引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

疑問を投げかけたら、10年来の謎の悪習の意味が3日でわかった

何度かこのブログでも書いてるけど、やっぱり「疑問を投げかける」方法は強力だった。
疑問を投げてことすら忘れてたのに、寝起きで解を与えられるとか(笑)
やー、ほんと面白いわ引き寄せ。
引き寄せというか、世界の仕組みか。
「求めよ、されば与えられん」みたいなルールあるな。

特になんの労力もかからないし、何か悩み事ある方はちょっと試してみて欲しい。

どうして嫌なことを思い出すのか、疑問を投げかけてみた

昔起こった嫌なことを思い出して、今嫌な気持ちになる。
みなさんもやってませんか。
私はこれを10年以上やってる。
もちろん毎日ではないし、今は頻度はかなり少ないけど。
直近では昨日やりましたよね(笑)
しかも起こってもいないことを想定して、という筋金入りのネガティヴ。

当然こういう疑問が湧く。
というか、なんでこのタイミングまで疑問持たなかったの?っていうレベルだな…

3日以内に答えが降りて来た

このツイートした後、深く追求はしなかった。
けど、急にこんなのが浮かんできた。

しかも寝起き。
「理性的に考えて思いついた」という可能性が最大限排除される時間。
もう「降りてきた」という表現しかない。

やっぱり疑問を投げかけるのは強力な方法

今回の件で、宇宙に疑問を投げかける、質問するというのはやはり強力だなーと思った。
前にも同じようこと書いてるけど、すぐ忘れる(笑)

やり方は何でもいい(紙に書いても、私のようにツイートしても、という意味)。
とにかく、知りたいことを頭の中にとどめない。
何でもいいから外に出そう。
あとは忘れてOK。

労力ほとんどかからないので、軽い気持ちで試していただければと思います!

気を揉んでいた問題があっさり解決した話

仕事の話だけど、昨日夜に理解に齟齬があって、あまりよろしくない方向に進んだ案件があった。
上にヘルプメールを投げて帰ったんだけど、下手すりゃせっかく持ち直したのをぶち壊しにするような、厄介な状況。
案件担当してる本人がその論理に気付いていないっていう絶望感ったら。

で、今日も朝からモヤモヤしてたんですが、「ああ、これは意図してみるいい機会かも!」と思い直し、早速実践。
「うまく収まりますように やることやったしあとは任せます」みたいな感じで意図してみた。

そうしたら、ほんの10分程度で自体は変化。
本人も理解したし、上にもOKもらえたし、評価されて色々頼りにされるっていうオマケまで付いてきた。

「自分の思い通りにしたい」という願い方は良くない気がする。
自分がそうしたいだけで、それがベストとは限らない。
策を練るのはいいけど、了見が狭いことは自認しとかないと。
その点丸投げは楽だ(笑)

何か困りごとに直面してる皆様、やることやったらあとは世界や宇宙や神様仏様に丸投げしてもいいんじゃないかと思います。
少なくとも、心配や不安、苛立ちに支配されるよりは状況良くなると思うが!

引き寄せ話専用のツイッターアカウントを作った

先日、このブログ用にツイッターアカウントを作った。

作る前は「複アカなんて絶対手が回らんわー」と思っていたんだけど、やってみたらかなり快適。
引き寄せに対してポジティブな視点な人たち(そんな似非科学信じてんの?みたいな人もいるから)しか集まらないし、それぞれが色々なことをやっているから新たな方法を知るきっかけにもなる。

引き寄せにも色々な解釈がある、そして解釈が違っても叶う、そういうのもわかると思います。
それはつまり、スタンスなんて自分好みでいいってこと!
アファ言いまくりたかったらそれでもいいし、私のように楽しいことにフォーカスしてもいい。
そういうのもわかるかと。

何より堅苦しいこと抜きで書けるってのはいいよねー。
ブログで文章にするにはパワーと時間がいるけど、今は残念ながらあまり時間取れない。
なんせ今仕事中に書いてるくらいだからな、これ。

てなわけで、よろしければツイッターフォローしてやってください。
↓アカウント
@gacha_labo

嫌なことが予想通り起こるのは、引き寄せの名人な証拠

つい「明日はこんなことがある。嫌だなー」とか考えちゃう。
そしてその考えはどんどん拡大して、「何かこんなことも起こりそう。あの人ならやりかねない」と、嫌な方嫌な方へ。
そしてそれが実際に起こってしまい、「ほら、やっぱり」ってなる。

心当たりのある人、いませんか。
ちなみに私は全力で挙手せざるを得ない(笑)


でも、該当者は喜んで欲しい。
なぜなら引き寄せがきっちり起こってるから!!
いやほんと、天才的な引き寄せスキルだと思います!(๑•̀ㅂ•́)و✧
ただベクトルが望む方向と逆なだけだから、そこを是正すればOK。

嫌なことの方が起こりやすい?

「人生は基本的に嫌なことばかりで、たまにいいことがある」そう捉えている人は多いかもしれない。

でもそれは勘違い。
ただそう思っているからそうなっているだけ。
スタンスを変えれば、変化はいくらでも起こせる。

世の中の出来事が全てランダムに発生しているなら、確率論が正当性を持つ。
確率論で動いているなら、「いいこと」と「悪いこと」の起きる確率はそれぞれ50%にならなければおかしい。
だから「悪いことが起きやすい」は間違い。

それでも体感的に「嫌なことばかり起こる」と言うなら、他の何かの要因が出来事の発生に関係していることになる。
その要因が「自分の意識」だというのは、引き寄せについて知見のあるみなさんなら察していただけるかと思う。

自分の思考を自覚しよう

そこで冒頭の話だ。
嫌なことばかり起きる人は、日常的に嫌なことばかり考えているのではないか、思考を観察してみよう。
私はかなりの時間をムカつくやつと議論して論破しているイメージに費やしていた。
そこ自覚できると、楽しいことをイメージするように行動を是正できる。
是正した結果何が起こったかと言えば、仲良くなりたい人と近付けたり、好きな人が優しくしてくれたり、仕事で頼られるようになったり、愚痴を聞いてもらえるようになったり、ムカつくやつが関わってこれなくなったり。
私にとっては良い方向に現実が変わり始めた。

もちろん常にこんな風にできているわけではない。
ムカつくやつはやっぱりムカつく(笑)
でも、そういう感情に埋もれているなあと客観視しようと意識する、できるできないよりもそういう意識を持っているということ自体が大事らしい。
ちなみにムカつくことが起こっても、それがきっかけで嬉しいことに繋がったりもする。
ムカつくことがダメなわけではないのでご注意を。
私はそれをきっかけに好きな人に愚痴を聞いてもらうチャンスを得た。ふふ。

思考を自覚したらコントロールしてみる

「悪い方に考えるクセがあるな」と自覚したら、それを変えよう。
例えばイライラしているなら、意識的に「今日の夕飯何にしよう」と考えてみたり。
「何も考えない」のは難しい。だったらプラスのこと、せめてマイナスにならないことを考えよう。

これ、悪いことばかり起こっていた人ほどすぐ効果があるんじゃないかなー?
とは言えタイムラグはあるので、遊びのつもりでやったらよいかと思います。

いろんなこと、どんどん試して行こう!

人はこうやって運が悪くなっていくのかもしれない

お久しぶり!(またか)
やーほんとに書けないもんですね、ブログって。
proにも申し込んでるのにもったいないったら。
まあぼちぼちやって行きます。

今日は引き寄せにも関係ある運(=流れの乗りやすさ)の話。
こういう人が運悪くなっていくんだなーというのを目の当たりにしたので。

運とは?

運がいい。
そう聞くと、「宝くじに当選」のような大きな出来事を思い浮かべる方が多いかもしれない。
確かにそういうものを引き寄せる人は、一見運が良さそうに見える。
けど宝くじは投資額が多ければ多いほど当たりやすくなるという攻略法もある。
当選した人がどのくらいの額を買ったのかがわからないとなんとも言えない。
わかりやすくいうと、1枚買った人が300円当てるのと、100万枚買った人が3億当てるのはどちらが難しいだろうかという話だ。
(ちなみに1枚300円とすると、両方とも投資額分は当てているので損にはならない。)
私は宝くじの当選確率の詳細は知らないし、ここでは本論から外れるので追求はしない。興味ある方は調べていただければと思う。

今日書きたかったのは、もっと日常レベルの「運の良さ」の話。
定義は「自分のやりたいことがスムーズに実現できる状態」とでもしておこうか。

私に実際にあった事例をあげると、
「あ、ゴミ袋なくなった。買わなきゃ」→ いつも利用する店で不手際があって、お詫びにゴミ袋もらう
とかかなー。
こういう引き寄せは自分にとって当たり前になり過ぎてて、何だかうまく思い出せない(笑)

小さいことだけど、これが普通になるととても生きやすくなる。
さらに、もっと叶いにくそう(単に自分の執着度が高いだけだけど)なものも徐々に近づいてくる。
例えば「あの人と仲良くなりたい、けど接点が…」→よく会うようになる、SNS上で交流が始まる、など。
おかげで私は仲良くなりたい(恋愛とか抜きで)と思った人とは大体仲良くなってます。ありがたい。

ということで、運というのはQOLを上げるのにとても重要。
逆に言えば、運の悪さは不幸に直結するということ。
だからこそ私は読者諸賢には運がいい状態にあってほしいわけです。マジで。

サボると運が悪くなる

私の職場に「運の悪い人」がいる。
どう運が悪いかって、同じ時期に同じことをやっても、この人だけありえないようなトラブルが起こるのだ。
本人は運が悪いとは思ってないようだけど、「人生は厳しい」という認識は持っている様子。
私を含めた周囲の人間は「あの人は運悪いからなー」と思っている。

この人、仕事ができないわけではない。
知識も経験もある。言うこともそこまで外してはいない(私の理解できる範疇では)。
ただ、行動しないのだ。
指示は出す、結果は回収する、だから結果は出せる。
でも自分が面倒だと思うことは「時間がない」と言い訳して他人にやらせる。
「申し訳ないけど」と口では言っているけど、おそらくそんなことは思っていないだろう。
私がものすごく忙しくて手が回っていなくても、当たり前のように自分は動かないのだから。

詳細は省くが、この人の言動でとても腹が立ったことがあった。
そのときに、「ああ、人はこうやってカルマを溜めるんだな」と思った。
この人は悪意なく、いつも通り自分が面倒だと感じたことを他人にやらせるよう行動したのだと思う。
その行動が相手に与える印象は、時にはものすごくマイナスに振れることがある。
そして、どんなに良くてもプラマイ0にしかならない。
それはつまり、「他人に悪い印象を与える結果しか導かない行動」ということ。
悪い印象は、敵意につながる。

自分が嫌な何かを人にさせる、これはわかりやすく言えばサボるということだ。
サボって自分がやるべきことを誰かにやらせる。
そうすると、やらされた側に敵意がたまる。
そうやって向けられる敵意が、運を悪くするという構図なんだと思う。

他人の意識の力を侮るなかれ

何で敵意を向けられると運が悪くなるのか?
それは引き寄せの法則の原理を考えてもらえればわかるかなーと思う。

引き寄せとは「意図したことを現実に起こすこと」。
じゃあ意図とは何かという話なんだけど、それは単に「願うこと」を指すわけではない。
むしろ「自分が今何を感じているか」が反映されてしまうように思う。
だからこそ私は3日後日記や、極力いい気分でいることを推奨してるんだけど。

それくらい感情に影響されるものなんだから、自分に向けられる敵意が干渉しないわけがない。
というか、他人を大事にしないから、他人を大事にしない(自分のことしか考えない)ような人が周りに集まるし、そういうギスギスした感じの中で自分がいい気分であることは難しい。
結果、悪いことばかり寄せてしまう、という構図なのではなかろうか。

自分がいくら引き寄せ的にプラスの行動をしても、周りの敵意がそれを無効化するフィールドを作ってしまう。
先の私の職場の「運が悪い人」だが、面倒を押し付けるだけではなく、相手を小馬鹿にしたような言動を取ったり、人の話をまったく聞かなかったり(自分の正当性を確立するためだけに意見を求めたりとかもする)、結構嫌われるようなことをやっている。
本人は気付いていないし、指摘しても笑うだけで直さないだろうな。
そうやって敵を作れば、いずれ手を貸してもらえなくなるのは当然のこと。
引き寄せ的には、幸せを阻害するようなエネルギーが否応なく送られ、自分の周りがそういうフィールドになってしまうというわけだ。
だから運が悪くなる。

媚びるのではなく、優しく

こう書くと、「相手を不快にさせないために自分が我慢しなければならないのか」と解釈される方もいるかもしれない。
が、それは違う。
相手の不当な要求は蹴っていいのだ。
それがどんな関係性であれ、自分を不当に扱う人に優しくする必要はない。
私も良く言っている「自分が幸せになるように振る舞う」ことは、他人に不快感を与えることとイコールにはならない。
自分はこうしたいから相手の都合なんかどうだって良い、これは運の悪くなる人の考え方だ。
あくまで人には優しく。自分が嫌いな相手に対しては、攻撃するのではなく、単に避ければいいだけの話。
こんな奴知らん、腹をたてることすら労力の無駄!と思っていいればよいかと(笑)

と、長文になったのでこの辺で。
みなさんは大丈夫だと思うけど、運悪くなるようなことを積み重ねないように。

行き詰まったらブレインダンプ!

さて、前々回の記事に書いた通り、ブレインダンプしてみようと思う。

ブレインダンプのルール

ブレインダンプのルールはシンプル。
「思ったことを書き出す」それだけだ。
中には「タスクも含めて書き出す」にしているサイトもあるけど、私は義務的なものは書かないようにしている。
やることリストを作るわけではないのだ。
とにかく思いついたことを言語化していこう。

実際にやってみます

さて、では今から実際にやってみよう。

ブレインダンプをWEBにあげるとか、結構恥ずかしいよな。脳内垂れ流しってことだし。
まあいいや。
しかし変な夢を見た。電球交換してもつかなくて、点灯管が潰れてたとか変なところでありがちでリアル。
何だろ疲れてるんだろうか。まあ最近帰るの遅いし…
ゼルダを3日くらいやってないとかマジか!
週末はゼルダ三昧しようかな。ストーリー進めたいし、ハートも増やしたい。
とりあえず矢を買い占めよう…木の矢なさすぎ。
それにしても膝痛いな。水たまったか。これはしばらくサポーター生活だなー。
あんまり続くなら病院いかねばな。
でも行ったところですぐ治るわけでもないし、どうせ対症療法しかないなら行かんでいいか。
歩きすぎなんだよな最近。12000歩くらいがデフォだもんな。
でも歩いたら痩せるってことがわかった。ウォーキングバカにできないや。
あー、今日は何するかな。やらなきゃならんこといっぱいだ。
まあ方針は上に決めてもらおう。今より忙しくなることはしばらくないはず。今のうちに捌いとかないかんことたくさんあるな。
でも31日は休もう。今日申請するか。
しかし昨日は色んな人に会った。肯定的な方とはいえ、また変に顔が知れてしまった。目立つの苦手だなあ。
でもこうやって顔を知ってもらえることで、不意に助けてもらえたりするわけだし、やっぱり頑張って取り組むことは無駄にはならないなあと思った。
引き寄せったって寝てれば何でも願いが叶うってもんでもないわな(笑)
結局、いい方に意識を向けておくには、いいことが起こっている現実に気付くのが近道。
だからいいこと日記は効果的なんだろうな。
あと、執着を捨てるには何かに集中するのが一番かな。
だからゼルダに没頭するのは悪くない!
どんなことであれ、他人に過度の迷惑をかけないことなら、自分が楽しいことに没頭が最高ってことだな。
あ、もうこんな時間!遅刻する!!

…とまあこんな感じです。
ほんとに脳内垂れ流し感満載(笑)
紙に書いてもよし、キーボードで打ってもよし。
見直す必要は一切なく、ただ書くだけです。
30分くらいやるとスッキリするので、是非お試しを!

朝の10分でいいことだらけの1日に!

ブレインダンプやりますって言ったにも関わらず別な内容です(笑)
「3日後日記」とか「いい気分でいよう」の変化形がめちゃくちゃ効果あったので、みなさんに是非試して欲しい!

朝一に嬉しかったこと楽しかったことを振り返ると…

嬉しかったことだけを記録する、これも願望実現方法として有効だという話はしたと思う(…したよね?)
最近忙しくてまともに日記を付ける気力がなかったんだけと、昨日の朝、短時間で箇条書きにして出勤。
そうしたら、いつもは起こらないようないいことが連発!
ブログに書きたくなるくらい、いい日になったわけです(笑)

10分かけるだけで素晴らしい1日に

味をしめて今日もやってきた。
朝は忙しいとはいえ、ほんの10分。
これで想定外のいいことたくさん起こるんだったらいいよねえ。
毎日いいことが起こるので、書くネタがなくなることもなし。

遊びのつもりで軽くやってもらえればと思います!

再始動しますかね!

例に漏れず久しぶりの更新。
でも今回は長かったな。やっぱ冬はあかん。
寒いというだけで全てのやる気が削がれる。恐ろしい・

とはいえ何もしていなかったわけではない。
仕事に忙殺されてはいたけど、本読んだり色々考えたり。
大きな願いを叶える覚悟もしたし、これはそのうち叶うんだろうなーと思っている。

あと、最近よくやっているのが「ブレインダンプ」というもの(前に書いたっけ?)。
簡単に言うと脳内に浮かぶことを全部書きだしていくことなんだけど、これがものすごくスッキリする。
特に私のように誰かに相談したり愚痴ったりしない内向き人間には向いていると思う。
ブレインダンプをすると、願望が叶わない方に向いている意識をうまく手放すことができる。
書くことで消化される感じ。

次回、具体的にどんな風にやってるか、WEB上でやってみますかね。ちょっと恥ずかしいけど。
今日は短いですがこの辺で!

変化の前の抵抗が凄まじい(笑)

あけましておめでとうございます。
サボりすぎましたなあ(笑)
今ものすごく忙しくて…と言い訳しておく。

自分が変化に抵抗しているのを目の当たりにした

今かなり変化の時期で、正直不安とストレスで心が折れそうなところにいる。
頭の中で色々なことが堂々巡りしているんだけど、浮かんだ言葉の中にものすごく印象に残るものがあった。
それが
「高望みしなければこんな気持ち味わうことはなかったのに」
というものだ。

高望み、ということは、変化後の状況は自分に相応しくない、自分はもっと価値の低い存在だと認識しているということになる。
なるほど、だから色々とすんなりうまくいかないんだな。
というか、自ら「うまくいくことを拒否している」。

恐怖は仕方がないことなのかも

どこかで読んだのだが、変化の前は恐怖が生まれて来るものらしい。
無限の可能性に触れ、自分の強大さに恐怖する、とか。
この言を鵜呑みにしているわけではないけれど、自分が「自分の知らない自分」になるのは、確かに怖いことだよなーと思う。
全ては意のままのはずが、予想以上に影響力があるかも知れない。これは確かに恐怖だ。

違うやり方を試すチャンス

自分では自尊心の低さをある程度克服したと思っていたので、まさかの展開に驚いている。
実際のところ、現実はかなりいい方向に進んでいるので、今までのやり方(極力幸せに浸る)が間違っているわけではなさそうだ。
だが自分の中にはまだ未消化の感情や理屈がたくさん眠っていて、時々暴れては存在をアピールする。
うーむ、悩ましい。

これは今までのやり方だけでは不足ということなのかも知れない。
となると、自身を納得させるために他の方法も取り入れた方がいいのだろう。

「そうなっていない現実」を疑え

そこで考案したのが「現実を疑う」方法だ。
もしかしたらどなたか提唱しているかもしれない…と思ったら、検索かけたら出てきた。
私のやろうと思っていることは、このスレにあるものに近いかな。

今自分が望む状態と異なっている現実を疑う。
例えば恋人がいなかったら「え?なんで恋人いないの?いて当然でしょ?」のように。
いない現実の方が不条理だと思ってみるということ。

これは結構劇的に効いた。
叶うことに対して疑いがなくなって、そうなることで気分も良くなった。
結果として「3日後引き寄せ日記」のキモである「いい気分に浸る」も無理なく即実践できてしまう。すごい。

やれることはやろう

現実が内面の反映とはいえ、現実で経験しないと内面の変化を起こせない場合もある。
例えば歌手になるのに、「歌が上手い」と自分で認識するには「歌う」必要がある*1
だから少しでも、どんなことでも行動する。自分に対する信頼度をあげよう。
最初はなかなか結果が出ないかもしれないが、繰り返すうちに経験値はたまり、レベルアップする。
焦らないことが大事かな。


また何か変化があれば報告します。
更新頻度なんとかしろって話ですね(笑)
「今週叶えること」も復活させようかなー。

*1:もちろん歌手になるのにその認識が必ずしも必要なわけではないけど。中居くんとか。

異なる世界観が交差したのかもしれない

おはようございます。
前回更新が1ヶ月以上前とか…まじか…
もうちょっと更新頻度を上げたいところ(毎回言ってる気もするが)。

今日はネットで話題になっている「叶姉妹コミケ参戦」で気付いたことを。
引き寄せとは一見関係なさそうだが、実は面白い事例なのではないかと感じている。
お正月の暇な時間にでも読んでほしい。

叶姉妹コミケに参戦する

ツイッターなどでこの話は話題になっていた。
ずいぶん前に美香さんがジョジョ好きで恭子さんに布教しているという話を聞いたことがあったが、正直コミケ参戦までとは思っていなかった。

この方達のスタイルがキャラなのか地なのかは私にはわからない。
が1つ言えるのは、「参戦を表明した時から随分と丁重に扱われていた」ということである。
コミケ参戦に当たり、色々アドバイスを受けていたようである(それを素直に受け取る叶姉妹も素晴らしいと思った)。
叶姉妹コミケに降臨*1した時は、戦場であるコミケ会場で十戒のように人が割れ、叶姉妹のために道ができたという。
コミケで想像しにくければ、花火大会やお祭りなどを想像していただくといいかもしれない。
会場の広さが違うとはいえ、あの状況が10万人以上の規模で繰り広げられているのがコミケである。
その状況で人が割れ、芸能人なのに好奇の視点からの写真も撮られず(0ではないだろうが)、周りの人に拝まれるというのだからすごいとしか言いようがない。

叶姉妹にとってはそれが「当たり前」

さて、ここから引き寄せの話に入ろう。
コミケ参加経験者からすれば前代未聞の事態だったのだが、叶姉妹はそれをなんの抵抗もなく受け取った。
それは彼女たちにとってそう扱われるのが「当たり前」だからである。
全く異質の世界でも、自分たちのフィールドに変えてしまう。
彼女たちはどこに行ってその場をファビュラスに変える力を持っているのだろう。
なぜなら彼女たちにとってそれが「自然」だからである。

さて、この話を自分に置き換えたらどうなるだろう。
自分はどういう世界で生きるのが「当たり前」になっているだろうか。
「寂しい」「貧乏」のような「不幸な世界」で生きてはいないか。
「でも実際に現実がそうだから仕方がない」そうやって居直って諦める人もいる。
だがこのブログを読んでいる人はそうではないはずだ。幸せになる方法を模索しているからこそ、ここにたどり着いたのだから。
現実に流されず、現実を自分の望むように変える方に意識を向けることは可能なはずである。

望む世界の住人になろう

ここで出てくるのがいつもの「今、この瞬間に幸福感を味わう」方法である。
望む世界で生きる、それはつまり「幸せを当たり前にする」ということ。

例えば、スイッチを入れれば電気がつく。これは私たちにとって「当たり前」である。
だが本当は当たり前でもなんでもなくて、1つでも仕組が崩れればつかなくなってしまう。
その「当たり前」は色々なものに支えられた上で「当たり前」となっているのだ。

こういう書き方をすると「裏で苦労している人がいるんだから感謝しなさい!」みたいな論法になりがちだが、ここで伝えたいのは真逆。
「当たり前に電気をつけよう」、つまり「当たり前のものとして結果だけを享受しよう(ただし傲慢にはならないように)」ということだ。

仕組や過程は気にしなくていい。
欲しいものはただありがとうと言って受け取る、自分が望まなければ受け取らない。
あなたの見ている世界はあなたのために回っているのだから、気にしなくていいのである。

世間はこういう在り方を否定しがちだ。
それは「自分はしたくてもできないのに」という妬む人や、「常識」や「倫理観」という名の支配力*2が無効化されることを嫌う人がいるからだろう。
これは自身の体験だが、自分の思うままに振る舞うようになってからの方が自分の存在感は増したし、周囲に大切にされるようになった。
努力して自分の何かを変えたわけではない。ただ自分を抑えることを極力やめただけだ。
楽で楽しくて、さらに周りにも評価してもらえる。我慢していた時間は本当にもったいなかったなあと感じている。

さて、今年も今日で最後。
来年を、そしてこれからの人生をどうしたいか、考えるのには丁度良い機会である。
幸せになる決意、してみてはどうだろう。

それではよいお年を!

*1:という表現が自然と出てきてしまう。すごい。

*2:最低限の倫理観はルールとして必要だと思うが、過度になれば人を不幸にする