読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

願いを叶えたければ「願い事リスト」はどんどん作っていくべき!その理由は?

引き寄せの方法論

忙しさにかまけてつい更新を後回しにしてしまった。
色々と気付いたりしているのだけど、通り過ぎて行ってしまう。
自分の備忘録も兼ねて、アウトプットすることは大事だなあと痛感した。

そんなわけで、今日もふと浮かんだ仮説を展開してみようと思う。
現時点ではこれが1番願いを叶えるのにいい気がしている。

始まりは「書くと叶うのなら、たくさん書いた方がいいのでは?」という浅はかな考えから

再三言っているが、「3日後日記」にあるように「願いの叶った後の自分の状態」を書き出し、そのまま忘れるというのはとても効果がある様に思える。
私は今それをブログ上でやっているわけなのだが、ふと「願い事リストにしたらもっと捗るんじゃ?」と思いついた。
単純に「いくつもの願いを同時進行で進めた方が効率がいいに決まっている」ということである。

恐らく引き寄せを実践されている皆さんの共通の願望として、「早く願いが叶った状態を引き寄せたい」というのがあるのではないかと思う。
特に私はせっかちである。成果は早く出るに越したことはない。
なんとなく効率論とは引き寄せはそぐわない様な感じ(スピ系と科学・経済的な理論の反発する感じ)がしなくもないが、その感覚自体がまだ引き寄せを「特殊なもの」として扱っている証拠なのかもしれない。
引き寄せは何ら変わったことではない。当たり前の仕組みなのだ。

「願い事リスト」で願いがかなう、その仕組みを考える

私は今までに願い事リストをいくつか作っている。
年が変わってすぐに、新しい手帳に100の願いを書いたこともあるし、「2年は見ない」というルールでリストを封印したこともある。
10くらいのリストなら、もうどこに記載しているかわからないレベルである(これは良くない。あとで叶ったか確認できない)。
リスト化した願いの母数がわからない、途中で願いが変わったなどの理由で実現率は算出できないのだが、「そこそこ叶っている」ということは言える。

では、どうして叶うのか。
あくまで仮説であるが、こんな感じではなかろうか。
追証はこれからこのブログで*1

願いを考える=「考える」ことで「叶ったらどういう気持ちになるか」を自然と想像する
→書き出す
→願いを思いつかなくなる=全てが叶ったあとの状態を想像する
→満足した状態になる=執着がなくなる
→願いが叶いやすい状態になる

ざっくりではあるが、こういう流れになっているのではないかと推測している。
以下、項目を細分化して見てみることにする。

願いをリスト化することによるメリット

考えることは未来に焦点を当てること

考えるということは、対象に意識の焦点を当てるということである。
「願う」というのは起こっていない未来に焦点を合わせることだと私は考えている。
だからもし四六時中それについて「可能である」と考えていることができれば、どんな願いも叶うのではないかと思う。
実際には常識や理性でどうしても制限がかかってしまうので、何でもというわけにはいかないだろうが。

考えて焦点を当て、そこにエネルギーを与える。
エネルギー源は感情である。
起こって欲しい未来を考えて、それが叶ったらどういう気持ちになるか想像(創造)する。
叶うルートは規定しない。結果だけを考えればいい。

1つ1つに執着がなくなる

願い事をリスト化していくと、新たな願望がどんどん浮かばなくなってくる。
リスト化している時はこれが結構しんどかったりするのだが、実はこれが存外にいい働きをしているような気がしている。
これは「願いが浮かばないくらいに満たされた時間にいる」ということを、先取りしている状態ではないかと思うのである。

当たり前の事かもしれないが、不満*2がなければ願望は浮かばない。
不満を生じる様な状況は、逆に考えれば「目指す場所を教えてくれる」とも言える。
だが、不満が強すぎれば願望への執着や不安となり、実現にブレーキをかけてしまう事となる。
リスト化はこの辺りのバランスをうまく整えてくれているのではないかという気がするのである。

願いを苦もなく忘れられる

真っ先に浮かぶ、重要度の高い願いほど叶わない。
そんな経験をした(している)方も多いのではないかと思う。
かくいう私がそうである(笑)

前項でも書いたが、これはやはり「執着」という名のブレーキをかけているのではなかろうか。
もちろんベクトルが単純に正負方向のみだとは思わないのだが、少なからず邪魔をしているように思う。

リスト化のいいところは、多くの願いについて考えるために力が分散される事である。
集中した方がいいのでは?と思われるのはごもっとも。
だが、エネルギー量を1/10にするより執着ブレーキの方が悪影響を及ぼしている様に感じるのだ。
もちろん定量化できないしただの感覚でしかないが…。

すべて満たされた状態で何を願うか、思考実験ができる

「全てが叶った状態」になるのはなかなか難しい。
が、思考の上ならこれをいくらでも実現できる。
すべて満たされた状態でもさらに願う事、それは真に欲している事であり、もしかすると人生の目的ですらあるのかもしれない。
自分の目指すものを知る事ができるのはとても重要なメリットだと感じている。

今週叶えること

これだけリスト化の強力さを論じたのだ、もちろん私は新規のリストを作るつもりでいる。
せっかくなのでそのリストを記事化しておこうと思う。
いつ実装できるかは未定だが、上部メニューからリンクを貼る予定である。
お時間のある方はリスト化でどのくらいの時間でどのくらいの割合で叶っているかを見ていただければと思う。

リスト化をすればこの項は必要ないような気もするが、叶えたことを記録として残す目的で続けていくことにした。
検証目的なので無理矢理願いをひねり出している感はあるが…まあそれも一興。
「どうあっても叶う」という検証になればいいか。

まず先週の願いのおさらい。

mentalworld.hatenablog.jp

では今週の願い。
「成果に対して正当な報酬がもらえて嬉しい」
色々できる分、どうしても搾取される傾向にある(「簡単にできるんだからそのくらいやってくれてもいいでしょ」的な)。
もちろんこちらから「やる」と言ったものはいいのだが、押し付けてくる(拒否権を認めない)ことがあまりに多い。
簡単だろうが何だろうが、労力を払うのは変わりないのだ。
それに対してあまりに無頓着な輩が多くて割とイライラさせられる。
その辺が改善されたらとても嬉しく、より楽しい毎日になるのだ。

報酬はお金とは限らない。
だが「ありがとう」のような、口先だけでは何とでも言えるものはカウントしない。
形骸的な感謝は次の搾取への布石である。

それにしても、ほんとに心の狭い人間だなあと思う(笑)
いやいや、物心ついた時から要求されるばかりでリターンがなかったから、このくらい思っていてちょうどいいのだ。

結果。
色々もらいまくった。マジで。
今すごく熱を入れてやっている釣り関係のもの、すごく興味のあることに対する知識、極め付けのおすそわけラッシュ。
ちょっと普通ではありえない感じだったので嬉しかった。

だが反省点もある。
「正当な報酬」と書いたのが良くなかったように思う。
ここは「私が望むものを報酬としてもらう」としなければならなかったのだ。

何が起こったかというと、特に欲してない情報を善意で無理やり教えられたり、欲しくないお菓子をもらったり。
「何かしらの対価をもらう」という観点では、これらも立派な「報酬」である。
ただ、「私が望まない」というだけだ。

その辺りを反省しつつ、今週の願い。

「自分が欲しいと思ったものをたくさんもらえて嬉しい」

「成果をあげる」必要はないのだ(もちろんベストは尽くすが)。
素直に欲しいものを受け取ればいい。
それはものだけではなく、言葉や行為や気持ちも含める。
それが上っ面だけかどうかは、その後の態度でわかるはずである。

*1:差し障りのない願いしか書けないのが難しいところではある。さすがに個人特定できるようなものはなあ。

*2:引き寄せ云々抜きでも、不満というのは単なる変化への渇望である。それ自体に善悪はない。まあしんどいのは間違いないが。