引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

引き寄せが急に上手くいくようになったので、何があったかを振り返ってみる

急に色々なことが叶うようになった。
何に起因するのか全くわからない。「引き寄せ研究」と称している身としてはかなりの敗北感である。
私だけが願いを叶えるのではなく、これを読む人がすべからく願いを叶える。私はこの境地を目指したいのだ。
今までと何が変わったか、考えてみたいと思う。

叶った(叶うことを確信している)願い

まずはどんなことが叶ったのかを挙げていきたい。
書けること書けないことあるので、多少回りくどい表現なのはご勘弁いただこう。

・嫌いな人がいなくなった
・やりたい仕事ができるようになりそう
・想定もしていなかった臨時収入があった
・好きな人たちとかなりの頻度で関われるようになった
・欲しいと思っていたものを手に入れることができた
・やろうと思いつつ先延ばしにしていたことが強制的に実行された

抽象的で申し訳ない…
複数個の願いも同じところにカテゴライズしたので、実際には6個以上叶っている。
もっと古い記憶を辿ると、かなりのものが叶っている気がする。

どんな変化をしたか

重要なのはここから。
このように願いが叶うようになったきっかけが必ずあるはずである。
引き寄せが「法則」である以上、理由なく叶うなんてことはありえないのだ*1

よく動くようになった

このブログもそれなりに更新頻度が上がったのではないかと思う。
実はここ以外にもいくつかブログを運営しているが、そちらも含める更新頻度はそこそこ高い。
1日1記事には届かないが、それでも2日に1記事くらいは書いているのではないかと思う。
今までのことを考えると、これはかなりの変化である。

さらに言うと、ネット以外でもかなり動くようになった。
週に3回以上は釣りに行っているし、運動もしている。
これも今までの生活と比較するとかなり変わっている。

気が緩んでいる時間が多くなった

先の釣りの話になるが、私は海釣り専門なので必然的に海に行く回数が増えた。
海はいい。ものすごくリラックス出来る。
心に何も浮かばず、水面のようになる。集中するのは竿から伝わる感覚のみ。
もしかするとこれが瞑想と同じような効果を生んでいるのかもしれない。

仕事でたまるストレス、日々感じること(うれしいことも含めて)、そういうものは吐き出すか消化しないと澱のように溜まっていくばかりである。
釣りをしている間はきっと消化が促進されているのだろうと思う。

1日に数時間リラックスするだけでこの効果なのだとしたら、気を張る、執着する、心配するなどの「心に余白のない状況」は、引き寄せにとって百害あって一利なしである。
やはり「安心する」ことは引き寄せ率を上げてくれるのかもしれない。

幸せを積極的に得るようになった

例えば、欲しいものを買えるのに買わない。やりたいことがあるのに、やるべきことを優先する。
こういう状況を極力排除するようにした。

これは不思議なのだが、欲しいものをためらわず手に入れれば自然と物欲は減っていくし、やりたいことをやればどんな状況でも不満がなくなる。

安いからという理由での衝動買いが減り(ないとは言わないが)、「自分が本当に欲しいか、好きか」を考えるようになった。
「ものを手に入れたい」という時は、少なからず「好き」以外の理由(例えば見栄を張れる・安い・テレビで紹介されていた など)が入って来るものである。
そこを「好き」に絞るだけで、ものとの関係はかなり快適なものになるように思う。

やりたいことをしていると、どんな状況も「悪くない」ように感じられてくる。
例えば今日は雨である。
洗濯できない、釣りに行けない、寒いなど、不満をあげることは確かに出来る。
が、私の捉え方はそうではない。
「雨なら雨で家の中でゆっくり何か作ったりブログ更新したりできる。みんなもゆっくりしてるみたいだ。なかなかいい日じゃないか。」
「釣りに行きたい…!」という衝動が出てくることはあるが、不満に思うというレベルではない。

我慢(=感情や衝動を押さえつける行為)はよろしくないのだなあというのが率直な思いである。
もちろん法律やルールは守らなければならないから、必ずしも思いのままに動けるとは限らない。
だが、最大限許される範囲で自分の願いを叶えに行くスタンスは大切だと思っている。

リラックスしてみよう

実は「3日後引き寄せ日記」の趣旨も「安心しよう」ということ。
とにかく力を抜く。それだけである。

願望実現の理由が今日の記事のことだとは断定できないが、試してみる価値はあるのではなかろうか。
読者諸賢も是非やってみて欲しい。

*1:全てが偶然、運が良かっただけ、なら理由がないこともあるかもしれない。だが私は「そもそも偶然なんてない」というスタンスなので、そう主張されても反論するだけである。論拠を示すのが難しいが。