすれば前代未聞の事態だったのだが、叶姉妹はそれをなんの抵抗もなく受け取った。
それは彼女たちにとってそう扱われるのが「当たり前」だからである。
全く異質の世界でも、自分たちのフィールドに変えてしまう。
彼女たちはどこに行ってその場をファビュラスに変える力を持っているのだろう。
なぜなら彼女たちにとってそれが「自然」だからである。

さて、この話を自分に置き換えたらどうなるだろう。
自分はどういう世界で生きるのが「当たり前」になっているだろうか。
「寂しい」「貧乏」のような「不幸な世界」で生きてはいないか。
「でも実際に現実がそうだから仕方がない」そうやって居直って諦める人もいる。
だがこのブログを読んでいる人はそうではないはずだ。幸せになる方法を模索しているからこそ、ここにたどり着いたのだから。
現実に流されず、現実を自分の望むように変える方に意識を向けることは可能なはずである。

望む世界の住人になろう

ここで出てくるのがいつもの「今、この瞬間に幸福感を味わう」方法である。
望む世界で生きる、それはつまり「幸せを当たり前にする」ということ。

例えば、スイッチを入れれば電気がつく。これは私たちにとって「当たり前」である。
だが本当は当たり前でもなんでもなくて、1つでも仕組が崩れればつかなくなってしまう。
その「当たり前」は色々なものに支えられた上で「当たり前」となっているのだ。

こういう書き方をすると「裏で苦労している人がいるんだから感謝しなさい!」みたいな論法になりがちだが、ここで伝えたいのは真逆。
「当たり前に電気をつけよう」、つまり「当たり前のものとして結果だけを享受しよう(ただし傲慢にはならないように)」ということだ。

仕組や過程は気にしなくていい。
欲しいものはただありがとうと言って受け取る、自分が望まなければ受け取らない。
あなたの見ている世界はあなたのために回っているのだから、気にしなくていいのである。

世間はこういう在り方を否定しがちだ。
それは「自分はしたくてもできないのに」という妬む人や、「常識」や「倫理観」という名の支配力*2が無効化されることを嫌う人がいるからだろう。
これは自身の体験だが、自分の思うままに振る舞うようになってからの方が自分の存在感は増したし、周囲に大切にされるようになった。
努力して自分の何かを変えたわけではない。ただ自分を抑えることを極力やめただけだ。
楽で楽しくて、さらに周りにも評価してもらえる。我慢していた時間は本当にもったいなかったなあと感じている。

さて、今年も今日で最後。
来年を、そしてこれからの人生をどうしたいか、考えるのには丁度良い機会である。
幸せになる決意、してみてはどうだろう。

それではよいお年を!

*1:という表現が自然と出てきてしまう。すごい。

*2:最低限の倫理観はルールとして必要だと思うが、過度になれば人を不幸にする

自分が「真に」願うことは何か 追記

後編の中身がタイトルから逸れてしまったので追記。
以下の2記事の続きです。

その願いの奥にある「真の願い」

上記「後編」の中で「条件が揃ったという仮定でもこれだけしか叶えたいことがない」と書いた。
これはちょっと誤解を招く書き方だなあと反省したのだが、物欲、1回の達成で満足できることは省いている。
今はこの手の願望も書き出した方がいいような気がしていて、思いつくままにひたすらリストアップしている状況である。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

この仮定は、そういう願いと「真の願い」を区別するためのものである。

今現在欲しいものがある。行きたいところがある。それはごく自然なことだ。
そういった「欲」を抑えることが美徳(清貧思想とか)みたいな風潮があるが、欲があるからこそ人生は楽しいのである。抑える必要はない。
だが、この手の欲は達成を永続させること(常にその状態を維持すること)はできない。
「ものを得る」感動というのは基本的に1回きりの体験だし、「どこかに行く」というのも繰り返しで満足度は下がる*1

その奥に自分が真に望んでいることがある。
自分に質問することでそれを見えやすくすることはできるが、基本的にはひたすら叶え続けるしかない。
叶え続けて叶うことが当たり前になり、安心し満足する。と同時に物足りなさも感じる。
例えるなら、平日は「時間が欲しい、週休2日じゃ足りない」と思っているのに、いざ長期連休になるとそれほどやりたいことが浮かばない、といったところであろうか。

大切なのは「達成」ではなく、「達成し続ける=その状態である」こと、満足感を永続させることだ。
それを実現してくれるのが「真の願い」と私が呼んでいるものである。

叶えることを選択しよう

叶えられる願いははすぐに叶える。まずはこれだ。
この観点で考えると、ライトな物欲や食欲なんかはふさわしいのではないかと思う。
「節制が大事」と思うかもしれないが、その節制の先に自分の幸せはあるだろうか。
とはいえ、どうしても抑えなければならない場合もあるだろう。そういう時は、妥協ではなく「自らそれを選択した」と思うようにすれば良いかと思う。

「仕方ない(お金がない・時間がない・能力がない)からこうした」という他責はダメだ。
そうやって「幸不幸を他者に決めさせる」ことを自分が選ぶことは、自ら「思い通りにいかない人生を選択している」ことに他ならない。

また、労の多いことを厭うのもやめた方がよいのではないかと思う。
理想の人生として「不労所得を得て何もしないで暮らす」なんてイメージがあげられることがあるが、この状態で一生を送ることは不幸の極みである。
(先ほどの仮定なんかはまさにこれ。)
これは「生命の保証はするが、それ以外に何も与えない」と言われているのと同義だ。
朝起きてご飯を食べて、その後はどうするだろう。
本を読む?ゲームをする?全てが簡単に与えられてしまっても、その興味は続くだろうか。
不足というのは、思いの外生きる意欲に寄与していたりする。だから不足も否定しないことだ。

結局「幸福」というのは、「自分がしたいことを自ら動いて叶えること」なのではないかと思う。
だからどんどん叶えることを選ぼう。
それがどんなに些細なことでも、常識はずれなことでも(違法なことはダメだが)、手間がかかっても、自分が楽しい、嬉しいと思う方に行こう。
不足感はどちらに進めばいいかを教えてくれるシグナルである。
叶えることを選び続ければ、いつしか景色は変わっているのではないだろうか。

*1:そもそも「行く」と言う表現自体が「常時そこに滞在する」という意味を内包していない時点でわかるはずだ。

自分が「真に」願うことは何か 後編

前編はこちら

久々に本を買った。
書いてあったことを元に、自分なりに作業をしている。

あなたなら何をする?

お題はこれ。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

要は、「本当になんのしがらみもなく自由に振る舞えたら、一体何をする?」と言うことである。

私は15項目ほどあげた。
…全ての条件が揃っても15項目くらいしかやりたいことがないのである、私の人生には*1
しかも、その大半は「今すぐに」叶えられるものばかり。
いくつか例をあげようと思う。

インテリアの整備

昔から部屋の模様替えやDIYなんかが好きだ。
だが予算や時間の都合もあって、なかなか思うようにいかないのが実情。
我慢することを選び、必要なものすら揃えていなかった*2

今日、その状況を打開するべく行動した。
必要なものは買い揃え、部屋を整理整頓。
まだ満足いく出来ではないが、不都合はかなり改善されたかと思う。

そう、「お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。」なんて条件がなくても、今すぐに叶えられるのである。
(お金があったところで同様にお金も時間もかかるのだから、実質的には変わりはない。)
ただ「叶えない」ことを選択していただけだ。

サッカーをする

私はスポーツをすること、特にサッカーが好きである。
好きな割に経験はほとんどないのでうまくはないのだが、いつかやりたいなーとは思っていた。
実際やっていた時期もあったが、人間関係がちょっと難ありで(恋愛のダシにされたりとか色々面倒だった)続かなかったのである。

サッカーはプレイするのにそこそこ人数がいる。しかも私は初心者で足を引っ張ることがわかっている。
誘ってでももらわない限り、ハードルは高い。
…というのも、完全に私の思い込みだった。
今の時代、やり方なんていくらでもあるのである。
やることを自分が「決められる」かどうか、ただそれだけだ。

この2つ以外にも色々と思っていたことを実現させた(〜が食べたいとかそんなレベルだが)。
そのおかげか、今は全く不足感がない。
ただ純粋に「〜がしたい、欲しい」と思うだけである。
この感じだと叶うのは早そうだ。

幸せを選ぶことは案外難しい

私は幸せになりたい。
みんながそう思っているはずなのに、逆の方に進んでしまうのはなぜだろう。
案外「幸せが怖い」のかもしれない。

「幸せ」でいると、どんどん状況が変化していく。
それは人間の願望がとどまることを知らないからである。
願望の変化に合わせて色々動くことになり、現状維持はままならない。
「自分が我慢すればいい」の方が楽な場合もあるのだ。

「叶える」ことを決めてから、私の現実は短期間で変わった。
今の状況で叶えられる範囲で結構。皆さんも積極的に「叶えること」を許可して欲しいと思う。

ちょっとタイトルと内容がずれたので、また後日別記事で書く。

続き↓

*1:あまり時間をかけて考えていないので、まだ増えることは十分あり得るが

*2:「その選択は引き寄せ的にはよくない」と分かっていても、つい目の前の損得を考えちゃう業の深さ。

自分が「真に」願うことは何か 前編

昨日こんな本を買った。

前作も買っていて、何気にヘビロテの本となっている。
マンガは読みやすくていいなあ。

真の願いは何?

この本に影響されて、朝からちまちまと書き物をしている。
良かったらみなさんもやって見てほしい。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

よくあるお題。私も取り組むのは初めてではない。
だが自分のことを知るにはちょうどいいのである。
時間を作って是非。

マンガでわかる「お金引き寄せ」の法則

マンガでわかる「お金引き寄せ」の法則

続き↓

【願望実現報告】「叶っていること」に気付くと、実現速度が加速する。

この記事のように意識的に叶えることもあるが、「気付けばあの頃の願いが叶っている」なんてこともしょっちゅうである。
叶っていることに気付くと、「叶うこと」に対して確信が持てるようになる*1
今日はそんな事例をあげたい。

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「この人と車でどこかにいきたい」

この記事で書いた「仲良くなりたい人」と、想像したレベルを超えて仲良くなっている。
SNSでやりとりしたり、プライベートなレベルで助けてもらったり。
調子に乗って、「この人と2人で車でどこかに行きたいなー」と軽く思ったのは2ヶ月ほど前だろうか。
先日、それが不意に叶えられてしまった。
…もっとも、仕事上の都合でそうなったというだけの話なのだが、そういう事態になること自体がレアケース。
この仕事の話を聞いた瞬間、「あ、あの時こう思ったのが叶ったんだ!」と久しぶりに衝撃を受けた。

叶うまでに何をしたか

もうお分かりかと思うが、結論から言うと何もしていない。
イメージングも、アファーメーションも、何も。
更に言えば、「願うこと」すらそこまで真剣にはやっていないのだ。
「一緒に車に乗ってどこかに行きたいな」とか「2人だけでしゃべりたいな」とか軽くイメージした程度である。
それが気付けば叶ってしまっているのだから面白い。

叶うから願いが浮かぶ

少々乱暴な言い方かもしれないが、この状況「すべての選択がこの結果につながっていた」とも言える。
恐らく、私が何をどう選んでも(叶う速さの違いはあれど)叶っていたのだと思う。
それは、願いというのがそもそも「叶って当たり前」のものだからである。

もし「願い事リスト」などを作っていたら、昔のものを見てほしい*2
忘れていた願いがきちんと叶っているのがわかるはずである。
そして、その叶っていることに対して、自分が何をしたかを考えて欲しい。
恐らく何も出てこないのではないだろうか。

願ったことを忘れている→特別そのために行動したわけではない→何故か叶う(しかも高確率)

こんな風になっているのが引き寄せの面白いところである。

願いを叶えることにブレーキをかけないことが肝要

以前にこんな記事を書いた。

結局は「叶えることにブレーキをかけない」ということが1番大事なのではないかと思う。
ブレーキをかけないようにするにはいい気分でいることが必要だ。

感情はサインでありエネルギーである。
数値化できないし、原理を説明できる訳でもないが、私の中では揺るがない前提条件となっている。

ポジティブな感情を抱く出来事は、あなたにとって正しい出来事である。
それが社会の常識と合わなくても構わない。あなたの人生においてはそれを選ぶことが正しいのだと思う。
(もちろん他者に迷惑をかけるようなことはやってはいけない。さらに、それがすぐに実生活の糧とならないこともある。一時的に生きることを優先させる必要も出てくるかもしれない。)
悲しい、辛い、苦しいなどのネガティブな感情は、現状を変化させたいというサインの役目もしてくれる。
私の場合、大きくステップアップする前には妙に不安な時期が続く。些細なことでも、理性が過剰に警戒態勢を取って落ち着かない。
だがこれは決して悪ではないから、無くそうなどと思わないこと。のめり込まないように意識をしておけば良いのである。

願い事リストを作ろう

願い事リスト、叶う確率を上げるだけではなく、後で見返して色々楽しいのでおすすめである。
恋愛系の願いが割と黒歴史になっていて恥ずかしい(笑)
そういう意味では、あまり個人名を入れて書かない方がいいのかもしれない。

*1:だからこそ自分にとってささやかな願いでもたくさん叶えることをおすすめしたいのだ

*2:作っていない人は定期的に作ることをおすすめする。100くらい挙げておくと色々面白い。

【思考ログ】自分をもてなそう

本日更新記事はこちら。

mentalworld.hatenablog.jp

この記事を書いてから色々思いついた。
まとまってないので箇条書き。
何かの参考になれば。

自分をもてなす

自分=大切な存在 と扱う
大切な人にこの食事を提供するか?我慢をさせたままにするか?
なるべく快適で満足してもらえることを目指すはず

だからこそ掃除や食事は大事。
着るものも高いものである必要はないが、自分が好きなデザインで快適なものを。
安いもので間に合わせるのはダメ。機能的には埋められても、満足感はない

自分が大切な存在だと気付き、そのように扱えば、幸せ以外には存在しなくなる。
自分の幸不幸は自分をどう扱うかで決まる。

絶対に叶えなければいけない願いはない

欲しいのは願いを叶えた先にある感情
その願いでなければいけないということはない

お金を使うのを躊躇ってしまうときに考えること

お金を使う=マイナス という考え方になっている。
それを変えるのは難しいかもしれないが、「自分はその金額を費やす価値のない存在か?」ということを再考することはできる

楽をするのは悪くない

自分が満足するということが基準
楽をした結果自分が満足できるならOK
毎日掃除を「すべき」だからするのではなく、自分が「きれいなところに住みたいから」する

【願望実現報告】欲しかったミトラのマグをGET!許可することが大事

もう数週間前の話だが、ずっと欲しかったミトラのマグカップを手にいれた。
「叶えることリスト」にも書いておいた願いである。

「誰かから偶然もらった」とか、そういうドラマチックな話は残念ながらない。
単に私が自分で購入しただけだ。

だが、その「自分で購入すること」すら、数多の選択肢から選ばなければたどり着けない現実である。

選択すること

日常は選択の連続である。
どの服を着る、何を食べる、どこに行く。
そういった思考だけの話ではなく、日常動作も基本は選択で構成されている。
例えばキーボードのタイピング。
この文章を打つためにはどのキーをどの順番で、どの指で、どのくらいの力で押せばいいのか。
作業になれればほぼ無意識的にできるので選択している感じはなくなるが、私たちの脳はこういうことを一瞬で判断して動作を行なっている*1

脱線しそうなので話を戻そう。

とにかく私たちは日々選択をしている。
その選択は理性と感情によってされているわけだが、理性と感情のバランスが悪いと、色々な不都合が起きてくる。
理性が強ければ「節制、常識、コストパフォーマンス」などの社会的なメリットを大事にする傾向が強くなる。
感情が強いと「快楽、衝動、本能」などの側面が強調される。
これはつまり、理性が強ければ我慢を強いられることが多くなり、感情が強ければ生活が破綻するリスクが高くなるということである(ちょっとまとめ方としては雑だが大筋は間違っていないはずだ)。

このバランスを自分好みに保つ(必ずしも中庸がいいとは限らない)、これが毎日を楽しく生きるコツだと私は考えている。

手に入れるまでどういう選択をしたか

さて、本題の引き寄せの話に入ろう。

引き寄せとは「選択の全てが望む未来につながっていく=何を選択してもいい」というものだ。
2ちゃんねるのよしおさんの記事の「そんなの関係ねえ」がまさにこれだ。
だが、やはり願望は早く実現したいもの。
「そんなの関係ねえ」で目指す未来の方向には進んでいても、方角が違えば回り道になってしまう。
これを最短にする方法を考察しようというのがこのブログの目的である。

今回のミトラのマグの入手までに経由した選択肢を考えてみる。

ミトラのマグに出会う→欲しかったが買わない→しばらくもやもやする→そのままかなりの期間経過(半年以上?)→
別の店でもミトラに出会う→欲しい熱再燃→その場では買わない→やっぱり欲しい→購入

最初にミトラに出会ったときに買えば良かったのである。
だから叶うのが遅くなった。
値段は1000円程度。衝動買いしても全く問題のない額だ。

ではどうして長く買えなかったのか。
これは恐らく「自分に対する感情」が関係しているのではないかと思う。

自分を楽しませる、幸せにすることを許可しよう

私は昔から欲しいものを「欲しい」と言えずに生きてきた。
幼稚園の頃から頻繁に近所に買い物に行かされ*2たせいか数字に強く、「こんなに高いものねだったらダメだよな…」という感覚を小学生くらいから持ってしまった。
様々な面で「思っていることを飲み込む」という生活だったので、その考えが身に染み付いている。

感情優位に振る舞うことを選択できるようになり始めたのはこの3年くらいの間だ。
きっかけはやはり「認識変更」である。
「『すべては繋がっている』。今までの人生における全ての選択が、今、この瞬間にそれを知るための布石だった」という感覚。
ただし、必ずしもこういう体験が必須というわけではなく、あくまで私の変化点となったというだけの話である。
過剰に認識変更を特別視しないほうが良いかと思う。

思っていることを飲み込む、それは感情と行動に齟齬があるということである。
感情は消えない。認識しているしていないに関わらず、浮かんだ感情はそれを実現されるまでは残ったままなのだ。
昔感じた感情は、それを実現させるべく今現在にまで影響を及ぼしている。
引き寄せ本などで「同じパターンを繰り返す時は過去を見ろ」というようなことが書いてあるのはこのためである。

私の場合、欲しいものを素直に欲しいと言って手に入れる、これを解消しない限りは同じようなことが起きるのだろう。
…とわかっていても、なかなかストレートに対処できないのが人間の難しいところである(笑)
欲しくても経済状況の考慮や遠慮がどうしても出てしまうのが何とも。
たかがマグを買うのにどれだけかかっているのか。
マグだけではない。ほぼ日手帳は1年以上先延ばしにしたし、ATAOの財布に至ってはまだ手に入れていない。
ソファーも欲しいと思って早2年。
経済的に無理なことはないのだが、結局自分に許せていないのだ。まだまだ修行が足らない。

当たり前の話だが、それがいかに低リスクで些細なものであっても、自分でOKを出せなければ選択することはできないのだ。
もし心当たりのある方は、意識的にわがままを通す、自分に許可を出すことをやってみたら良いかと思う。

*1:脊髄反射のように脳を介さない場合もあるが、それは緊急時の話なので除外。

*2:弟を連れてビールを買いに。今これやったら通報ものかな

「パラパラめくるだけで引き寄せができる本」が意外と良書だった

月末になるとamazonプライム会員特典の「電子書籍1冊無料」の特典を消化するため、引き寄せ本を探すことが多い*1
探してダウンロードするもののそのまま放置、次月の終わりギリギリに読む…というのが最近のパターンになっている。
今月もその流れを辿るかと思いきや、あっさり読み終わってしまった。
ものすごく平易な本なのだがこれも良書。ポイントを抑えていてとてもよかったので紹介したい。
プライム会員+kindle持ちの方は是非。
購入もいいが、平易すぎてこの額は少々高く感じるかもしれない(笑)

「パラパラめくるだけで引き寄せができる本」

本の概要

見開き1枚で1つの話題について書かれている。
絵が中心で、大事なところは強調してくれてあるのでとても読みやすい。

主張自体は「3日後日記」などとそう変わらない。
「行き先を決めて、気分良くいること」これが全てだ。
だが、方法論はやはり少々違う。
この本では願いが叶わない状態を「クヨクヨさん」「イライラさん」「ニコニコさん」の3タイプに分けて解説している。
クヨクヨ→イライラ→ニコニコ というように変化すれば良いというのが趣旨である。

若干話のまとまりがないような気もするが、まあ許容範囲というところ。
絵のクオリティはあまり期待しないほうがいい(笑)

この本のポイント

例によって数カ所引用しよう。

「あなたの心の安らぎ」は「現実世界の安らぎ」を引き寄せる


(自分がワクワクすることをやるということに対して)

儲けになったとか、「ステイタス」につながったとか、社会的な側面について考える必要はない。
ただ取り組んでいるその瞬間に、「自分の心は満ち足りているか」と質問してみるだけでいいんです。


(世の中に引き寄せができる人とできない人がいることに対して)

引き寄せが「技術」ではなくて「感情」に由来するものだから。
感情をケアしてアップさせることができるかどうかで、望むものを引き寄せられるか、決まってしまうからなんだよ。


恐らく20分もあれば読めてしまう。
文章を読むのが苦手という方にはお勧めできる本である。

*1:無料といっても全ての本ではない。興味がある本が有料の場合もあるので注意が必要である

引き寄せ的には「してはいけない」ことなどない!

書くと言いながらまた久しぶりの更新になってしまった。
今日は自分へのメッセージも兼ねて。

「してはいけない」を決めているのは社会

人間は数々のルールに従って生きている。
それは人間が「社会的動物」である以上仕方のないことである。
最もわかりやすいのは憲法や法律だろう。
例えば、種の保存という観点から、「命の奪い合い」につながる諸々の行為は全て禁止しなければならない。社会の保存という観点から、労働することと支配層に価値を収めること(現代では納税)は義務にしなければならない。
明文化されていないルールもある。これらは常識や倫理観などの「価値観」という形で私たちに刷り込まれている。
家事や子育ては女性の仕事である、男性は泣いてはいけない、先のことを考えて貯金しなければいけない、などなど。
価値観は親から受け継いだり、所属することによって適用されたり、メディアによって作り出されたりする。

だが引き寄せ的な視点でいけばこういったルールはナンセンス。
何のメリットもない、単なる「縛り」でしかない。

ルールはブレーキになる

真面目であれば真面目であるほど、こういったルールは「制限」となる。
そうやって統制するためにルールはあるので、それ自体は悪いことではないのだが、引き寄せ的には「ブレーキ」となってしまう。
(だがブレーキも必ずしも悪いものではない、それはそれで意味があるのだ。全てを排除しようとしないで欲しい。)

お金が欲しいと願っても「お金は悪いもの(清貧思想など)」と思っていれば叶いにくいだろう。
好きな人がいて、その相手にパートナーがいる場合、「不倫・浮気はダメ」と思っていれば叶えられない(好きになること自体は悪くない。相手がきちんと別れてから付き合えば問題ないし、パートナーと別れることに対する決定権を持つのは相手なので、あなたが罪悪感を抱くことはない)。

ブレーキがあるからといって、願いが叶わないわけではないかもしれない。
が、やはり叶いやすさは全然違うのではないかと考えている。

ブレーキがないのは恐ろしい

一見するとブレーキは障害でしかなさそうだが、そんなことはない。
むしろ、ブレーキがあることで「叶えてたら不幸になる願い」をリジェクトできているのである。

たとえば前述した好きな人にパートナーがいる場合、俗に言う「略奪愛」をしてまでその人と過ごすことを本当に望んでいるのか、それとも一時的な感情の昂りなのか*1
ブレーキがかかることによって遅延が起こり、感情の支配から逃れて捉えることができるようになる。

何でも即時叶ってしまう世界は恐ろしい。
嫌なことをされて相手を呪ったり、自己嫌悪に陥って消えたくなったり、そういうものも即刻叶ってしまうのだから。

ブレーキがかかり願いが叶うまでの時間がかかるのは、「願いのクーリングオフ期間」である。
本当にその願いを叶えたいか?叶えていいのか?世界が再考するための期間をくれているのである。
クーリングオフ期間は、自分の感情や願いに敏感になればなるほど短くなる。
だから、自分にフタをして何を望んでいるかわかっていない人ほど叶うまで時間がかかるのだ。

願いに敏感になろう

自分が欲しいているのはなにか、とにかくそれに気付くこと。
書き出したりイメージ化すれば気付きやすくなるだろう。

どんなささいなことでもいいから記録する。
そして自分が真に何を望んでいるかを紐解き、決定する。
そのために諸々の方法論はある。

大切なのは方法の模倣ではない。
その方法を使うことによって得られる効果である。

*1:恋は盲目。後で考えたら「なぜこの人のことを好きだったのかわからないといったことはザラである。

忘れられない願いにはこの方法が良さそう!「あなたのままで奇跡を起こす!:思考選びの実験」

また大分日が空いてしまった。
書こうと思ってるのにこれだから…何のブレーキなのか。

先日のこの記事。

mentalworld.hatenablog.jp

書いた時に「どうやったら『忘れなくてもいい』って伝わるかなー」と考えていたのだが、どうやらその答えを世界が教えてくれたようである。

「3日後日記」と対極?な「思考選びの実験」

随分前の話だが、kindle fireを購入した。
amazon prime電子書籍が毎月1冊タダでダウンロードできるサービス狙いである。
全書籍が対象ではないのが盲点ではあったものの、十分に元は取れるかと個人的には感じている。
その無料ラインナップの中にあったのがこの本である。

あまり色々な本を紹介するのは節操がないようで最近の嗜好には合わないのだが、この本は「3日後日記」が合わない方には是非オススメしたい。
もしくは、「忘れられない(放置できない)願いがある」という方にもいいのではないかと思う。

「あなたのままで奇跡を起こす!:思考選びの実験」概要

結論を先に言うと、この本が推している方法は、「意識して『どう思考するか』を選ぶ」というものだ。
前提条件として「思考を選ぶことで望む未来を引き寄せられる」があるが、これはすぐには信じられないかもしれない。
信じられない場合は「まず1週間騙されたつもりでやってほしい」というのが著者の経験からの主張である。

詳細は本を読んでいただくとして、本からの引用も交えて方法の概要を解説したいと思う。

まずは「自分が何を考えているか」に敏感になること

思考を選ぶためには、自分が普段どんなことを考えているかに気付かなくてはならない。
簡単なように聞こえるかもしれないが、思考の傾向に気付くのは結構難しい。
様々な理由で思考はすでに習慣化し、選んでいることにすら無自覚であることが多いのだ。
だからこそ、意識的に第三者視点に自分を置くことが必要となる。

では、どうすれば第三者の視点に立てるか。
「何かについて悩んだら『友達から相談された』と思ってアドバイスし、その思考を選択すればいい」というのが著者の主張である。
作中ではいくつかの事例をあげ、他にも考え方があるにもかかわらず、ネガティブで苦しい方を選んでしまっていることがいかに多いかということを示している。

「今、あなたが選んだ思考は、望む未来にふさわしい思考ですか?」

個人的には、この問いかけが常に自分でできればかなり効果があるのではないかと思っている。

引き寄せに必要なのは思考と行動を変えること

引き寄せの実現には自分の根本を変える必要はない。
ただその視点と行動を変える、それが重要である。

作中では「罪悪感」に関する事例が挙げられている。
「自分が自由に振る舞うと家族に申し訳ない」というよくあるパターンである(私もこれに長らくはまった)。

「自分が自由に振る舞う」ことに対してどう思考するか。
この事例では、今まで「罪悪感」の付随する思考を選んでいたのを「みんなが楽しい」という思考をすることを選んだ。
その結果、最初は反発を食らったものの、数ヶ月後には周囲も楽しむようになったということだ。*1

矛盾するように聞こえるかもしれないが、持っている感情すらも変える必要はない。
ただし、感情を認めることは必要である(これは他の引き寄せの方法論でも同じである)。
感情を認めた上で、どう行動するかを選択する。
嫌いなものは嫌いでいい、だがそれに対して「嫌いだから攻撃する」のか「嫌いだけど流す」のか。
「攻撃」を選んだ未来と「流す」を選んだ未来、どちらが望む未来に近いのか?
選択自体に正解はない。だからこそ「自分が望む方未来にふさわしい」方を選ぶことが大切なのである。

願いは自分本位で!

「誰かのために」という選択は一見素晴らしいように聞こえるが、それには自己犠牲を伴うことが多い。
どういうわけか「自己犠牲=素晴らしい」などという価値観が横行しているが、決してそんなことはない。
自己犠牲は誰がしても苦しさの伴うものである。
それを倫理的に「素晴らしい」として強いてくる者が、自分を大切にしてくれないことは明白である。気にせずスルーすればいい。

「自分を幸せにすること」目指すのはこれだけだ。
苦しい思いをしたいのなら「他人のため」を選んでもいい。本心が拒否していなければ叶うはずである。

思考と行動の両輪が揃わないと叶いにくい

思考と行動が両方必要なことを示す文を、本文から引用したい。

引き寄せの法則というのは、「思考」と「行動」が協力し合えたときに、想像以上のとんでもなく素晴らしい未来を引き寄せるチカラが働きます。

ここでは論拠がまったく示されていないが、これは真実であると私も感じている。
思考を選び、それにダイレクトにつながる行動をする。
これだけで実現への流れが割と簡単にできあがってしまう(即時叶うとは限らないが)。

引き寄せの事例としてよく聞くのが、旅行に行きたければパンフレットをもらって来なさいというもの。
お金持ちになりたければホテルのラウンジで高級感に浸るとか、そういう話もよく聞かれる(私はやったことはないが)。
行動は簡単なことでいい。どんなことであれ、今すぐできることはあるはずだ。
とにかく「思考→行動」、この流れを作る習慣をつけよう。
引き寄せの精度がかなり上がるのではないかと思う。

「3日後日記」との類似点

一見真逆の方法論のように見える2冊の本だが、共通点もある。
それは「望む未来を決めること」である。

目的地が設定されていなければ、永遠にたどり着くことはできない。
だから、まずは「自分が何を望むか」を真に理解すること。
こう書くと大仰だが、「欲しい財布を買って、すごく楽しいし嬉しい」こんなレベルで構わない*2
望む未来を決めてしまえば、あとは忘れるなり行動するなりすればいい。
個人的には、物欲系の願いは「行動」を取ると結果が早いかもしれないと感じている。極論ではあるが、買うことを決心すればいいだけだからである。
人間関係に関しては「3日後日記」の方が向いているかもしれないが、状況次第か。
どうしてもいつも意識してしまうような願いは、「行動」が向いているだろう。

2つの方法をうまく使い分けていけば、今までよりも引き寄せ精度が上がるのではないかと思う。
amazon prime会員で、kindle持ちの方は是非一読を。
個人的には購入もオススメできるが、まずは1週間「今、あなたが選んだ思考は、望む未来にふさわしい思考ですか?」という問いかけをし、効果のほどを試してからでも良いかと思う。
私も実験中である。

*1:もし、今何かについて辛い気持ちを持っていたら、良かれと思ってやっていることをやめてみてはどうだろう。私もやったことがあるが、案外周りは動いてくれるものだ。

*2:私のATAOの財布の話である。まだ買っていないが、近々買おう。今決めた。