引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

【自由開放】願い事帳

「たくさんの観測者がいるほど世界はその方向に動きやすくなる」
と私は考えている。

lucky pig

例えば自分のツイッターやブログで「○○が欲しい!」「○○さんと結婚したい!」など、素直に書ければいいのだけど、実際はリアルとつながってるアカウントだったり、そもそもツイッターもブログもやってないなんて場合、家でこっそりノートに書いたりすることが多い。私もオープンにしにくい大半の願いはそうしている。
唯一オープンにしているのが物欲に関してだけど、これの実現率、実現速度が尋常ではなく早い。
そんな経験といろいろな本に書いてあることがつながって、冒頭の結論に行き着いた。

…とまあ、御託はこの辺にしておいて。
コメント欄を使って願い事を書く→みんなに見てもらう→現実化の加速を狙う
というのをやってみようと思います。

そんなに厳しく検閲する気もないんですが、倫理的にいかんと判断できるもの(=直接的に他者危害原則を侵すもの。不幸になれとか別れろとかね)は消しちゃいます。
あくまで「自分が主語」でね。
あと個人名記載とかのプライバシーを侵害するもの、政治・思想系の書き込みも消します。
個人は特定できないように、且つ読んでいる人が詳細想像できるように、が良いかと思います。

引き寄せの現実化のコツがちょっとわかったかもしれない

どーもどーもこんにちは。
また久しぶりの更新となってしまった。
文字数少なくても書くのに1時間以上かかるから、忙しいとほんと更新できんのよね…
って、こんなの言い訳だな(´・ ω ・`)

それはさておき、最近引き寄せの現実化が加速しております(*´罒`*)
具体的には
・給料上がった(さらに上がるかも)
・仲良くなりたかった人たちと飲み会できることになった
・私をもやもやさせる人が悪意を送ってこなくなった
・欲しいものが手頃な価格で手に入った(Bluetoothスピーカーとか)

などなど。
割と前から願ってたことなので、ここに来て一気に動き出したのにちょっと驚いている。

ここで皆さんが気になるのは「何をしたか」ということだと思う。
一言で言えば、「脳内に嫌な思考が入る隙間をなくした」というところだろうか。
ちなみにアファも努力も必要なかった(少なくとも私にとっては)。

具体的に何をした?

では具体的に何をしたのか。
答え「エド・シーランの『What do I know』を常に脳内再生(なんなら小声で歌う)」
スピ系っぽさ皆無で拍子抜けした方いたら申し訳ない(笑)

この曲↓

「÷ (ディバイド)」というアルバムに入ってます。
「Shape of you」とかが有名で隠れがちだけど、名曲だと思うなー。

この曲と「Castel on the hill」を車で爆音で流して歌う→仕事中も脳内再生 という生活をしてます。
先週末にようやくiPhoneに曲を移動して聴けるようにしてからだから、丸1週間くらいのうちに色々変化の兆しが出てきたことになるかな。
自分でもびっくりしている。

ついこんなこと考えてしまうくらいには驚いたんですよ、マジで。

何が良かったのか?

理由がないと納得出来ない!そんな方もいると思うので、何が起こったのか考察してみることにする。

常にいい気分でいられる

私は音楽は結構好きで、何か聴きながら作業するのが1番捗るタイプの人間だ。
勉強中も基本音楽を聴きながらやってきたが、さすがに仕事中は難しいので、脳内再生で妥協している。
とはいえ脳内再生も常にできるわけではなく、自分にがつっとハマる曲*1でないと難しい。脳内再生できるくらい聴き込む前に飽きてしまうというのが正しいかもしれない。
だが、一旦脳内再生できる状態までくると、暫くは楽しいままでいられる。
昨日までしんどいと思っていた仕事も、びっくりする程なんとも思わない。
悪意、敵意なんかも割とスルーできるし、モヤっとしたらまた脳内再生モードに戻せばいいだけ。
結果、引き寄せメソッドとして良く言われる「常にいい気分でいる」を体現できたのではないか。

実はアファの効果あり

毎日歌ってるので、実はアファの効果もあるのではないか。
この曲、歌詞に「Love,understanding,positivity」= 愛と理解と前向きな姿勢 なんてのが含まれてる。
「Love can change the world in the moment」= 愛は一瞬で世界を変えることができる とか。
別にアファするつもりで歌っているのではないので、苦行感は一切ない。これもまたいいのかもしれない。

余計な思考が入らない

脳内再生することで、余計な(望まない方向の)思考をする時間が減った。
個人的にはこれが現実化を1番加速させた要因なのではないかと思っている。

今までのことを考えても、曲の内容問わず、脳内再生して自然と口ずさんでいる状態の時は、ものすごく物事の展開が早く、且つ望み通りだった。
これは逆に普段の生活でいかに思考をコントロールできていないかという証明でもあるし、脳内再生という手段にこだわる必要もないということだ。
「望む方向にフォーカスする」は、引き寄せにおける大原則であることの証明とも言える。
(実験母数が1で、しかもデータが主観的になってしまうので、「証明」なんて大風呂敷を広げるのはちょっと言い過ぎか?)


少し話は逸れるが、「望む方向にフォーカスする」という観点で、この本が面白かった。

かずみんさんという方で、ありえない妄想をしてニヤニヤすることで、それを現実化しようというやり方を提唱している。
ブログもあるので気になる方はまず見ていただければ。


原理原則を押さえて、自分にフィットしたやり方でやろう

音楽脳内再生なんてのはあくまで私のやり方であり、絶対ではない。
やってる事の原理原則を理解すれば、やり方なんて何でもOK。
かずみんさんの妄想法を選んだって、きっと同じ効果が得られるはず。

1番いいのは、やはり自分に合うやり方を自分で見つけることかと思う。
性格や好み、分かっているのは自分自身なんだから、人の言う通りになんかする必要は無い。

毎回書いてるが、「コンサルして願いが叶う方等教えます」なんて言ってくる輩には、逆に警戒すべし。
引き寄せ界隈では色々な肩書きを見るが、基本的に全て「自称」や「民間資格」である。
そもそも「効果保証」 は法に引っかかる気がするのだがどうだろう。

何度も繰り返すがら自分を変えられるのは自分だけである。
だから「成就率100%」などに踊らされないように…*2
そういうのにお金を使うくらいなら、週末1泊温泉旅行とかに行った方がよほど癒されるし効果があるはず。経済も回る。
占いは私も好きだが(第六感的なものはあると思うので)、これも程々が吉、かと。
占いにコントロールされてはいけない。

最後話が逸れたが、音楽好きな人はポジティブな曲を選んで「脳内再生法」を是非試して見て欲しい。

*1:曲の感じが好き、歌いやすい=音域があってる、歌詞が好き など。割とハードル高め。

*2:リツイートしてくれたら遠隔で気を送ります」みたいなのもあまりおすすめできない。「欲しがるエネルギー」が集まるから、余計に「欲しがる」状況を自分の世界に呼び込みそうな感じがする?直感なので論拠はないが

嫌いな奴は「嫌い」でいい!

生きていれば当然望まないこともやってくる。
例えば嫌いな人と関わらなきゃいけなかったり、面倒な仕事を押し付けられて手柄だけ持ってかれたり、お釣りごまかされたり。
ちなみにこれは全部今日の私の話。何なのマジで。

だけど怒ったりしない。
嫌いなあの人にだっていいところはあるはず。
仕事を振ってきたのは忙しかったのかもしれない。
お釣りごまかされたのはその場で確認しなかった自分も悪かった。
そう、心はつねに寛大に!視野は広く!!

…何てできるかーい!!!ヽ(`Д´)ノ

できるわけないんですよ、人間なんだから。
なのにそういうことを要求されるようになっている。
そんなん「やったもん勝ち」やん?おかしいやろが!

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不快な感情は我慢する必要はない


でもそういう「嫌い」や「不愉快」にも意味はあって、それを味わうからこそ逆の価値(ここでは「好き」と「居心地いい」かな)もわかる。
別に我慢しなきゃいかんものではないのです。
むしろ存分に怒り、罵倒したらいい気がする。真面目*1な人からは怒られそうだけど(笑)

ただ、SNSとかで言うのはオススメしない。
それは周りの認知があなたの世界に影響を与えるから。

だいぶ端折ってるので、全部読みたい方はTwitter参照でよろしく。

最近、「周りからどう思われるか」っていうのが、割と自分の世界に影響を与えている気がしている。
リアルではもちろん、あったことのないネット上の知り合いの持つイメージすら、私の世界の一部を創っているのではないか。

それはもちろん「SNSにはキラキラした投稿をしないといけない」なんてことは意味しない。
むしろ「自分の好きを発信しよう」とか、「評価は気にせず、楽しかったことを投稿していこう」とか、自分にとって自然で、且つ自分が望む姿をみんなに見てもらい、その認識の力を使って自分の世界の変化を加速させようというものである。
ただし、「優越感に浸るためにやる訳ではない」ということを肝に銘じておかないと、逆に望まない方向に進んでしまう可能性もある。
目指すのはエネルギーの搾取ではなく、お互いがお互いの世界の変化を加速させる協調。「自分さえよければよければいい」の精神とは対極のもの。

我慢や無視こそ1番の害悪

とりあえず今日言いたかったのは、
怒りも悲しみも、抑える必要など全くない!!むしろどんどん発散して、対極にある価値の素晴らしさを再発見しよう!
そして、どっちの価値も「悪い」わけではなく、単に「対極」にいるだけということを理解しよう!
ということだ。

過度の我慢、抑圧が1番よろしくない。
それは引き寄せだけではなく、心理学などでも言われていること*2である。

さて、今から罵詈雑言を並べてやるか。
そして、優しくしてくれた人たちには最上級の感謝を。
嫌いは嫌い、好きは好き。それでいいのだ。

*1:この「真面目」なんて価値も曖昧なもんです。すべての概念がすっごいふわふわしたものなのに、なぜ人間は(自分含めて)縛られるんだろう。

*2:過度の抑圧が多重人格を生む など。興味がある方は調べていただければと思う。

自分の願いを叶えるのが最優先!!

GW、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
お仕事の方も当然いるよね。ご苦労様です。

私は9連休だったりするんですが、ちょっと買い物に行ったり断捨離をしたくらいで、これと言って大したことはせずに終わっていきそう。
ゲームばっかりしてるけど、おかげでようやくモンハンのラスボス倒すところまで行けた。満足。

こんな過ごし方をしていると、「9連休もあるのにもったいない!どっか旅行とか行けばいいのに!」とか、「ゲームばっかしてないで、本とか読みなよ」とか、そういう余計なことを言ってくる輩も出てくる(もしかするとそれは他人ではなく、自分の中にいるもう一人の自分かもしれない)。
結論から言うと、そんなもんは全スルーでOK。好きなことしましょう。
大抵「常識」とか「社会的な善」を盾にごにょごにょ言ってるだけで、当の本人もそれ以上にの思想は何も持っていないことが多い。

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どちらの価値が高い?

何かを選択するとき、大抵の人が「選択肢のどちらに価値があるか?」を考えているはずだ。

例えば今日の晩御飯。
「牛肉ですき焼とかおいしそうだけど値段…。豚バラ安いし、買って焼肉にしようかな。」
(↑私がよくやる選択(笑)豚バラ×大根おろし最高。)

ここで価値が高いのは「おいしくて値段が安いもの」。
じゃあこんなのはどうだろう。

「今日は!絶対に!うなぎを!食べる!!」

こういう日ないですか?疲れてるときとか特に。
ほんとにここのうなぎめっちゃうまかった…絶対また行く。

ここで価値が高いのは「うなぎ」。
好きなもの色々あるけど、この瞬間はうなぎ以外全部ダメ。
値段?そんなん二の次でしょう!!
破綻しない範囲なら、割と何に使ってもいいと思ってる。
(「経済を回してるからOK」なんて理由付けも不要。自分を満足させるためにお金を使うの、なんで悪いの?)


長々と書いたが、ここで伝えたかったのは「価値基準とは変動するものである」ということ。
「食事」という凄く限られた視点で語っても、「値段/おいしさ/栄養」などの個々の要素をどの程度優先させるか、それはその人次第なのだ。
そんな曖昧なものに決まった「正しさ」を求めること自体に無理があるのに、世の中では往々にしてそれが行われているのだから恐ろしい。
それが冒頭の「休みは旅行にいくべき」「ゲームはくだらない、本は素晴らしい」みたいなコメントとして出てくるわけだ。

「好きなものよりコスパいいものを買うのが賢い」という呪詛

ちょっと話は変わるが、皆さんは「コスパがいいもの」は好きだろうか。
ちなみに私は大好き(笑) 質/量/値段、このあたりのバランスを取って買い物をすることが多い。
だがそれは「それ以外の価値基準では私にとって同価値」な場合、端的に言えば「これが欲しい」という欲求がどれに対しても湧かない(もしくは同程度)場合のみの適用だ。
コスパが悪くても、欲しいものがあればそちらを優先する。

そんなの当たり前でしょ?と思うかもしれない。
だがそれができない人間もいるのだ。まあ昔の私だったりするわけだが。
子供のころ、誕生日プレゼントですら欲しいものを素直に「欲しい」と言えなかった。
結局、「これでいい」と言って、安い仮面ライダーファミコン選んだ記憶がある。まあ結果的にはそのゲームでめっちゃ遊んだけど。

何でこんなことが起こるのか?
要因は色々あるだろうが、「自分に価値がないと思っている」ことが大きく影響しているのではないかと思っている。
上記の例だと、
自分に価値はない(もしくは価値が低い)と感じる→こんな高いものを買ってもらうのは悪い→妥協→満足できない→ネガティブになる→自分に価値はないと感じる 
というループにはまる。
子供の頃の満足の比率がもう少し高ければ(ほんとに嬉しかったの、両手で足りるくらいしか記憶ない…)、もうちょっと素直にお願いできる大人になってたかなーとも思うが、まあこれはこれで必要な経験だった気もする。しんどかったけど!(笑)

コスパを追求するのはいいんだけど、それを最優先にするのはお金に自分の人生の主導権をあげているようなもの。
そういう状態は、はっきり言って楽しくない!
私たちはお金を貯めるために生きているわけではないし、自分の望みを叶えるためにお金を使うのは全然問題ないのだが、どういうわけか「節約」「コスパ重視」の価値が高いと思わされるようになっている。
最優先すべきは自分の感情である。「節約」・コスパ重視」などのその他の基準が1番になってはいけない。
(ただし、経済的に破綻するような極端な欲求は例外。そういうものは何かの代替であることが多い。ex:高級車GET=みんなから羨ましがられる ←本当の欲求は「評価されたい」)

いい気分でいられることを選択し続ければ最強!

このブログでは再三主張してるけど、人生を幸せにし、引き寄せの流れに乗るためにも大事なことなのでもう一回書いておく。

大事なのは自分がいい気分でいられるものを選択すること。
今、この瞬間が「幸せ」になる選択を一生続ければ、幸せ以外が入り込む余地はない。

これは決して刹那的・短絡的に生きるということではなくて、長期的な視点で健康・家計・スキルアップなどを考えることは全く矛盾しないんだけど、「今、この瞬間にフォーカス」することを逃げ口上にしている人がたまにいて、「あー…」という気分になる。
「嫌を避ける」≠「いい気分を選択する」だし、「今」にフォーカスして自分の欲求を優先すると、むしろ苦手なことどんどんさせられる流れになったりする(ただし苦行感はない)んだけどな…
まあ逃げることすらもその人の意思だから、私は何も言わないけど。
とりあえずグチ相手・ひがみ対象にされる前に距離は置く(笑)

あと念のため書いておくけど、他人に危害を加える欲求は実行しちゃダメ。
法律的にも倫理的にも引き寄せ的にも。
この手の願望も何かの代替の場合が多いかな。


このGW中、是非「自分が満足すること」をなんでもいいのでやってみてほしい。
掃除する、ゲームする、ゆっくり寝る、おいしいものを食べる、欲しいものを買う などなど。
お金なり時間なりコストはかかるけど、まずはそのコストを負うのが苦痛じゃない程度で。
そしてできればそれを習慣化、さらに他のこともやってみる。
まずはお試し1ヶ月!その後何が起こるかはお楽しみ。

引き寄せても受け取らなかったら現実は動かない

どうやら変化の時期らしい。

急に「かわいくなりたい!」と思ったり、家の中の片付けしたくなったり。
こういう思いつきで動く時は、大体うまくいく。
今の会社に入ったときも、未経験で後先考えず入ったら適性バッチリだったし、引っ越しも即答で決めたし、自分の欲求や衝動に素直になると、大体満足いく結果になる。

だけど、やっぱり理性が邪魔をする。
例えばすごく気に入って欲しいと思ったものがあったとしても、「もっと安く買えるかも」「ほんとに必要か?」とか考えて買わなかったり*1、「お金を使うことは悪」みたいな価値観すら持っていたりする。
(お金の話はまた別途しようと思うが、そもそも何故「お金を貯めなきゃいけない」と思っているのか、私も含めて自分でわかってないことが多い。すりこみは怖い)
何かしたい!」という衝動は世界からのギフトである。
それ生かすも殺すも自分次第なのだ。

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ギフトを素直に受け取れるか?

このブログを読んでいる読者諸賢なら、「引き寄せは直感という形で現れる」なんて話はすでに知っているだろう。
望むことそのものが引き寄せられるというより、望む出来事につながる行動が引き寄せられる。
頭で考えること(=出来事の合理性・経済的なメリットなどを考えて行動の可否を判断する)は、引き寄せの妨げになる可能性がある。
もちろん常に直感だけで生きればいいわけではないし、私はかなり理性優位で日々を過ごしているが、衝動的に何かしたくなったら、その行動を妨げるような考え方は極力しないよう自分を客観視するようにしている。
(衝動に従うのに客観的にならないといけないというのはもおかしな話だが。それだけ常識や理性の縛りが強いのかもしれない)

そんなわけで、今日はほこりを取るためのはたきを購入した。
100円でも買えるが、雑貨屋さんに売ってたDULTONのものが欲しかったのでそれにした。
あと、新しい化粧品が欲しい気分だったのでアイメイク系、シミ?が気になるのでビタミン剤も購入。
週末にはカットとカラーとパーマ。
散財してるけど、また入ってくるので問題なし。願いを叶えるためにお金を使うのに、咎められる理由はない。
(むしろそれ以外の何にお金を使うのか)

メンタルのエネルギー不足は深刻な問題

今の課題は、直感的に何かしたいと思っても、「面倒だな」に負けてやらないことが多々あること。
これは行動するエネルギーが不足しているのだと思っている。

エネルギー不足 : 補充 < 消費
メンタル的なエネルギーも、単純にこんな図式になっているのかもしれない。
補充少 → 掃除不足 自分の時間の不足
消費大 → 多忙 他人からの念(ずっとこちらを見てくる気持ち悪いやつがいる…跳ね返したい)
このあたりを改善すればもっと軽く動けるようになるのかと。

掃除は手軽にできるデトックスである。

メンタルのエネルギー不足改善の方法など
mentalworld.hatenablog.jp
mentalworld.hatenablog.jp

*1:世間ではいわゆる衝動買いを「失敗」ということが多いが、自分が「欲しい」と思った時点で叶える価値があるのではないかと私は思っている。もちろん破産しないレベルでの話だが

形を整えるだけでは幸せにはなれない(後編)

二部構成記事。まずはこちらを。

概要をまとめると、「自分の幸せのために人から搾取する人間が多い。そういう人間とは極力関わりたくないが、どう対応したらいい?」というところか。
特に私の職場はそういうタイプの人間の宝庫である。
マウンティング、責任のなすりつけをする者が力を持ってしまっているので、企業として衰退気味なのは無理もないのだろう。

angry cat

あなたの行動によって生まれたものはあなたが背負うことになる

まず言っておくが、私は搾取する側の人間を断罪したいわけではない。
そういう生き方をするのは個人の自由である。
ただその責任(経済的な面だけではなく、人から恨まれたりという精神的なものも含める)はきちんと負うべきだと考えている。
どちらかと言えば、責任からは逃れられないと言った方が正しいかもしれない。

私は恨んだり怒ったりは極力避けたい。
自分の人生を楽しむために、多くの他人と楽しく過ごせる関係を作りたい。
だからこそ、この手の搾取系の人間との関わりを避けたいのである。
搾取する人間が1人いるだけで、集団は崩壊する。
そのことは今の私の職場の現状が如実に語っている。

幸せになるにはどうしたらいい?

幸せというのは、結局「自分が幸せに感じる」以外の何物でもない。
もちろん想定外のサプライズな喜びもありえるが、基本的には「自分の望みが叶う」ことが幸せな感覚に直結しているのではないかと思う。

例えば「あれが欲しい!」という願いに対しては、手に入った瞬間が「幸せ」となる。
でもその幸せは割と短期間で収束していく。
*実はこれは「手に入れる過程」を楽しんでるだけなのかと考えるが、話が逸れるのでこの話題はまた次の機会に。

自分が何を望んでいるのかを見出すのは案外難しい。
何せ情報が多すぎる。
欲しくないものも欲しいと思わされる、自分にとって価値がないものもキラキラ見えるように細工されている。

そういうものに踊らされるのもまた一興、と考えたりもするが、私は割と早い段階で飽きてしまった。
個人的には、テレビを消すことでいらない情報の大半を削ぐことができるのではないかと考えている。
ネットも漫然と見るのは良くないだろう。
その状態を数日キープしてから本屋に行くと、自分の興味が際立つかもしれない。
アプローチが全部活字だから、情報の体裁による差がない。
純粋に「対象への興味」のみで自分の「欲しい」を確認できるのではないだろうか。
そうやって残ったものの中に、自分の「幸せの素」は潜んでいるはずである。

自分の「幸せ」はどこにある?

世の中にはたくさんの人がいて、それぞれ独自の性質を持っている。
だから本当はどんな性質でも、その存在は受容(それに対して自分がどう思うかは別問題)するのが筋である。
搾取する人間もは受容した方がいいのだろうが、残念ながら私にそのキャパはない。
それは神様とか仏様にお任せするしかないのだろう。

今の社会は様々なことを「常識」で線引きし、その枠に入らない人を弾いてきた。
恐らく、常識の枠内には自分の幸せが存在しない人もいるだろうと思う。
そういう人は、必然的に枠外を目指すことになる。
最近は常識の枠が広がりつつあるので、とても喜ばしいことだと思う。

自分の幸福が他者を害する(具体的な攻撃はもちろん、意思や存在を無視するとかも含む)こともあるかもしれない。
だがそれは「幸せ」ではなくて、不安や不足感から来る補填行動なのではないかと考えている。
あなたが「自分の幸せは常識の枠内になさそうだ」と思った時は、その幸せは本当に望んでいる最終形なのか、何かの代替ではないのか、是非一考していただきたいと思う。
間違った方に進めば、余計に不幸に近づくだけであろう。

自分のままで生きることは未来につながる

嫌なことは幸せの対極にあるものの1つである。
ところが、世間では嫌なことを飲み込むような態度を「大人」と評している。
つまり、「大人=我慢が多い」ということであるが、そんなものになりたいと思うこどもはいないだろう。
大人はこどもに羨ましがられないといけない。
「大人すごい!早く大人になりたい!」と思わせないと、生きることに希望が持てない。
そのためには、やはり個々が自由で幸せになるのが1番である。
自分のままで生き、幸せになることは、一定以上の年齢層からは「常識がない」「大人の自覚がない」などと揶揄されるかもしれないが、こどもの指標になるのは間違いなくこちらのタイプである。
「Youtuberになりたい」がこどもの夢として上がるのも頷ける。

形の決められた幸せを追うのではなく、自分のままで生きることが、後世への貢献になると私は考えている。

形を整えるだけでは幸せにはなれない(前編:他人との関わり)

ついに12月。今年も残り1カ月を切った。
私は早々に忘年会ラッシュに入りまして、すでに1回済み、今週2回、来週1回、再来週1回は確定。
忘年会って普段あまり話さない人とも話せて楽しいのだが、中にはあまり知りたくないドロドロした話もあったり…
引き寄せには直接関係ないかもしれないが、今日は「世間の理想形≒個人の幸せ」について一考したいと思う。
長くなりそうなので前後編で。

swan family

仲良し家族だと思ってたのに…

前の仕事が割と家庭の内情とか知ることのできる業種だったこともあり、「夫婦+子供」の一見幸せそうな家庭でも、実はお父さんが浮気してたり、お母さんが虐待してたりとか(然るべく対応済)、そういうことがままあるのは知っていた。
それでも、そういうものはレアケースであり、たまたまそういう話の多い集団に関わってるんだと認識していた。

だが、どうやらそれは違ったようだ。
家族で色々遊びに行ったりしている、仲良しに見える家族でも、当たり前にそういうことあるということを知った。
最近既婚友人(女性)が「彼氏がさー」と当たり前のように言っており、衝撃を受けた。
子供もその存在を知っている(どころか、会っている)らしい。
離婚をする気はないようだ。
旦那さんとはそれなりにうまくやってるように見えるのに、実は「家族」という形をしているだけで、頓着がないらしい。

#クソ男オブザイヤー2017 がひどい

ツイッターで「#クソ男オブザイヤー2017」というハッシュタグがある。
今までにあったロクでもない男性の言動をさらしているタグだ。
私の元彼も大概クソ男だと思ってたが、全然甘かった。
全部が真実だとはもちろん思わないが*1、ほんとに女性を何だと思ってるんだっていうような話ばかり。
ざっくり俯瞰すると、性欲を発散するためならなんでもする、努力しないで周りを否定して自尊心を維持しているという感じ。
浮気はする、でも彼女もキープしておきたい。
避妊しない、かと言って子供ができても養育なんて一切考えてない。
自分が怒られると「俺は悪くない」と逆ギレするらしい。

他人とは?

こういう人達にとって「他人」って一体どういう存在という位置付けなのだろうか。
自分の都合よく動くのが当然だと思っているようにみえる。

ツイッターには書いたが、人の意見を聞かずに「とにかく俺が正しいから従え」と言ってくるアホなおっさんに徹底抗戦してる最中である。
(戦い始めてすぐに決別することを決めたら、最近相手の異動が決まった。やはり決定することは大切だ)
この人は昔から搾取してくるので腹が立っていたのだが、怯まず歯向かう、そして相手の言いなりにならずにこっちから相手を拒絶するまでやったのは初めてである。
まあ大人だし仕事だし、常にそんな態度を取るわけにもいかないのでそれなりに対応はしてはいるが。

私は「自分より他人を優先する」という姿勢は間違いだとと考えている。
それでは自分の人生を生きているとは言えない。
自分の感情も意思も自分のもので、他人にとやかく言われ筋合いはない。
ただそれは他人も同じであって、自分が他人をコントロールしたい、思い通りに動かしたいなんて思うのは、個人の自由の範疇を超える。
前項で例に挙げた人たちも、結局は自分の欲求を満たすために相手の意思を無視する人達なんだと思う。
もちろん誰にもそういう側面はあるけど、その程度が酷い人。程度酷ければサイコパスか。

こういう人がいる、そしてその数は少なくない。
となると、私は人をどう信用すればいいんだろう。
私のテンションがじわじわと下がるくらいには悩みになっている。

他人に自分の幸せを依存するのはギャンブルかもしれない

となると、恋愛や結婚のような「他者との関係性に起因する幸せ」は、必ずしも「幸せ」になれるとは限らない。
にも関わらず、世間的には「1人はかわいそう」と言われることが多い。
社会的にはカップル礼讃傾向が強いが(そういうモデルを押し付けた方が経済活動がしやすいからだろう)、フタを開ければ「1人の人」の方が幸福度が高いかもしれない。

とはいえ、「1人最高!!」と推すつもりはない。
寂しいときもあるし、不安なこともあるのは否めない。
自由さはある程度保証できるが、それも家計がコントロールしやすいことに起因する自由さで、「1人だから」というわけではないのかもしれない。

後編に続く

*1:ただし似たような話は女性の友人から聞くことがあるので、実際そんなに盛ってるわけではないのだと思う

現実に起こる「悪いこと」は、「自分自身でも同じことしているよ」という合図らしい

最近ツイッターと調べ物以外でネットを使うことがあまりなく、引き寄せ系のブログもほとんど読んでいない状態である。
が、やはり必要な情報は入ってくるようだ。

information

潜在意識を無理に書き換えなくていい

こちらの記事を一読いただきたい。

特に「現実に悪いことばかり起きるのは潜在意識がにネガティブなことが書かれているから!書き換えなければ!!」と考えている方に読んでいただきたい。
そんな無理してやらなくても大丈夫だと気付いて欲しいのである。

このブログの著者さんは、「とにかく感情のまま吐き出すことが大事!」というスタンスらしい。
負の感情に対して肯定的な意味を与えない(すり替えない)。
そう思うならそう思うでOK。そのまま吐き出す(紙に書き出して破って捨てる)
この考え方には、私自身とても共感している。

ブレインダンプもおすすめ

実はこの記事を読む前にも、「溜まったストレスは吐き出さないとダメだ」というメッセージもらっている。

ブレインダンプをするとすっきりするのは、思考のストレスを外部出力して脳のメモリー増やすからなのだと考えている。
人間の脳は高性能なパソコンである。
少しでも頭に浮かんだことは、きちんと自分で終了させない限り、バックグラウンドで稼働し続け、エネルギーを消費している。
だからこそ一度にたくさんのことを抱えると疲れるし、雑然とした環境にいるだけでも集中力がなくなるのだ。
外部に出力することは、恐らくあなたが想像している以上に重要である。

ご紹介したブログは他にも色々参考になることが書いてある。
是非他の記事も読んでみていただければと思う。

断捨離が引き寄せ率を上げる理由がわかった気がする

引越しも一応終わり、新居で生活し始めてもうすぐで2週間。
いやー、新居いい。
きれいでおしゃれな感じではなく、いなかのじーちゃんばーちゃんの家のイメージが近い。
動線効率とか考えられてないスイッチの配置とかめっちゃ不便だけど(笑)

しかし1つ大問題が。

片付かない!!

いやほんと、びっくりするくらい散らかったまんま。
やばいやばい。

なんせものが多いんだ。
趣味系とか素材系とか。
もう数年使ってないのになー。うーむ。

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捨てられない=手に入らない が前提

捨てられないのは「捨てたら損しそう」って思いがあるから。
その感覚って、基本が「ない」に置かれてるからこそ生まれるもの。
何でも「ある」なら、今目の前から消えてもまた取り出せばいいだけの話で、捨てることに抵抗ないはずなんだよな。

断捨離すると「捨てること」への抵抗感を自覚できる

断捨離が引き寄せ率あげるの何でやろ?って思ってたけど、上記の感覚を自覚した後、捨てることで払拭できるからなんだな、なるほどなるほど。
所有(独占?)ってのは「ない」に立つ行為なのかもね。
潤沢にあって当たり前なら、共有することに何の抵抗もないし。

あと、素材系を捨てられないのは、「作りたいけど作っても否定される、けどやっぱ作りたい」って葛藤を反映しているのもあるかも。
今年の冬は色々作るかな。
そんでメインブログで自慢するか(笑)

そんなことを思った昼休みでした。

どうやら新たなステージの始まりらしい

みなさんこんにちは。雨の日曜いかがお過ごしですか。
前回更新からちょっと日が空いたかな?
この間に色々あったんよねえ(笑)

ツイッターフォローいただいてる方はご存知かも知れませんが、引っ越すことになりまして。
いきなり話が来て、月末移動。急すぎ(笑)
ああ、これは何か始まるんだなーという予感がしてる。

引っ越しは転機

引っ越しはこれで5回目。そんなに多い方ではないかな?
今までの移動を振り返ると、やっぱり色々な面で転機となっている。
実家から出たとき、ようやく自分の人生が始まった。
寮から出たときは「無茶する楽しさ」「時間の自由」を得た。
アパートを移動したら、猫との生活が始まった。
特に自発的にそう動いたわけではなく、気付いたらそういう流れに乗っていた。

特に前回に引っ越しは本当にごっそり変わったなー。
彼氏と同棲し、全く経験したことのない仕事に。
まさか数年後に浮気して出て行くとか、かけらも思ってなかったなー(笑)
すぐ結婚するつもりだったからな、ほんとに。
今は結婚しなくて良かったとしか思えないのが笑える。
しんどかったけど、私が一生を共にする人じゃなかったんだろうな。

ステージが切り替わるのかもしれない

これは全く論拠も何もないんだけど、元彼と過ごすのは、私の人生に必要な経験だったんだと思う。
ほんと精神的には底辺レベルの人だったと思うけど(笑)、色々押し付けられたおかげでパソコンスキルや税金関係の知識が付いた。
何より、認識変更(今まで起こったすべてに出来事が、今この瞬間を経験するために必要なことだった)したのが最大の収穫。
というか、あの人が私にの人生に関わったのはこの1点を私に気付かせるため。
なんの証拠もないけど、この感覚は揺るがない。

今回の引っ越しで、このあたりがクローズするんだなーと思っている。
引き寄せの法則(意識が世界を作っている)を理解し、活かせるくらいには体得したと、お墨付きをもらったのかもしれない。
じゃあ何しよう?って話。

最高の幸せは「人に喜んでもらうこと」

こんなこと書くと絶対に「偽善」とか言う人出てくるよね(笑)
でも事実なんだから仕方がない。

欲しいものを得られれば満足。恋人ができたら嬉しい。もちろんそれは私も一緒だ。
でも何だか物足りない。
それよりも、例えば自分の作ったご飯を「おいしい」と食べてくれる、一緒に遊んで「楽しかった」と言ってもらえる、そういうことの方がよっぽど嬉しくなるのだ。

でもこれは「自己犠牲」とか「搾取されること」とは全くの別物。
職場で面倒なことを押し付けてくる人とか、コストのかかることを「友達だから無料でやって」とか、そんなもん全拒否でOK。
基本は「自分が気乗りしないこと」はスルーだ。だって自分が1番大事だし。
自分を大事にしつつ、周りに貢献する。目指すべきはこれ。

そういうことを思いはじめたら、仕事で新しく知識つけたいことが見つかったし、こうやって引っ越しの話は来たし、何だか色々動きはじめた。
もちろんどうなるかなんて全くわからないけど、これからが楽しみ。

最後、全くの余談ですが、引っ越しすると彼氏ができるという個人的なジンクスがあるので、その辺も楽しみです(笑)