生きていれば当然望まないこともやってくる。
例えば嫌いな人と関わらなきゃいけなかったり、面倒な仕事を押し付けられて手柄だけ持ってかれたり、お釣りごまかされたり。
ちなみにこれは全部今日の私の話。何なのマジで。
だけど怒ったりしない。
嫌いなあの人にだっていいところはあるはず。
仕事を振ってきたのは忙しかったのかもしれない。
お釣りごまかされたのはその場で確認しなかった自分も悪かった。
そう、心はつねに寛大に!視野は広く!!
…何てできるかーい!!!ヽ(`Д´)ノ
できるわけないんですよ、人間なんだから。
なのにそういうことを要求されるようになっている。
そんなん「やったもん勝ち」やん?おかしいやろが!
不快な感情は我慢する必要はない
朝からほんと鬱陶しいわー
— がちゃ (@gacha_labo) 2018年5月21日
仕事頼みたくない!!自分でやろかなマジで…
ほんまに自分で判断しない。依存気質。
私、依存が嫌いなんやな。もちろんしたいって気持ちもあるんだろうけど。
依存って相手に自由を認めないことだよねー。
とりあえず依存嫌いな観念は捨てよう。
でもあいつは嫌い(笑)
嫌いもOK!
— がちゃ (@gacha_labo) 2018年5月21日
嫌いがあるから好きもわかる!
ってか、全ての人間に好印象とか無理やん(笑)
そんなの求められてもねー( ー̀εー́ )
相手が親だろうが先生だろうが、嫌いなもんは嫌い!
好きになることを強要されても無理!!
嫌いな人がいる自分、別にええやん!って思ったら、やたらパワー出てきた!
— がちゃ (@gacha_labo) 2018年5月21日
おー、何これ面白い!!
「こういう自分はダメだ」って、ひたすら羅列してみようかなあ
嫌いな人=ダメって思ってる要素を持ってる人 だよな
でもそういう「嫌い」や「不愉快」にも意味はあって、それを味わうからこそ逆の価値(ここでは「好き」と「居心地いい」かな)もわかる。
別に我慢しなきゃいかんものではないのです。
むしろ存分に怒り、罵倒したらいい気がする。真面目*1な人からは怒られそうだけど(笑)
ただ、SNSとかで言うのはオススメしない。
それは周りの認知があなたの世界に影響を与えるから。
心理学で「ラベリング効果」(名前違うかも…)ってのがある。
— がちゃ (@gacha_labo) 2018年5月14日
要は周りが「お前ダメだな」って言うと、能力に関わらず「自分ダメだな」って本人も思ってしまうというやつ。
これ、引き寄せ的にも同じようなこと起こるんじゃないかと思ってる。
自分が「こういう現実が真実です」と思ってそれを演じたら、周りも「こういうシナリオか」と思う。
— がちゃ (@gacha_labo) 2018年5月14日
結果、現実化が加速する。
みたいな感じ。
だいぶ端折ってるので、全部読みたい方はTwitter参照でよろしく。
最近、「周りからどう思われるか」っていうのが、割と自分の世界に影響を与えている気がしている。
リアルではもちろん、あったことのないネット上の知り合いの持つイメージすら、私の世界の一部を創っているのではないか。
それはもちろん「SNSにはキラキラした投稿をしないといけない」なんてことは意味しない。
むしろ「自分の好きを発信しよう」とか、「評価は気にせず、楽しかったことを投稿していこう」とか、自分にとって自然で、且つ自分が望む姿をみんなに見てもらい、その認識の力を使って自分の世界の変化を加速させようというものである。
ただし、「優越感に浸るためにやる訳ではない」ということを肝に銘じておかないと、逆に望まない方向に進んでしまう可能性もある。
目指すのはエネルギーの搾取ではなく、お互いがお互いの世界の変化を加速させる協調。「自分さえよければよければいい」の精神とは対極のもの。
我慢や無視こそ1番の害悪
とりあえず今日言いたかったのは、
怒りも悲しみも、抑える必要など全くない!!むしろどんどん発散して、対極にある価値の素晴らしさを再発見しよう!
そして、どっちの価値も「悪い」わけではなく、単に「対極」にいるだけということを理解しよう!
ということだ。
過度の我慢、抑圧が1番よろしくない。
それは引き寄せだけではなく、心理学などでも言われていること*2である。
さて、今から罵詈雑言を並べてやるか。
そして、優しくしてくれた人たちには最上級の感謝を。
嫌いは嫌い、好きは好き。それでいいのだ。