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引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

感情を込めて出す言葉の力は強い

「言葉は神であり、神は言葉であった。」確か聖書の言葉でだったはずある。
文脈とか内容とか全く知らないのに、このフレーズの印象はものすごく強い。
「言葉は世界を作る」って、そんなことストレートに書いていいのか。

とはいえ、「アファメーションを〜回すると願いが叶う」という立場に、私は懐疑的である。
今もその立ち位置は変わらないが、アファメーションってのは確かに効くのかもって思った話をひとつ。

愚痴や理不尽を楽しむ人

誰でも理不尽なことをされるのは嫌だし、つい愚痴が出てしまうような状況は嫌なものだと思う。
だが、嫌だ嫌だと言いながら楽しんでいる人がいる。

私の知人の話。
その人、暗いニュースや噂話が大好物。
用事があって連絡をくれるのだが、必ず「これ関係ない話なんだけど」と言って、ニコニコしながら誰かのリストラの話や自分が不当な扱いを受けた話をする。
〜された、あの人はなんで〜しないのか、などなど。
「ああ、もう嫌だなー」とニコニコしながらため息をついて終わるのがお決まりの流れである。

どうもその人の仲間内ではそういうコミュニケーションの取り方が王道のようだ。
愚痴に共感して、自分以外の何かや誰かが悪い(=他責)とする。それを共感・共有することで連帯感を高めているらしい。
私はこの手の話は聞きたくないし全く共感できないので、適当に相槌を打つことにしている。
否定しないのは、したところで「でも…」と反論してきて話が長くなるだけなのを知っているからである。
仲間だと勘違いされないように、且つ話が早く終わるように努めている。

冷たい?いやいや、こんなのクレーマーと同じ類である。
表現方法は違うが、要は「私が正しいことを認めろ!」だ。
私の感情や判断は私のものなので、干渉してくるものとは距離を置く。

面白いのは、この人が嘘をついていないことである。
そう、実際にこの人の生活は理不尽に溢れているのだ。
私が驚くほどに色々な面で引きが悪い。
もちろん頭を使えば回避できるものもあるが、本当に運が悪いとしか言いようがないこともある。

原因と結果の因果関係、その矛盾

前述の行動、常識的な考え方では「理不尽なことが起こったから愚痴ってもおかしくはない」となる。
理不尽なこと=原因、愚痴=結果である。
それがこの人の人生で繰り返されているのだろう。

では次に、常識的な考え方をさらに具体的にし、「引き寄せなどが完全に無効のフラットな世界」という条件をつけてみる。
恐らく科学に基づいた主観というのはこれに近いのではないかと思う。
理不尽=原因、愚痴=結果というのは変わらない。
だが、それが繰り返される理由はなんだろう。
何の干渉もなければ、出来事が起きる確率は半々のはずである。
さらにその出来事が「いい」となるか「悪い」となるかも確率としては半々である。
もしどちらかに寄っていれば、それはその人の主観がそのベクトル寄りだということを示し、人生における出来事の発生率が主観に寄って変わるということになってしまう。
わかりやすく言えば、「不幸は脳内で作られている」ことが示されてしまうわけだ。状況は関係ない。

では主観もフラットと仮定しよう。
だがこの人の人生には理不尽ばかりが訪れているのは厳然たる事実。
「いつも愚痴を言っている」という「結果」がその証拠である。
これは一体どうやって説明すればいい?

感情を込めて出す言葉の力は強い

もちろん私の解釈はこうだ。

「言葉に出すから現実に起こる」

これは全く科学的な判断ではない。
言葉を発することは、単に微小な振動を起こすことである。
エネルギー量などたかが知れていて、それが現実に干渉などするわけがない。
より大きな音があれば、言葉なぞ簡単にかき消される。その程度のものだ。

だがこのブログを読んでいる読者諸賢はそうは思わないはずである。
内面の状態は少なからず現実に干渉する。

ただ言葉を繰り返すだけのアファには懐疑的なままだ。
だが、そこに上手に感情を乗せることができたらどうだろう?
先の私の知人が現実の出来事に対して愚痴を言うのと同じレベルで未来の出来事を扱えたら?
人間の想像力はその為にあるのかもしれない。

実験

当然、これも実験して成果を見る。
「楽しい、嬉しいを感じながら起きて欲しいことをイメージする」
書くと単純だが、少々イメージの力が必要だ。

こういうときは「言葉の力」を借りる。

私は「ただ言葉を繰り返すだけのアファには懐疑的」である。
だが、それでも効果を認めている面もあるのだ。
これは説明よりも実際にやってみた方がよく分かる。

では。

「ペットボトル」

















あなたは「ペットボトル」のことを考えないでいられただろうか?
多分できていないし、むしろそれが普通である。

言葉を認識した瞬間、人間はそれに意識を向けるようにできている。
その性質を利用しよう。
具体的には、「幸せ」という文字や音をとにかくたくさん自分に浴びせる。
ただし、言葉の意味をきちんと認識できるだけの間隔は必要である。

幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ

のように、ゲシュタルト崩壊を起こすようなやり方は仕組みを考えれば無意味である。
(だからこそ「アファの回数が多ければいい」という意見には懐疑的なのだ)
それなら1つ1つを丁寧にした方が効果的ではないだろうか。

さあ、やるべし!

今回はぐだぐだと御託を並べたが、行き着くところは「実践」といういつもの結論である。
脳内で「幸せ」という単語を想起して、幸せな感情に浸ろう。
そして「何で幸せ?〜が起こったからだ」と理由を後付けする。
できれば口に出す、もしくは日記を書くように紙に書く。
とにかく「現実に起こった扱いをする」。

私の知人のように習慣化すれば、実際に嬉しい報告ばかりの日々が来るかもしれない。