引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

自分に「叶えていい」と許可を出すのに半年かかりました

ATAOの財布の時も思ったはずなんだ。
値段とか考えて選ぶのではなくて、自分が本当に欲しいものを買うとものすごく幸せでまったく後悔しないって。

なのに何で学習しないかな私!!

…ということで。
ようやくLenovo Yoga Bookを買いました。
思ってたよりずっと早く届いて、今まさにこの記事をYoga Bookで書いてるところ。楽しい。

今日は「叶えることを自ら拒否してしまう」ことについてちょっと考察してみようかと思います。

自分に関する出費は「わがまま」という謎認識

最近友人に祝い事がありまして。
めでたい!素晴らしい!!ってことでお祝いしたんだけど、当然そこそこお金がかかりました。
でも、出すことにためらいはなかったんよね。

ところが、自分に関する出費はそうはいかない。
祝い事の出費の1/10以下の額でも、「それほんとに必要?」「もっと安いのあるんじゃないの?」「なんで欲しいの?」「ほんとに買うの?」とか、色々出てくる。
それこそ重箱の隅をつつくようになことまで…我ながら良くそこまで考えつくよなーあと思う(笑)

私は「お金を使う」ということ自体に抵抗があるわけではない。
(正確には、昔はひどかったけど最近かなり改善されているという状況)
どうやら「私が私のためにお金を使うのはダメ」とジャッジしてるらしい。
「そんなことにお金を使うなんてわがまま」とか。

私の人生は私のものなのに、これは何なんだろう。

謎認識の理由

この謎の認識が生まれる理由、心当たりは山ほどある(笑)
子供の頃の以下の経験(感覚)が元凶かと思う。

・自分の100点より兄弟の70点の方が母親にとっては価値がある
・同じことをお願いしても自分はダメで兄弟はOK
・成功しても評価は現状維持、ミスったら減点
・理不尽なことでも我慢しなきゃいかん(反論したら逆ギレされる)
・頼れるのは自分だけ

こういう経験すると、「自分には価値がない」「必要とされるのは自分の能力であり、自分の感情は無視される」「役に立たないと居場所がなくなる」「怒ったり逆らってはいけない」「自分の話は聞いてもらえない」とか、普通に思うようになります。
だいぶ抜けたけど、いまだに根っこは残ってるかなー。

結局のところ、自分で自分を肯定できてない(=評価が低い)から「自分のためにお金を使うなんてわがまま」なんて感覚になるのだと思う。

対処法

対処として取った方法は2つ。

①自分の感情を全肯定する
欲求のまま行動する

①はいわゆる「自愛」というやつですね。
自分に価値がないと思う、まずそう思うこと自体を受容する。
決して「価値がないなんてなんで思うの?何でもできるし褒められるし、そう思い込んでるだけやん」とかやらない。
確かにそういう状況によって得られたものもあるし、状況や他人を「悪」とするのはおかしい。
けど、そう思っちゃうということ自体は私にとって紛れも無い真実。だからそこは認める。

自愛の方法として、最近読んだ「宇宙はイケメン彼氏」のやり方(キャラ設定の仕方)は結構参考になりました。

文字数少ないのですぐ読めます。
表現を尽くして少しでも具体的に書いてほしいって人には物足りないかな。
3日後日記がはまった人なら良いかと。
作者さんのブログまとめなので内容はブログからも読み取れるけど、なかなか探しにくいので本の方がおすすめ。

②の欲求のまま行動する、これは①をやってからがいいかなーと思います。
じゃないと罪悪感とか湧いてきちゃう。
自分に優しくしてるつもりでも、心地好くなければ不正解。
叶えても罪悪感を感じないやつから攻めましょう。

トイレ行きたい→すぐに行く
チョコ食べたい→すぐに買いに行く
ゲームしたい→帰ったら即やる
眠い→ベッドへGO!

以上は最近私が実際にやったことです(笑)
これだけでも割と満足しちゃう。
必ずしもお金や時間をかけることはなくて、求めてる→叶った!の流れを認識して満足できれば良いのかと。
「ある」を認識するとほぼ同義かな。

案外自分が敵になってたり

そんなことあるわけないって思うかもしれないけど、実は自分を1番認めてないのは自分なのかもしれない。
ってことは、そこをクリアすれば見える世界はもっと変わるのかも?
「意識が世界を作っている」という認識が当たり前になるところまでは来てるから、あとは内観して現実に何が反映されているのかを見ないといかんのかなー。

観察、そして自愛!

あとは自分がドラマの主人公ではなく、ドラマを見ている人だという感覚、これを忘れないように。
どっぷり浸かれば現実に翻弄されるのは当たり前。
超高機能VR、現実ってつまりはそういうことだよね。