今日ふと気付いたんだけど、願い、叶ってたみたい。
ただお願いの仕方がまずかった。
もっと限定して願わないと思ったようにはいかないらしい。
願いに善悪はない(善悪を付加するのは自分自身)ので、もっと好きなように願えばいいのだ。
ということで、今日からまた違うことを意図してみることにする。
前にも書いたかもしれないけど、「体感を得る」ことや「意図する」ためには「文章を書く」のが有効である。
こうやってブログに書くことで、ものすごく理解が深まっている。
ブログでも日記でも何でもいいから、とにかく自分が何をしたいのか書くことをオススメしたい。
「潜在意識について理解したい」でもいい。それだけでそのように進んでいく。
「願い事ノート」もオススメかな。まずはひたすら願いを顕在化させればいい。そしてその裏に何があるか見ればいい。
最近また色々気付いた。
この辺は結構大事かもしれない。
例えば、あなたが寝ようと思ったら何をする? 歯を磨く?トイレに行く?パジャマに着替える?まあ色々あると思う。 じゃあ出かける時はどうだろう? 寝る前同様、トイレとか歯を磨くとかはすると思うんだ。 行為は同じなのに結果が違うのは「意図したことが違う」から。 だから「~したい」と思ったら、全ての行動はそういう結果に向く。 「寝よう」と思ってから実際に寝るまで、どういう経過になるのかはあなた次第。 でも全ての行動は「寝る」ことにつながっている。 言を尽くせば尽くすほど伝わらない気がするけど、要は「~したい」と思ったら、それに必要なこと(必要だと思っていること)は自然と実行してるってこと。 長文失礼。
とか
「~したい」が変な方向に行っているのではなく、多層化しているのでは? 例えば「車が欲しい」と望む。 それは何のため?「A:移動手段が欲しい」「B:それで誰かをデートに誘いたい」「C:みんなに自慢したい」 Aなら、移動手段を得て何がしたいの?「A:友達や彼(女)ともっと色々な所に行きたい」「B:旅行がしたい」「C:行動範囲を広げたい」 ではCだったら・・・以下続く。 前の投稿の「寝たい」を例にしたら、「寝たい」ではなく、間の「歯磨きをしたい」を願っている感じ。 もっと求める結果をダイレクトに願ってみたらどうだろう。 交換手段であるお金とかは叶いにくいのはこういう理由かなー。
とか、新しく体感したことを元にある場所に書いた。
ばらしてどうするって気はしないでもないけど、いちいち隠すのは面倒なのだ。
あ、でもここのURLはばらさないでね(笑)