引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

形を整えるだけでは幸せにはなれない(前編:他人との関わり)

ついに12月。今年も残り1カ月を切った。
私は早々に忘年会ラッシュに入りまして、すでに1回済み、今週2回、来週1回、再来週1回は確定。
忘年会って普段あまり話さない人とも話せて楽しいのだが、中にはあまり知りたくないドロドロした話もあったり…
引き寄せには直接関係ないかもしれないが、今日は「世間の理想形≒個人の幸せ」について一考したいと思う。
長くなりそうなので前後編で。

swan family

仲良し家族だと思ってたのに…

前の仕事が割と家庭の内情とか知ることのできる業種だったこともあり、「夫婦+子供」の一見幸せそうな家庭でも、実はお父さんが浮気してたり、お母さんが虐待してたりとか(然るべく対応済)、そういうことがままあるのは知っていた。
それでも、そういうものはレアケースであり、たまたまそういう話の多い集団に関わってるんだと認識していた。

だが、どうやらそれは違ったようだ。
家族で色々遊びに行ったりしている、仲良しに見える家族でも、当たり前にそういうことあるということを知った。
最近既婚友人(女性)が「彼氏がさー」と当たり前のように言っており、衝撃を受けた。
子供もその存在を知っている(どころか、会っている)らしい。
離婚をする気はないようだ。
旦那さんとはそれなりにうまくやってるように見えるのに、実は「家族」という形をしているだけで、頓着がないらしい。

#クソ男オブザイヤー2017 がひどい

ツイッターで「#クソ男オブザイヤー2017」というハッシュタグがある。
今までにあったロクでもない男性の言動をさらしているタグだ。
私の元彼も大概クソ男だと思ってたが、全然甘かった。
全部が真実だとはもちろん思わないが*1、ほんとに女性を何だと思ってるんだっていうような話ばかり。
ざっくり俯瞰すると、性欲を発散するためならなんでもする、努力しないで周りを否定して自尊心を維持しているという感じ。
浮気はする、でも彼女もキープしておきたい。
避妊しない、かと言って子供ができても養育なんて一切考えてない。
自分が怒られると「俺は悪くない」と逆ギレするらしい。

他人とは?

こういう人達にとって「他人」って一体どういう存在という位置付けなのだろうか。
自分の都合よく動くのが当然だと思っているようにみえる。

ツイッターには書いたが、人の意見を聞かずに「とにかく俺が正しいから従え」と言ってくるアホなおっさんに徹底抗戦してる最中である。
(戦い始めてすぐに決別することを決めたら、最近相手の異動が決まった。やはり決定することは大切だ)
この人は昔から搾取してくるので腹が立っていたのだが、怯まず歯向かう、そして相手の言いなりにならずにこっちから相手を拒絶するまでやったのは初めてである。
まあ大人だし仕事だし、常にそんな態度を取るわけにもいかないのでそれなりに対応はしてはいるが。

私は「自分より他人を優先する」という姿勢は間違いだとと考えている。
それでは自分の人生を生きているとは言えない。
自分の感情も意思も自分のもので、他人にとやかく言われ筋合いはない。
ただそれは他人も同じであって、自分が他人をコントロールしたい、思い通りに動かしたいなんて思うのは、個人の自由の範疇を超える。
前項で例に挙げた人たちも、結局は自分の欲求を満たすために相手の意思を無視する人達なんだと思う。
もちろん誰にもそういう側面はあるけど、その程度が酷い人。程度酷ければサイコパスか。

こういう人がいる、そしてその数は少なくない。
となると、私は人をどう信用すればいいんだろう。
私のテンションがじわじわと下がるくらいには悩みになっている。

他人に自分の幸せを依存するのはギャンブルかもしれない

となると、恋愛や結婚のような「他者との関係性に起因する幸せ」は、必ずしも「幸せ」になれるとは限らない。
にも関わらず、世間的には「1人はかわいそう」と言われることが多い。
社会的にはカップル礼讃傾向が強いが(そういうモデルを押し付けた方が経済活動がしやすいからだろう)、フタを開ければ「1人の人」の方が幸福度が高いかもしれない。

とはいえ、「1人最高!!」と推すつもりはない。
寂しいときもあるし、不安なこともあるのは否めない。
自由さはある程度保証できるが、それも家計がコントロールしやすいことに起因する自由さで、「1人だから」というわけではないのかもしれない。

後編に続く

*1:ただし似たような話は女性の友人から聞くことがあるので、実際そんなに盛ってるわけではないのだと思う