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引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

自分が「真に」願うことは何か 追記

後編の中身がタイトルから逸れてしまったので追記。
以下の2記事の続きです。

その願いの奥にある「真の願い」

上記「後編」の中で「条件が揃ったという仮定でもこれだけしか叶えたいことがない」と書いた。
これはちょっと誤解を招く書き方だなあと反省したのだが、物欲、1回の達成で満足できることは省いている。
今はこの手の願望も書き出した方がいいような気がしていて、思いつくままにひたすらリストアップしている状況である。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

この仮定は、そういう願いと「真の願い」を区別するためのものである。

今現在欲しいものがある。行きたいところがある。それはごく自然なことだ。
そういった「欲」を抑えることが美徳(清貧思想とか)みたいな風潮があるが、欲があるからこそ人生は楽しいのである。抑える必要はない。
だが、この手の欲は達成を永続させること(常にその状態を維持すること)はできない。
「ものを得る」感動というのは基本的に1回きりの体験だし、「どこかに行く」というのも繰り返しで満足度は下がる*1

その奥に自分が真に望んでいることがある。
自分に質問することでそれを見えやすくすることはできるが、基本的にはひたすら叶え続けるしかない。
叶え続けて叶うことが当たり前になり、安心し満足する。と同時に物足りなさも感じる。
例えるなら、平日は「時間が欲しい、週休2日じゃ足りない」と思っているのに、いざ長期連休になるとそれほどやりたいことが浮かばない、といったところであろうか。

大切なのは「達成」ではなく、「達成し続ける=その状態である」こと、満足感を永続させることだ。
それを実現してくれるのが「真の願い」と私が呼んでいるものである。

叶えることを選択しよう

叶えられる願いははすぐに叶える。まずはこれだ。
この観点で考えると、ライトな物欲や食欲なんかはふさわしいのではないかと思う。
「節制が大事」と思うかもしれないが、その節制の先に自分の幸せはあるだろうか。
とはいえ、どうしても抑えなければならない場合もあるだろう。そういう時は、妥協ではなく「自らそれを選択した」と思うようにすれば良いかと思う。

「仕方ない(お金がない・時間がない・能力がない)からこうした」という他責はダメだ。
そうやって「幸不幸を他者に決めさせる」ことを自分が選ぶことは、自ら「思い通りにいかない人生を選択している」ことに他ならない。

また、労の多いことを厭うのもやめた方がよいのではないかと思う。
理想の人生として「不労所得を得て何もしないで暮らす」なんてイメージがあげられることがあるが、この状態で一生を送ることは不幸の極みである。
(先ほどの仮定なんかはまさにこれ。)
これは「生命の保証はするが、それ以外に何も与えない」と言われているのと同義だ。
朝起きてご飯を食べて、その後はどうするだろう。
本を読む?ゲームをする?全てが簡単に与えられてしまっても、その興味は続くだろうか。
不足というのは、思いの外生きる意欲に寄与していたりする。だから不足も否定しないことだ。

結局「幸福」というのは、「自分がしたいことを自ら動いて叶えること」なのではないかと思う。
だからどんどん叶えることを選ぼう。
それがどんなに些細なことでも、常識はずれなことでも(違法なことはダメだが)、手間がかかっても、自分が楽しい、嬉しいと思う方に行こう。
不足感はどちらに進めばいいかを教えてくれるシグナルである。
叶えることを選び続ければ、いつしか景色は変わっているのではないだろうか。

*1:そもそも「行く」と言う表現自体が「常時そこに滞在する」という意味を内包していない時点でわかるはずだ。