引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

現実に起こる「悪いこと」は、「自分自身でも同じことしているよ」という合図らしい

最近ツイッターと調べ物以外でネットを使うことがあまりなく、引き寄せ系のブログもほとんど読んでいない状態である。
が、やはり必要な情報は入ってくるようだ。

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潜在意識を無理に書き換えなくていい

こちらの記事を一読いただきたい。

特に「現実に悪いことばかり起きるのは潜在意識がにネガティブなことが書かれているから!書き換えなければ!!」と考えている方に読んでいただきたい。
そんな無理してやらなくても大丈夫だと気付いて欲しいのである。

このブログの著者さんは、「とにかく感情のまま吐き出すことが大事!」というスタンスらしい。
負の感情に対して肯定的な意味を与えない(すり替えない)。
そう思うならそう思うでOK。そのまま吐き出す(紙に書き出して破って捨てる)
この考え方には、私自身とても共感している。

ブレインダンプもおすすめ

実はこの記事を読む前にも、「溜まったストレスは吐き出さないとダメだ」というメッセージもらっている。

ブレインダンプをするとすっきりするのは、思考のストレスを外部出力して脳のメモリー増やすからなのだと考えている。
人間の脳は高性能なパソコンである。
少しでも頭に浮かんだことは、きちんと自分で終了させない限り、バックグラウンドで稼働し続け、エネルギーを消費している。
だからこそ一度にたくさんのことを抱えると疲れるし、雑然とした環境にいるだけでも集中力がなくなるのだ。
外部に出力することは、恐らくあなたが想像している以上に重要である。

ご紹介したブログは他にも色々参考になることが書いてある。
是非他の記事も読んでみていただければと思う。

断捨離が引き寄せ率を上げる理由がわかった気がする

引越しも一応終わり、新居で生活し始めてもうすぐで2週間。
いやー、新居いい。
きれいでおしゃれな感じではなく、いなかのじーちゃんばーちゃんの家のイメージが近い。
動線効率とか考えられてないスイッチの配置とかめっちゃ不便だけど(笑)

しかし1つ大問題が。

片付かない!!

いやほんと、びっくりするくらい散らかったまんま。
やばいやばい。

なんせものが多いんだ。
趣味系とか素材系とか。
もう数年使ってないのになー。うーむ。

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捨てられない=手に入らない が前提

捨てられないのは「捨てたら損しそう」って思いがあるから。
その感覚って、基本が「ない」に置かれてるからこそ生まれるもの。
何でも「ある」なら、今目の前から消えてもまた取り出せばいいだけの話で、捨てることに抵抗ないはずなんだよな。

断捨離すると「捨てること」への抵抗感を自覚できる

断捨離が引き寄せ率あげるの何でやろ?って思ってたけど、上記の感覚を自覚した後、捨てることで払拭できるからなんだな、なるほどなるほど。
所有(独占?)ってのは「ない」に立つ行為なのかもね。
潤沢にあって当たり前なら、共有することに何の抵抗もないし。

あと、素材系を捨てられないのは、「作りたいけど作っても否定される、けどやっぱ作りたい」って葛藤を反映しているのもあるかも。
今年の冬は色々作るかな。
そんでメインブログで自慢するか(笑)

そんなことを思った昼休みでした。

どうやら新たなステージの始まりらしい

みなさんこんにちは。雨の日曜いかがお過ごしですか。
前回更新からちょっと日が空いたかな?
この間に色々あったんよねえ(笑)

ツイッターフォローいただいてる方はご存知かも知れませんが、引っ越すことになりまして。
いきなり話が来て、月末移動。急すぎ(笑)
ああ、これは何か始まるんだなーという予感がしてる。

引っ越しは転機

引っ越しはこれで5回目。そんなに多い方ではないかな?
今までの移動を振り返ると、やっぱり色々な面で転機となっている。
実家から出たとき、ようやく自分の人生が始まった。
寮から出たときは「無茶する楽しさ」「時間の自由」を得た。
アパートを移動したら、猫との生活が始まった。
特に自発的にそう動いたわけではなく、気付いたらそういう流れに乗っていた。

特に前回に引っ越しは本当にごっそり変わったなー。
彼氏と同棲し、全く経験したことのない仕事に。
まさか数年後に浮気して出て行くとか、かけらも思ってなかったなー(笑)
すぐ結婚するつもりだったからな、ほんとに。
今は結婚しなくて良かったとしか思えないのが笑える。
しんどかったけど、私が一生を共にする人じゃなかったんだろうな。

ステージが切り替わるのかもしれない

これは全く論拠も何もないんだけど、元彼と過ごすのは、私の人生に必要な経験だったんだと思う。
ほんと精神的には底辺レベルの人だったと思うけど(笑)、色々押し付けられたおかげでパソコンスキルや税金関係の知識が付いた。
何より、認識変更(今まで起こったすべてに出来事が、今この瞬間を経験するために必要なことだった)したのが最大の収穫。
というか、あの人が私にの人生に関わったのはこの1点を私に気付かせるため。
なんの証拠もないけど、この感覚は揺るがない。

今回の引っ越しで、このあたりがクローズするんだなーと思っている。
引き寄せの法則(意識が世界を作っている)を理解し、活かせるくらいには体得したと、お墨付きをもらったのかもしれない。
じゃあ何しよう?って話。

最高の幸せは「人に喜んでもらうこと」

こんなこと書くと絶対に「偽善」とか言う人出てくるよね(笑)
でも事実なんだから仕方がない。

欲しいものを得られれば満足。恋人ができたら嬉しい。もちろんそれは私も一緒だ。
でも何だか物足りない。
それよりも、例えば自分の作ったご飯を「おいしい」と食べてくれる、一緒に遊んで「楽しかった」と言ってもらえる、そういうことの方がよっぽど嬉しくなるのだ。

でもこれは「自己犠牲」とか「搾取されること」とは全くの別物。
職場で面倒なことを押し付けてくる人とか、コストのかかることを「友達だから無料でやって」とか、そんなもん全拒否でOK。
基本は「自分が気乗りしないこと」はスルーだ。だって自分が1番大事だし。
自分を大事にしつつ、周りに貢献する。目指すべきはこれ。

そういうことを思いはじめたら、仕事で新しく知識つけたいことが見つかったし、こうやって引っ越しの話は来たし、何だか色々動きはじめた。
もちろんどうなるかなんて全くわからないけど、これからが楽しみ。

最後、全くの余談ですが、引っ越しすると彼氏ができるという個人的なジンクスがあるので、その辺も楽しみです(笑)

ブレインダンプは書く瞑想なんじゃないか

どーもどーもこんばんは。
ヨガブック買ってから書くことが習慣化されつつあります。
計画通り(๑•̀∀- )و

何度目かになると思うけど、今日はブレインダンプを推したいと思います。
書くだけで簡単にスッキリ!これほんとオススメ!

ブレインダンプをオープンでやってる理由

私がブレインダンプをオープンにするのは、やりたいけどやり方がわからないって人に、「こんなやり方もありですよ」と示したいから。

ブレインダンプ決まったやり方なんてない。自分でルールを決めたらいい。
けど、実例がないと「これでいいのかな?」と不安になってしまうのもまた事実。
ということで、あくまで私のやり方ではあるけど、ブレインダンプってこんなんやでーと具体例を示したいわけです。

とはいえちょっと「外側」です

とはいえ、やっぱりノートに書くのとは違う部分も出てくる。
さすがに実名とか具体的なことを詳細には書けない(笑)
表現的にも公共の場に載せるようなもんじゃないです(´・ω・`)
悪意に満ちたことも書いてるしな…
自分の「内側の外側」あたりのことを書いてると思ってもらえれば良いかと。

ノートに書く時は、人には見せられない側面も書き出す。
そうすることで、自分のネガティブな部分も存在することを認められるようになる。
「こんなん書いちゃあかんやろ」って思うなら、「こんなん書いちゃあかんって思う」と書けばいい。
そういう自分の中の葛藤も可視化する。

ほんとはここにも「あいつほんと気持ち悪いわー」とか書きたい(笑)

考えたことは消えずに残る

脳みそっていうのは、思った以上に色々なことを考え、記憶している。
ちらっと考えて消えて行った事柄でも、実は片隅に残っていたりする。
そういうものの解消に、ブレインダンプはすごくいい。

ブログもそうだけど、書いているうちに色々な考えが浮かんで来る。
それを善悪の判断をせずに、ただ書き留める。
これは浮かんでは消える雑念を観察する瞑想と良く似ている。

私のように瞑想の途中で寝てしまうタイプの人間でも、ブレインダンプなら問題なくできるはず。
長文を書く必要もないので、気負わずトライしていただければなーと思う。

【ブレインダンプ0925】解は自分の中にある

風邪ひいたっぽい。
いつものことながら、身体は熱いのに熱を計ると平熱以下。これは長引くやつ。
せめてメンタルは整えねばなーということで、ブレインダンプしようと思います。
頭の中を書き出すだけなので、今日の記事はオチも結論もなし(笑)
長いだけなのでお時間ある方だけお付き合いいただければ。

風邪引き?

こんな夢を見た。

家の中に私以外の誰かが入っている気がする。
薄々予感はしていたけど、ついに決定的な証拠が。
壁掛け時計が自分の知らないものに変わっていた。
慌てて包丁を持って、家の中を捜索。
程なく発見、対峙するも、のらりくらり言い訳して逃げようとする男。
私もなぜか強く出れない(過剰防衛はまずいなーとか思ってた)。
裁判するあたりで目が覚めた。

そんな悪夢を見たせいか、朝からやたら眠くて目が開かなかった。
そして案の定頭痛発生。身体も重くて階段がしんどい。

夢というのはデトックスになったりもするらしい。
そういや私は昔から戦う夢をよく見るけど、これは理不尽なことに対する怒りを夢の中で発散していたのかもしれないな。

まあとにかく身体がしんどい。
こういうときは助けてくれる人が欲しくなる。

風邪に限らず、身体がしんどい時は精神的にも辛くなることが多い。
だから、ネガティブになりやすい人は、まずは衣食住をしっかりしよう。
ここは「当たり前品質」的なものだから、きちんと保たれていないと一気にQOLが下がる。
まずお金と時間を使うべきはここ。
つい欲しいものとかに行っちゃうけど、寝心地のいい寝具、おいしいご飯、着心地のいい服が毎日準備されてたら、そうそう精神の不調にはならない気がするな。

ということで、忙しいとか言ってないで、まずは生活習慣をきっちりするのが私の命題かな。
きっちりって言っても完璧主義にはならないように。
家事で自由な時間を使い果たすとかは本末転倒なわけです。
心地良くて自由な暮らしをするための家事であり、家事が目的ではない。ここ大事。
ミニマリストさんとか、「ものをなくすこと」が目標になってる人いるからなあ。本当はものがないことで得られるものが大事なのに。
極端にものがないのも、ものがありすぎるのも、どちらもそんなに幸せには見えない。中庸大事!

お金を使いたいけど使いたくない

今この記事もは新しいタブレットで書いてる。
ベッドで記事書けるとかどんだけ素晴らしいんだ。これはほんとにいい買い物だった。

このタブレットを買ったことに対しては何も後悔はないし、むしろもう生活必需品になってるレベル。
そういう点では、「欲しいものにお金を使うのって素晴らしい!我慢しちゃダメ!!」という主張は矛盾してはいない。

だけど一方で「お金を使いたくない!減らしたくない!」と思ってる自分もいる。
お金を使うことに罪悪感を感じる。
それはきっと子供の頃に他の人よりお小遣いもお年玉ももらえなかったこと、買い物は安いものを優先して買ってきたこと(親からの指示?記憶にないけどとにかく安いの最優先)あたりに起因するのかなあと思っている。
だから、高いものを買うことにはものすごく抵抗がある。
そりゃタブレットに半年とか引っ張るよね(笑) 必需品ってわけでもないし。

多分この感覚は打破しないといけないところなんだと思う。
じゃないとお金使うの楽しくないし。
生きるってのはただ生存できればいいのではなくて、そこに幸福感を感じながら生きないと、真に生きているとは言えない。
さっきも書いたけど、衣食住の確保は最低ライン。まずは安心して生きられる、この状況へ。
生きられる環境になったら、次はグレードを上げていく。
私はつい「部屋を飾る雑貨買うとか無駄使い」って思ってしまうけど、これはお金に余裕がなかったからそう思うクセがついてしまったんだな。
ほんとはそういうものにこそ幸せが宿っているんだけど。
(お金がなくても、自分を幸せにしてくれるものを手に入れることは可能だと思ってる。私ができなかっただけの話。)

で、「お金を使いたくない」っていう感覚を何とかしたいんだけど、これがなかなか厄介。
お金がなくなると命が危ない、私はそういう風に認識してるらしく、かなり不安になる。
ブレイクスルーかー。ハードル高いなあ。
宇宙さん、この辺の価値観を無効化するにはどうしたらいい?

まずは「お金がない、お金を使うのは不安」ってのを解消するために、しんどくない程度に節約してみようかと。
今あるものを最大限活用することで、自分が「すでに豊かだ」ってことも体得できるかもしれないし。
そもそも、私は大概のことこなせるくらいには器用なんだから、雑貨とかも買う必要ないんよな(笑)
自分の作ったものがどんなにクオリティ高くても自信を持てない、これも打開したい案件。

やっぱり自愛足らんのだなー。
できたことよりできないことにフォーカスし過ぎ。
褒めるとこいっぱいあるのに。

2日連続でちゃんとお弁当作れた自分偉い!
朝から掃除して偉い!

肯定ペンギン欲しい(笑)

自分に「叶えていい」と許可を出すのに半年かかりました

ATAOの財布の時も思ったはずなんだ。
値段とか考えて選ぶのではなくて、自分が本当に欲しいものを買うとものすごく幸せでまったく後悔しないって。

なのに何で学習しないかな私!!

…ということで。
ようやくLenovo Yoga Bookを買いました。
思ってたよりずっと早く届いて、今まさにこの記事をYoga Bookで書いてるところ。楽しい。

今日は「叶えることを自ら拒否してしまう」ことについてちょっと考察してみようかと思います。

自分に関する出費は「わがまま」という謎認識

最近友人に祝い事がありまして。
めでたい!素晴らしい!!ってことでお祝いしたんだけど、当然そこそこお金がかかりました。
でも、出すことにためらいはなかったんよね。

ところが、自分に関する出費はそうはいかない。
祝い事の出費の1/10以下の額でも、「それほんとに必要?」「もっと安いのあるんじゃないの?」「なんで欲しいの?」「ほんとに買うの?」とか、色々出てくる。
それこそ重箱の隅をつつくようになことまで…我ながら良くそこまで考えつくよなーあと思う(笑)

私は「お金を使う」ということ自体に抵抗があるわけではない。
(正確には、昔はひどかったけど最近かなり改善されているという状況)
どうやら「私が私のためにお金を使うのはダメ」とジャッジしてるらしい。
「そんなことにお金を使うなんてわがまま」とか。

私の人生は私のものなのに、これは何なんだろう。

謎認識の理由

この謎の認識が生まれる理由、心当たりは山ほどある(笑)
子供の頃の以下の経験(感覚)が元凶かと思う。

・自分の100点より兄弟の70点の方が母親にとっては価値がある
・同じことをお願いしても自分はダメで兄弟はOK
・成功しても評価は現状維持、ミスったら減点
・理不尽なことでも我慢しなきゃいかん(反論したら逆ギレされる)
・頼れるのは自分だけ

こういう経験すると、「自分には価値がない」「必要とされるのは自分の能力であり、自分の感情は無視される」「役に立たないと居場所がなくなる」「怒ったり逆らってはいけない」「自分の話は聞いてもらえない」とか、普通に思うようになります。
だいぶ抜けたけど、いまだに根っこは残ってるかなー。

結局のところ、自分で自分を肯定できてない(=評価が低い)から「自分のためにお金を使うなんてわがまま」なんて感覚になるのだと思う。

対処法

対処として取った方法は2つ。

①自分の感情を全肯定する
欲求のまま行動する

①はいわゆる「自愛」というやつですね。
自分に価値がないと思う、まずそう思うこと自体を受容する。
決して「価値がないなんてなんで思うの?何でもできるし褒められるし、そう思い込んでるだけやん」とかやらない。
確かにそういう状況によって得られたものもあるし、状況や他人を「悪」とするのはおかしい。
けど、そう思っちゃうということ自体は私にとって紛れも無い真実。だからそこは認める。

自愛の方法として、最近読んだ「宇宙はイケメン彼氏」のやり方(キャラ設定の仕方)は結構参考になりました。

文字数少ないのですぐ読めます。
表現を尽くして少しでも具体的に書いてほしいって人には物足りないかな。
3日後日記がはまった人なら良いかと。
作者さんのブログまとめなので内容はブログからも読み取れるけど、なかなか探しにくいので本の方がおすすめ。

②の欲求のまま行動する、これは①をやってからがいいかなーと思います。
じゃないと罪悪感とか湧いてきちゃう。
自分に優しくしてるつもりでも、心地好くなければ不正解。
叶えても罪悪感を感じないやつから攻めましょう。

トイレ行きたい→すぐに行く
チョコ食べたい→すぐに買いに行く
ゲームしたい→帰ったら即やる
眠い→ベッドへGO!

以上は最近私が実際にやったことです(笑)
これだけでも割と満足しちゃう。
必ずしもお金や時間をかけることはなくて、求めてる→叶った!の流れを認識して満足できれば良いのかと。
「ある」を認識するとほぼ同義かな。

案外自分が敵になってたり

そんなことあるわけないって思うかもしれないけど、実は自分を1番認めてないのは自分なのかもしれない。
ってことは、そこをクリアすれば見える世界はもっと変わるのかも?
「意識が世界を作っている」という認識が当たり前になるところまでは来てるから、あとは内観して現実に何が反映されているのかを見ないといかんのかなー。

観察、そして自愛!

あとは自分がドラマの主人公ではなく、ドラマを見ている人だという感覚、これを忘れないように。
どっぷり浸かれば現実に翻弄されるのは当たり前。
超高機能VR、現実ってつまりはそういうことだよね。

下書きの内容すら古く感じてしまうくらい、日々の考え方は変化している

みなさんおはようございます。
この3連休は台風直撃なようで…情報に留意してご安全に。

さて、昨日久々にパソコン開いて、溜まりに溜まった下書きとか見てたんですが。
ダメだね。なんかもう今の感覚に合わなくて全てボツ!

別にこの間何かを突き詰めて考えたり、すごい気付きがあったとかではないんだけど、記事を読んでも「なんか違うなー」という感じ。
というわけで、お蔵入りとなる記事がわんさかです(笑)

この現象から得られるのは、自分というものは思った以上に変化しているということ。
連続してるから気付かないだけで、久しぶりに会った人からは「変わったね」って言われるのかもしれない。

やっぱり「変化しない」なんてことはありえない。
だから今しんどい人もその状況が続くわけではないし、逆に幸せでも永遠ではない。
幸も不幸もどちらも必要な「経験」と考えるなら、今に生きてしっかり経験しないといかんのかなあとか思います。
もちろんしんどいのは極力避けたいけど(笑)

過去の「最高」も、今見たら大したことないよね

やーやーみなさんこんばんは。
ついに9月に入りましたねえ。1年早い怖い。
お盆前も忙しかったけど、今も変わらず忙しいし、正直年内余裕を持って仕事できる気配がないっていう…
これは多分、私の何かの願いを叶えるには、今こうやって経験積んどくのがベターってことなんでしょうな。
だけどもうちょい手加減してくれても…いいんだよ?(笑)

今日書きたいことはタイトルで言い切った感あるけど、折角なのでちょっと自分の事例あげときます。

6年前、想像すらできなかった世界にいる

子供の頃は 小学校→中学校→高校 と、所属する集団がどんどん変わっていった。
それはつまり、成長の段階によって環境の変化がこまめにあるということ。
高校なんかは学力によって集団が分けられたりまでする。
今思えば、同じレベルの集団で集めてくれるってなんて親切…!って思うけど、その辺は論旨がずれるので割愛。
学力であれ精神年齢であれ、レベルの違う人が混在する集団ってのは人間関係の問題が起きやすくて、集団内の平和維持がすごく難しいって感じている、とだけ言っておこうかな。*1

大人になると、環境の変化が少なくなる。
一度就職したら、異動、転職くらい。昇進して立場が変わるとかもあるか。
プライベートなところでは結婚、出産とかかな。
基本的には自動的に環境が変わることはほとんどない(もしかしてブラックな会社だと本人の承諾なしで「明日から異動ね」とかあるんか?)。

だから1年後、5年後、10年後の自分の姿をある程度想像しちゃってたりする。
毎朝同じ時間に起きて、同じように通勤して、同じような仕事をして…
正直、6年前の私もそんな感じだった。
結果は全然違ったけど(笑)
結婚して子供できるかなーくらいは思ってたけど、まさか別れるとは。
そして、専門でもなんでもない技術職につくことになろうとは。
こんな技術職の存在すら知らんかったし、知識なんてもちろん0。
それなのにすんなり転職先が決まり、気付いたら重要な役割を担うようになってた。自分が1番びっくりしている(笑)

最終形に制限をつける?つけない?

昔の私がこういう世界を願ったか?
答えは否。だって知りもしなかったし。
覚えているのは「月収は○○万以上」「経済的にも精神的にも時間的にも自由になる」とかそんなことを願っていたことくらい。
これに関してはしっかり叶っている。
願う時にはある程度結果をイメージして願いがちだけど、今の自分が「最高」と思っているのは、自分の狭い視野の中でしかない。
例えばブログで不労所得を得たい、この人と結婚して幸せになりたい、などなど。(もちろん欲するのが悪いといってる訳ではない)
だが「最終形」を願えば、どんな形であれ願った「最終形」になれるし、こっちの方が早く叶う気がする。

いずれのやり方でも叶うとは思う。
だけど詳細まで定義すれば、良くも悪くも「自分が想像した通りの結果」だ。
実はそれ以上の「最高」があるかもしれない。

願い方も大事だけど、1番は「自分が本当になりたいものを望む」ことじゃないかなーと思う。
結構自分のこと見えてないもんです、マジで(笑)
私も久々にブレインダンプして色々洗い出そう。

*1:ちなみに学力とか学歴が高けりゃ人としてのSPECが高いなんてことはないです。結局は人格なんだよなあ

アファーメーションをすると「唱えたことをまた唱えたくなるように」現実が動く!?

お久しぶり!みなさまいかがお過ごしでしょうか?
ほんとはお盆休みに更新する予定だったけど、遊びまくっておりまして…(笑)
まあそんなこともある!

先日こんな本を買いました。

スピ系では割と有名な小林正観さん。「そ・わ・かの法則」(掃除・笑い・感謝)なんかが有名で、私も大昔に読んだことがある。内容全然覚えてないけど(笑)
系統的には斎藤一人さんのような感じ。興味ある方はぜひご一読を。


で、本題。
この本の中にえらい文章を見つけてしまいまして。
「え、これ割とさらっと買いてるけど、アファに対する前提覆る系じゃないの…!?」と思ったので、言及しておこうと思います。

「宇宙の法則」の1つ「言葉の法則」

この本は3章構成。
1章:人間と宇宙の「基本構造」を知る
2章:人間と宇宙の「法則性」を発見する
3章:「天」を味方につける生き方
となっている。

個人的に面白かったのが2章。
「トイレの法則」(トイレ掃除をすると豊かになれる理由)とか「伊勢神宮の法則」とか、「名前の法則」なんてのも面白かった。
詳細は本論には関係ないから省略。気になる方はこの本読んでいただければよいかと。

で、その中に、件のアファに関するものもあったわけです。
その名も「言葉の法則」。
これが、私たちの通常の解釈とは違う。
うっかりすると、アファ逆効果になるんじゃないの!?ってなるかもしれない法則。

言ったことが叶うのではない!?

普通私たちの考えるアファーメーションというのは「言ったことが現実に起こる」というものだ。
否定形は使わない、達成したという文章にする、基本はこのくらいか。

この本では「言葉が現実化する」のは法則として肯定している。
アファ自体は効果があるというスタンスだ。
だけどそれは「言ったことが現実化するのではない」という。
以下引用。

言葉が現象化するというのは、「その夢や希望が実現する」という意味ではなくて、「その言葉を言いたくなるように現象化する」ということを言っています。

これ、皆さん知ってました?
私は初めて聞いた。

言った内容ではなく、「そう言いたくなるような状況」が現実になる。
ということは、宣言系のアファ(=状態を形容しているだけで、感情の伴わないアファ)って危なくないか?
その手のアファは不足感が前提にある。
つまり「今は〜になっていないからなりたい」という感情が絶対に付随している。
ってことは、「〜になりたい」ってまた言いたくなるような状況が引き寄せられるんじゃ!?

じゃあどんなアファならいいの?

とはいえ、じゃあアファってしないほうがいいの?なんて考えるのは早計。
折角著者が「言葉の法則」を確立してくれたのだから、きっちり使いこなしていこう。

言葉が現象化するなら、何を話すかには最新の注意を払わないといけない。
愚痴を言えばまた愚痴を言いたくなるような状況が、疲れたと言えば疲れる状況が、嫌いだと言えば嫌いな状況が、言った回数を再度言うような頻度で起こってしまう。
では何と言えばいいのか?
再度本から引用しよう。

さて、その言葉が現象化するということがわかったら、一番楽しそうな言葉は何でしょうか。
それは嬉しい・楽しい・幸せの先に存在する「ありがとう」という言葉です。これは究極の喜びの言葉と言えるのではないでしょうか。

やっぱり感謝は強い。最強か。

私が考える「幸せな現実を引き寄せる生き方」

とはいえ、全てに感謝なんてできるかというと、やはり難しい。
ムカつくやつがいる。理不尽なことが起きる。それらに対して「ありがとう」とは言いにくい。
私の器では、メリットを見つけて否定しないくらいがいいところだ。

じゃあどうするか。
答えは単純。肯定的な感情をたくさん言葉にすることで、否定的な現実が感情を占める割合をミニマル化すればいい。
1/2で嫌なことが起こると萎えるし反応しちゃうけど、1/100なら流せませんか(笑)
そして流せるようになったらそれは起こらなくなる。つまり嫌な現実の絶対数が減る。
それを繰り返していれば、やがて「ありがとう」と言いたくなるような現実ばかりになっている。
アファを唱えるというより、日常の言葉を変えていこうというやり方です。
簡単なことだと、レジの後に「ありがとう」を言うとかおすすめ。
あと、何かしてもらった時に「すいません」じゃなく「ありがとう」にするとか。

アファは基本やらない派だけど、この本を読んでから、実験的に「愛してるよ」をひたすら呟いてみたりしてる。
効果?あるっぽいです。特に恋愛面で。
新月の願いとかも「恋人になった状態」ではなく、「お互いに愛している」ことを宣言したほうがいいのかもしれないなーなんて。

またしばし実験です!

【雑記】デトックスって色々な方法があるんじゃないかと気付いた

直近2記事、デトックスに関して書いてみた。
そして気付いた。私、結構デトックス的なことやってるなーって。

例えばブレインダンプ。
これは思ったことをばーっと書き出すことで、脳内のいらない思考を消すことができる。
書いてるだけなんだけどね、脳みそが整理されていく感じ。
もちろん感情的なことを書くのもよし。イライラとか結構おさまります(笑)

例えば断捨離。
これは家や会社などの生活の場のデトックスになる。
普通に片付けてるつもりでも、気付けばものがたまっていく不思議。
「不要なものはリリース」ということを意識しないと、そのうち身動き取れなくなる。
「毎回探す時間が無駄!!」って、うちの職場の片付けできない勢にどんだけ言ってるか…(笑)

なんか、デトックスに関しての実験と考察を重ねるのも楽しいかなーなんて。
デトックスした日付と内容記録してみようかなーとか思ってます。