先日確定申告に行ったときの話にちょっとお付き合いいただきたい。
ちょっとわからないことがあったので、近くにいたおばちゃん職員(おそらくこの時期だけのバイトさん)に質問した。
そうしたら、聞いたことにはまったく答えずに、見当違いの指摘をされた*1。
結局税務署の職員さんに聞いたら私の言うことが正しかった。
そのおばちゃんは一応謝罪はしたものの、「初めてのケースだったので・・・」と言い訳していた。
これ、私がぶれなかったからよかったけど、初めて確定申告する人だったら間違えて申告させてたかも。
初めてのケースなのに、何で自信満々に言い切るのが謎。
こうやって書くと突っ込みどころ満載なのは自明なのだが、実は私たちも同じようなことをしてしまっていたりする。
今日はそれについて書こうと思う。
思い込んでることはなんだろう
自分が正解だと信じて疑わないことが実は正解ではない、これはよくある話である。
潜在意識板やチケット板などで言われる「認識変更」も、原理は同じだ。
先の話のおばちゃん職員に悪意はない。
彼女は「それが正しい」と思っていたから、私にそう教えてくれただけだ。
それ以外のことが真実であるという発想はない。あったとしても、それは馬鹿げた考えと一蹴されてしまう。
「当たり前」だと思っていることに疑いを持たなければ、認識など変わるはずがないのだ。
今回私が正しかったという事実は、彼女に「認識の変更」をもたらしたはずである。
「認めたくない」というエゴが働いて、色々言い訳していたけど(笑)
世界を信じる
認識変更というのは自分で考え付くものではない。
世界が教えてくれるものだ。
世界とは自分を含めた「認識できるものものすべて」のこと。
問いかければ、世界は何らかの形で答えを与えてくれる。
何気なく見ていたテレビに悩みの答えが示されたり、誰かの言葉を聴いてはっとさせられたり、方法は様々だ。
頭で考え抜くのも悪くはないけど、世界に問いかけたほうが楽。