引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

引き寄せ的には「してはいけない」ことなどない!

書くと言いながらまた久しぶりの更新になってしまった。
今日は自分へのメッセージも兼ねて。

「してはいけない」を決めているのは社会

人間は数々のルールに従って生きている。
それは人間が「社会的動物」である以上仕方のないことである。
最もわかりやすいのは憲法や法律だろう。
例えば、種の保存という観点から、「命の奪い合い」につながる諸々の行為は全て禁止しなければならない。社会の保存という観点から、労働することと支配層に価値を収めること(現代では納税)は義務にしなければならない。
明文化されていないルールもある。これらは常識や倫理観などの「価値観」という形で私たちに刷り込まれている。
家事や子育ては女性の仕事である、男性は泣いてはいけない、先のことを考えて貯金しなければいけない、などなど。
価値観は親から受け継いだり、所属することによって適用されたり、メディアによって作り出されたりする。

だが引き寄せ的な視点でいけばこういったルールはナンセンス。
何のメリットもない、単なる「縛り」でしかない。

ルールはブレーキになる

真面目であれば真面目であるほど、こういったルールは「制限」となる。
そうやって統制するためにルールはあるので、それ自体は悪いことではないのだが、引き寄せ的には「ブレーキ」となってしまう。
(だがブレーキも必ずしも悪いものではない、それはそれで意味があるのだ。全てを排除しようとしないで欲しい。)

お金が欲しいと願っても「お金は悪いもの(清貧思想など)」と思っていれば叶いにくいだろう。
好きな人がいて、その相手にパートナーがいる場合、「不倫・浮気はダメ」と思っていれば叶えられない(好きになること自体は悪くない。相手がきちんと別れてから付き合えば問題ないし、パートナーと別れることに対する決定権を持つのは相手なので、あなたが罪悪感を抱くことはない)。

ブレーキがあるからといって、願いが叶わないわけではないかもしれない。
が、やはり叶いやすさは全然違うのではないかと考えている。

ブレーキがないのは恐ろしい

一見するとブレーキは障害でしかなさそうだが、そんなことはない。
むしろ、ブレーキがあることで「叶えてたら不幸になる願い」をリジェクトできているのである。

たとえば前述した好きな人にパートナーがいる場合、俗に言う「略奪愛」をしてまでその人と過ごすことを本当に望んでいるのか、それとも一時的な感情の昂りなのか*1
ブレーキがかかることによって遅延が起こり、感情の支配から逃れて捉えることができるようになる。

何でも即時叶ってしまう世界は恐ろしい。
嫌なことをされて相手を呪ったり、自己嫌悪に陥って消えたくなったり、そういうものも即刻叶ってしまうのだから。

ブレーキがかかり願いが叶うまでの時間がかかるのは、「願いのクーリングオフ期間」である。
本当にその願いを叶えたいか?叶えていいのか?世界が再考するための期間をくれているのである。
クーリングオフ期間は、自分の感情や願いに敏感になればなるほど短くなる。
だから、自分にフタをして何を望んでいるかわかっていない人ほど叶うまで時間がかかるのだ。

願いに敏感になろう

自分が欲しいているのはなにか、とにかくそれに気付くこと。
書き出したりイメージ化すれば気付きやすくなるだろう。

どんなささいなことでもいいから記録する。
そして自分が真に何を望んでいるかを紐解き、決定する。
そのために諸々の方法論はある。

大切なのは方法の模倣ではない。
その方法を使うことによって得られる効果である。

*1:恋は盲目。後で考えたら「なぜこの人のことを好きだったのかわからないといったことはザラである。