引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

引き寄せても受け取らなかったら現実は動かない

どうやら変化の時期らしい。

急に「かわいくなりたい!」と思ったり、家の中の片付けしたくなったり。
こういう思いつきで動く時は、大体うまくいく。
今の会社に入ったときも、未経験で後先考えず入ったら適性バッチリだったし、引っ越しも即答で決めたし、自分の欲求や衝動に素直になると、大体満足いく結果になる。

だけど、やっぱり理性が邪魔をする。
例えばすごく気に入って欲しいと思ったものがあったとしても、「もっと安く買えるかも」「ほんとに必要か?」とか考えて買わなかったり*1、「お金を使うことは悪」みたいな価値観すら持っていたりする。
(お金の話はまた別途しようと思うが、そもそも何故「お金を貯めなきゃいけない」と思っているのか、私も含めて自分でわかってないことが多い。すりこみは怖い)
何かしたい!」という衝動は世界からのギフトである。
それ生かすも殺すも自分次第なのだ。

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ギフトを素直に受け取れるか?

このブログを読んでいる読者諸賢なら、「引き寄せは直感という形で現れる」なんて話はすでに知っているだろう。
望むことそのものが引き寄せられるというより、望む出来事につながる行動が引き寄せられる。
頭で考えること(=出来事の合理性・経済的なメリットなどを考えて行動の可否を判断する)は、引き寄せの妨げになる可能性がある。
もちろん常に直感だけで生きればいいわけではないし、私はかなり理性優位で日々を過ごしているが、衝動的に何かしたくなったら、その行動を妨げるような考え方は極力しないよう自分を客観視するようにしている。
(衝動に従うのに客観的にならないといけないというのはもおかしな話だが。それだけ常識や理性の縛りが強いのかもしれない)

そんなわけで、今日はほこりを取るためのはたきを購入した。
100円でも買えるが、雑貨屋さんに売ってたDULTONのものが欲しかったのでそれにした。
あと、新しい化粧品が欲しい気分だったのでアイメイク系、シミ?が気になるのでビタミン剤も購入。
週末にはカットとカラーとパーマ。
散財してるけど、また入ってくるので問題なし。願いを叶えるためにお金を使うのに、咎められる理由はない。
(むしろそれ以外の何にお金を使うのか)

メンタルのエネルギー不足は深刻な問題

今の課題は、直感的に何かしたいと思っても、「面倒だな」に負けてやらないことが多々あること。
これは行動するエネルギーが不足しているのだと思っている。

エネルギー不足 : 補充 < 消費
メンタル的なエネルギーも、単純にこんな図式になっているのかもしれない。
補充少 → 掃除不足 自分の時間の不足
消費大 → 多忙 他人からの念(ずっとこちらを見てくる気持ち悪いやつがいる…跳ね返したい)
このあたりを改善すればもっと軽く動けるようになるのかと。

掃除は手軽にできるデトックスである。

メンタルのエネルギー不足改善の方法など
mentalworld.hatenablog.jp
mentalworld.hatenablog.jp

*1:世間ではいわゆる衝動買いを「失敗」ということが多いが、自分が「欲しい」と思った時点で叶える価値があるのではないかと私は思っている。もちろん破産しないレベルでの話だが

形を整えるだけでは幸せにはなれない(後編)

二部構成記事。まずはこちらを。

概要をまとめると、「自分の幸せのために人から搾取する人間が多い。そういう人間とは極力関わりたくないが、どう対応したらいい?」というところか。
特に私の職場はそういうタイプの人間の宝庫である。
マウンティング、責任のなすりつけをする者が力を持ってしまっているので、企業として衰退気味なのは無理もないのだろう。

angry cat

あなたの行動によって生まれたものはあなたが背負うことになる

まず言っておくが、私は搾取する側の人間を断罪したいわけではない。
そういう生き方をするのは個人の自由である。
ただその責任(経済的な面だけではなく、人から恨まれたりという精神的なものも含める)はきちんと負うべきだと考えている。
どちらかと言えば、責任からは逃れられないと言った方が正しいかもしれない。

私は恨んだり怒ったりは極力避けたい。
自分の人生を楽しむために、多くの他人と楽しく過ごせる関係を作りたい。
だからこそ、この手の搾取系の人間との関わりを避けたいのである。
搾取する人間が1人いるだけで、集団は崩壊する。
そのことは今の私の職場の現状が如実に語っている。

幸せになるにはどうしたらいい?

幸せというのは、結局「自分が幸せに感じる」以外の何物でもない。
もちろん想定外のサプライズな喜びもありえるが、基本的には「自分の望みが叶う」ことが幸せな感覚に直結しているのではないかと思う。

例えば「あれが欲しい!」という願いに対しては、手に入った瞬間が「幸せ」となる。
でもその幸せは割と短期間で収束していく。
*実はこれは「手に入れる過程」を楽しんでるだけなのかと考えるが、話が逸れるのでこの話題はまた次の機会に。

自分が何を望んでいるのかを見出すのは案外難しい。
何せ情報が多すぎる。
欲しくないものも欲しいと思わされる、自分にとって価値がないものもキラキラ見えるように細工されている。

そういうものに踊らされるのもまた一興、と考えたりもするが、私は割と早い段階で飽きてしまった。
個人的には、テレビを消すことでいらない情報の大半を削ぐことができるのではないかと考えている。
ネットも漫然と見るのは良くないだろう。
その状態を数日キープしてから本屋に行くと、自分の興味が際立つかもしれない。
アプローチが全部活字だから、情報の体裁による差がない。
純粋に「対象への興味」のみで自分の「欲しい」を確認できるのではないだろうか。
そうやって残ったものの中に、自分の「幸せの素」は潜んでいるはずである。

自分の「幸せ」はどこにある?

世の中にはたくさんの人がいて、それぞれ独自の性質を持っている。
だから本当はどんな性質でも、その存在は受容(それに対して自分がどう思うかは別問題)するのが筋である。
搾取する人間もは受容した方がいいのだろうが、残念ながら私にそのキャパはない。
それは神様とか仏様にお任せするしかないのだろう。

今の社会は様々なことを「常識」で線引きし、その枠に入らない人を弾いてきた。
恐らく、常識の枠内には自分の幸せが存在しない人もいるだろうと思う。
そういう人は、必然的に枠外を目指すことになる。
最近は常識の枠が広がりつつあるので、とても喜ばしいことだと思う。

自分の幸福が他者を害する(具体的な攻撃はもちろん、意思や存在を無視するとかも含む)こともあるかもしれない。
だがそれは「幸せ」ではなくて、不安や不足感から来る補填行動なのではないかと考えている。
あなたが「自分の幸せは常識の枠内になさそうだ」と思った時は、その幸せは本当に望んでいる最終形なのか、何かの代替ではないのか、是非一考していただきたいと思う。
間違った方に進めば、余計に不幸に近づくだけであろう。

自分のままで生きることは未来につながる

嫌なことは幸せの対極にあるものの1つである。
ところが、世間では嫌なことを飲み込むような態度を「大人」と評している。
つまり、「大人=我慢が多い」ということであるが、そんなものになりたいと思うこどもはいないだろう。
大人はこどもに羨ましがられないといけない。
「大人すごい!早く大人になりたい!」と思わせないと、生きることに希望が持てない。
そのためには、やはり個々が自由で幸せになるのが1番である。
自分のままで生き、幸せになることは、一定以上の年齢層からは「常識がない」「大人の自覚がない」などと揶揄されるかもしれないが、こどもの指標になるのは間違いなくこちらのタイプである。
「Youtuberになりたい」がこどもの夢として上がるのも頷ける。

形の決められた幸せを追うのではなく、自分のままで生きることが、後世への貢献になると私は考えている。

形を整えるだけでは幸せにはなれない(前編:他人との関わり)

ついに12月。今年も残り1カ月を切った。
私は早々に忘年会ラッシュに入りまして、すでに1回済み、今週2回、来週1回、再来週1回は確定。
忘年会って普段あまり話さない人とも話せて楽しいのだが、中にはあまり知りたくないドロドロした話もあったり…
引き寄せには直接関係ないかもしれないが、今日は「世間の理想形≒個人の幸せ」について一考したいと思う。
長くなりそうなので前後編で。

swan family

仲良し家族だと思ってたのに…

前の仕事が割と家庭の内情とか知ることのできる業種だったこともあり、「夫婦+子供」の一見幸せそうな家庭でも、実はお父さんが浮気してたり、お母さんが虐待してたりとか(然るべく対応済)、そういうことがままあるのは知っていた。
それでも、そういうものはレアケースであり、たまたまそういう話の多い集団に関わってるんだと認識していた。

だが、どうやらそれは違ったようだ。
家族で色々遊びに行ったりしている、仲良しに見える家族でも、当たり前にそういうことあるということを知った。
最近既婚友人(女性)が「彼氏がさー」と当たり前のように言っており、衝撃を受けた。
子供もその存在を知っている(どころか、会っている)らしい。
離婚をする気はないようだ。
旦那さんとはそれなりにうまくやってるように見えるのに、実は「家族」という形をしているだけで、頓着がないらしい。

#クソ男オブザイヤー2017 がひどい

ツイッターで「#クソ男オブザイヤー2017」というハッシュタグがある。
今までにあったロクでもない男性の言動をさらしているタグだ。
私の元彼も大概クソ男だと思ってたが、全然甘かった。
全部が真実だとはもちろん思わないが*1、ほんとに女性を何だと思ってるんだっていうような話ばかり。
ざっくり俯瞰すると、性欲を発散するためならなんでもする、努力しないで周りを否定して自尊心を維持しているという感じ。
浮気はする、でも彼女もキープしておきたい。
避妊しない、かと言って子供ができても養育なんて一切考えてない。
自分が怒られると「俺は悪くない」と逆ギレするらしい。

他人とは?

こういう人達にとって「他人」って一体どういう存在という位置付けなのだろうか。
自分の都合よく動くのが当然だと思っているようにみえる。

ツイッターには書いたが、人の意見を聞かずに「とにかく俺が正しいから従え」と言ってくるアホなおっさんに徹底抗戦してる最中である。
(戦い始めてすぐに決別することを決めたら、最近相手の異動が決まった。やはり決定することは大切だ)
この人は昔から搾取してくるので腹が立っていたのだが、怯まず歯向かう、そして相手の言いなりにならずにこっちから相手を拒絶するまでやったのは初めてである。
まあ大人だし仕事だし、常にそんな態度を取るわけにもいかないのでそれなりに対応はしてはいるが。

私は「自分より他人を優先する」という姿勢は間違いだとと考えている。
それでは自分の人生を生きているとは言えない。
自分の感情も意思も自分のもので、他人にとやかく言われ筋合いはない。
ただそれは他人も同じであって、自分が他人をコントロールしたい、思い通りに動かしたいなんて思うのは、個人の自由の範疇を超える。
前項で例に挙げた人たちも、結局は自分の欲求を満たすために相手の意思を無視する人達なんだと思う。
もちろん誰にもそういう側面はあるけど、その程度が酷い人。程度酷ければサイコパスか。

こういう人がいる、そしてその数は少なくない。
となると、私は人をどう信用すればいいんだろう。
私のテンションがじわじわと下がるくらいには悩みになっている。

他人に自分の幸せを依存するのはギャンブルかもしれない

となると、恋愛や結婚のような「他者との関係性に起因する幸せ」は、必ずしも「幸せ」になれるとは限らない。
にも関わらず、世間的には「1人はかわいそう」と言われることが多い。
社会的にはカップル礼讃傾向が強いが(そういうモデルを押し付けた方が経済活動がしやすいからだろう)、フタを開ければ「1人の人」の方が幸福度が高いかもしれない。

とはいえ、「1人最高!!」と推すつもりはない。
寂しいときもあるし、不安なこともあるのは否めない。
自由さはある程度保証できるが、それも家計がコントロールしやすいことに起因する自由さで、「1人だから」というわけではないのかもしれない。

後編に続く

*1:ただし似たような話は女性の友人から聞くことがあるので、実際そんなに盛ってるわけではないのだと思う

現実に起こる「悪いこと」は、「自分自身でも同じことしているよ」という合図らしい

最近ツイッターと調べ物以外でネットを使うことがあまりなく、引き寄せ系のブログもほとんど読んでいない状態である。
が、やはり必要な情報は入ってくるようだ。

information

潜在意識を無理に書き換えなくていい

こちらの記事を一読いただきたい。

特に「現実に悪いことばかり起きるのは潜在意識がにネガティブなことが書かれているから!書き換えなければ!!」と考えている方に読んでいただきたい。
そんな無理してやらなくても大丈夫だと気付いて欲しいのである。

このブログの著者さんは、「とにかく感情のまま吐き出すことが大事!」というスタンスらしい。
負の感情に対して肯定的な意味を与えない(すり替えない)。
そう思うならそう思うでOK。そのまま吐き出す(紙に書き出して破って捨てる)
この考え方には、私自身とても共感している。

ブレインダンプもおすすめ

実はこの記事を読む前にも、「溜まったストレスは吐き出さないとダメだ」というメッセージもらっている。

ブレインダンプをするとすっきりするのは、思考のストレスを外部出力して脳のメモリー増やすからなのだと考えている。
人間の脳は高性能なパソコンである。
少しでも頭に浮かんだことは、きちんと自分で終了させない限り、バックグラウンドで稼働し続け、エネルギーを消費している。
だからこそ一度にたくさんのことを抱えると疲れるし、雑然とした環境にいるだけでも集中力がなくなるのだ。
外部に出力することは、恐らくあなたが想像している以上に重要である。

ご紹介したブログは他にも色々参考になることが書いてある。
是非他の記事も読んでみていただければと思う。

断捨離が引き寄せ率を上げる理由がわかった気がする

引越しも一応終わり、新居で生活し始めてもうすぐで2週間。
いやー、新居いい。
きれいでおしゃれな感じではなく、いなかのじーちゃんばーちゃんの家のイメージが近い。
動線効率とか考えられてないスイッチの配置とかめっちゃ不便だけど(笑)

しかし1つ大問題が。

片付かない!!

いやほんと、びっくりするくらい散らかったまんま。
やばいやばい。

なんせものが多いんだ。
趣味系とか素材系とか。
もう数年使ってないのになー。うーむ。

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捨てられない=手に入らない が前提

捨てられないのは「捨てたら損しそう」って思いがあるから。
その感覚って、基本が「ない」に置かれてるからこそ生まれるもの。
何でも「ある」なら、今目の前から消えてもまた取り出せばいいだけの話で、捨てることに抵抗ないはずなんだよな。

断捨離すると「捨てること」への抵抗感を自覚できる

断捨離が引き寄せ率あげるの何でやろ?って思ってたけど、上記の感覚を自覚した後、捨てることで払拭できるからなんだな、なるほどなるほど。
所有(独占?)ってのは「ない」に立つ行為なのかもね。
潤沢にあって当たり前なら、共有することに何の抵抗もないし。

あと、素材系を捨てられないのは、「作りたいけど作っても否定される、けどやっぱ作りたい」って葛藤を反映しているのもあるかも。
今年の冬は色々作るかな。
そんでメインブログで自慢するか(笑)

そんなことを思った昼休みでした。

どうやら新たなステージの始まりらしい

みなさんこんにちは。雨の日曜いかがお過ごしですか。
前回更新からちょっと日が空いたかな?
この間に色々あったんよねえ(笑)

ツイッターフォローいただいてる方はご存知かも知れませんが、引っ越すことになりまして。
いきなり話が来て、月末移動。急すぎ(笑)
ああ、これは何か始まるんだなーという予感がしてる。

引っ越しは転機

引っ越しはこれで5回目。そんなに多い方ではないかな?
今までの移動を振り返ると、やっぱり色々な面で転機となっている。
実家から出たとき、ようやく自分の人生が始まった。
寮から出たときは「無茶する楽しさ」「時間の自由」を得た。
アパートを移動したら、猫との生活が始まった。
特に自発的にそう動いたわけではなく、気付いたらそういう流れに乗っていた。

特に前回に引っ越しは本当にごっそり変わったなー。
彼氏と同棲し、全く経験したことのない仕事に。
まさか数年後に浮気して出て行くとか、かけらも思ってなかったなー(笑)
すぐ結婚するつもりだったからな、ほんとに。
今は結婚しなくて良かったとしか思えないのが笑える。
しんどかったけど、私が一生を共にする人じゃなかったんだろうな。

ステージが切り替わるのかもしれない

これは全く論拠も何もないんだけど、元彼と過ごすのは、私の人生に必要な経験だったんだと思う。
ほんと精神的には底辺レベルの人だったと思うけど(笑)、色々押し付けられたおかげでパソコンスキルや税金関係の知識が付いた。
何より、認識変更(今まで起こったすべてに出来事が、今この瞬間を経験するために必要なことだった)したのが最大の収穫。
というか、あの人が私にの人生に関わったのはこの1点を私に気付かせるため。
なんの証拠もないけど、この感覚は揺るがない。

今回の引っ越しで、このあたりがクローズするんだなーと思っている。
引き寄せの法則(意識が世界を作っている)を理解し、活かせるくらいには体得したと、お墨付きをもらったのかもしれない。
じゃあ何しよう?って話。

最高の幸せは「人に喜んでもらうこと」

こんなこと書くと絶対に「偽善」とか言う人出てくるよね(笑)
でも事実なんだから仕方がない。

欲しいものを得られれば満足。恋人ができたら嬉しい。もちろんそれは私も一緒だ。
でも何だか物足りない。
それよりも、例えば自分の作ったご飯を「おいしい」と食べてくれる、一緒に遊んで「楽しかった」と言ってもらえる、そういうことの方がよっぽど嬉しくなるのだ。

でもこれは「自己犠牲」とか「搾取されること」とは全くの別物。
職場で面倒なことを押し付けてくる人とか、コストのかかることを「友達だから無料でやって」とか、そんなもん全拒否でOK。
基本は「自分が気乗りしないこと」はスルーだ。だって自分が1番大事だし。
自分を大事にしつつ、周りに貢献する。目指すべきはこれ。

そういうことを思いはじめたら、仕事で新しく知識つけたいことが見つかったし、こうやって引っ越しの話は来たし、何だか色々動きはじめた。
もちろんどうなるかなんて全くわからないけど、これからが楽しみ。

最後、全くの余談ですが、引っ越しすると彼氏ができるという個人的なジンクスがあるので、その辺も楽しみです(笑)

ブレインダンプは書く瞑想なんじゃないか

どーもどーもこんばんは。
ヨガブック買ってから書くことが習慣化されつつあります。
計画通り(๑•̀∀- )و

何度目かになると思うけど、今日はブレインダンプを推したいと思います。
書くだけで簡単にスッキリ!これほんとオススメ!

ブレインダンプをオープンでやってる理由

私がブレインダンプをオープンにするのは、やりたいけどやり方がわからないって人に、「こんなやり方もありですよ」と示したいから。

ブレインダンプ決まったやり方なんてない。自分でルールを決めたらいい。
けど、実例がないと「これでいいのかな?」と不安になってしまうのもまた事実。
ということで、あくまで私のやり方ではあるけど、ブレインダンプってこんなんやでーと具体例を示したいわけです。

とはいえちょっと「外側」です

とはいえ、やっぱりノートに書くのとは違う部分も出てくる。
さすがに実名とか具体的なことを詳細には書けない(笑)
表現的にも公共の場に載せるようなもんじゃないです(´・ω・`)
悪意に満ちたことも書いてるしな…
自分の「内側の外側」あたりのことを書いてると思ってもらえれば良いかと。

ノートに書く時は、人には見せられない側面も書き出す。
そうすることで、自分のネガティブな部分も存在することを認められるようになる。
「こんなん書いちゃあかんやろ」って思うなら、「こんなん書いちゃあかんって思う」と書けばいい。
そういう自分の中の葛藤も可視化する。

ほんとはここにも「あいつほんと気持ち悪いわー」とか書きたい(笑)

考えたことは消えずに残る

脳みそっていうのは、思った以上に色々なことを考え、記憶している。
ちらっと考えて消えて行った事柄でも、実は片隅に残っていたりする。
そういうものの解消に、ブレインダンプはすごくいい。

ブログもそうだけど、書いているうちに色々な考えが浮かんで来る。
それを善悪の判断をせずに、ただ書き留める。
これは浮かんでは消える雑念を観察する瞑想と良く似ている。

私のように瞑想の途中で寝てしまうタイプの人間でも、ブレインダンプなら問題なくできるはず。
長文を書く必要もないので、気負わずトライしていただければなーと思う。

【ブレインダンプ0925】解は自分の中にある

風邪ひいたっぽい。
いつものことながら、身体は熱いのに熱を計ると平熱以下。これは長引くやつ。
せめてメンタルは整えねばなーということで、ブレインダンプしようと思います。
頭の中を書き出すだけなので、今日の記事はオチも結論もなし(笑)
長いだけなのでお時間ある方だけお付き合いいただければ。

風邪引き?

こんな夢を見た。

家の中に私以外の誰かが入っている気がする。
薄々予感はしていたけど、ついに決定的な証拠が。
壁掛け時計が自分の知らないものに変わっていた。
慌てて包丁を持って、家の中を捜索。
程なく発見、対峙するも、のらりくらり言い訳して逃げようとする男。
私もなぜか強く出れない(過剰防衛はまずいなーとか思ってた)。
裁判するあたりで目が覚めた。

そんな悪夢を見たせいか、朝からやたら眠くて目が開かなかった。
そして案の定頭痛発生。身体も重くて階段がしんどい。

夢というのはデトックスになったりもするらしい。
そういや私は昔から戦う夢をよく見るけど、これは理不尽なことに対する怒りを夢の中で発散していたのかもしれないな。

まあとにかく身体がしんどい。
こういうときは助けてくれる人が欲しくなる。

風邪に限らず、身体がしんどい時は精神的にも辛くなることが多い。
だから、ネガティブになりやすい人は、まずは衣食住をしっかりしよう。
ここは「当たり前品質」的なものだから、きちんと保たれていないと一気にQOLが下がる。
まずお金と時間を使うべきはここ。
つい欲しいものとかに行っちゃうけど、寝心地のいい寝具、おいしいご飯、着心地のいい服が毎日準備されてたら、そうそう精神の不調にはならない気がするな。

ということで、忙しいとか言ってないで、まずは生活習慣をきっちりするのが私の命題かな。
きっちりって言っても完璧主義にはならないように。
家事で自由な時間を使い果たすとかは本末転倒なわけです。
心地良くて自由な暮らしをするための家事であり、家事が目的ではない。ここ大事。
ミニマリストさんとか、「ものをなくすこと」が目標になってる人いるからなあ。本当はものがないことで得られるものが大事なのに。
極端にものがないのも、ものがありすぎるのも、どちらもそんなに幸せには見えない。中庸大事!

お金を使いたいけど使いたくない

今この記事もは新しいタブレットで書いてる。
ベッドで記事書けるとかどんだけ素晴らしいんだ。これはほんとにいい買い物だった。

このタブレットを買ったことに対しては何も後悔はないし、むしろもう生活必需品になってるレベル。
そういう点では、「欲しいものにお金を使うのって素晴らしい!我慢しちゃダメ!!」という主張は矛盾してはいない。

だけど一方で「お金を使いたくない!減らしたくない!」と思ってる自分もいる。
お金を使うことに罪悪感を感じる。
それはきっと子供の頃に他の人よりお小遣いもお年玉ももらえなかったこと、買い物は安いものを優先して買ってきたこと(親からの指示?記憶にないけどとにかく安いの最優先)あたりに起因するのかなあと思っている。
だから、高いものを買うことにはものすごく抵抗がある。
そりゃタブレットに半年とか引っ張るよね(笑) 必需品ってわけでもないし。

多分この感覚は打破しないといけないところなんだと思う。
じゃないとお金使うの楽しくないし。
生きるってのはただ生存できればいいのではなくて、そこに幸福感を感じながら生きないと、真に生きているとは言えない。
さっきも書いたけど、衣食住の確保は最低ライン。まずは安心して生きられる、この状況へ。
生きられる環境になったら、次はグレードを上げていく。
私はつい「部屋を飾る雑貨買うとか無駄使い」って思ってしまうけど、これはお金に余裕がなかったからそう思うクセがついてしまったんだな。
ほんとはそういうものにこそ幸せが宿っているんだけど。
(お金がなくても、自分を幸せにしてくれるものを手に入れることは可能だと思ってる。私ができなかっただけの話。)

で、「お金を使いたくない」っていう感覚を何とかしたいんだけど、これがなかなか厄介。
お金がなくなると命が危ない、私はそういう風に認識してるらしく、かなり不安になる。
ブレイクスルーかー。ハードル高いなあ。
宇宙さん、この辺の価値観を無効化するにはどうしたらいい?

まずは「お金がない、お金を使うのは不安」ってのを解消するために、しんどくない程度に節約してみようかと。
今あるものを最大限活用することで、自分が「すでに豊かだ」ってことも体得できるかもしれないし。
そもそも、私は大概のことこなせるくらいには器用なんだから、雑貨とかも買う必要ないんよな(笑)
自分の作ったものがどんなにクオリティ高くても自信を持てない、これも打開したい案件。

やっぱり自愛足らんのだなー。
できたことよりできないことにフォーカスし過ぎ。
褒めるとこいっぱいあるのに。

2日連続でちゃんとお弁当作れた自分偉い!
朝から掃除して偉い!

肯定ペンギン欲しい(笑)

自分に「叶えていい」と許可を出すのに半年かかりました

ATAOの財布の時も思ったはずなんだ。
値段とか考えて選ぶのではなくて、自分が本当に欲しいものを買うとものすごく幸せでまったく後悔しないって。

なのに何で学習しないかな私!!

…ということで。
ようやくLenovo Yoga Bookを買いました。
思ってたよりずっと早く届いて、今まさにこの記事をYoga Bookで書いてるところ。楽しい。

今日は「叶えることを自ら拒否してしまう」ことについてちょっと考察してみようかと思います。

自分に関する出費は「わがまま」という謎認識

最近友人に祝い事がありまして。
めでたい!素晴らしい!!ってことでお祝いしたんだけど、当然そこそこお金がかかりました。
でも、出すことにためらいはなかったんよね。

ところが、自分に関する出費はそうはいかない。
祝い事の出費の1/10以下の額でも、「それほんとに必要?」「もっと安いのあるんじゃないの?」「なんで欲しいの?」「ほんとに買うの?」とか、色々出てくる。
それこそ重箱の隅をつつくようになことまで…我ながら良くそこまで考えつくよなーあと思う(笑)

私は「お金を使う」ということ自体に抵抗があるわけではない。
(正確には、昔はひどかったけど最近かなり改善されているという状況)
どうやら「私が私のためにお金を使うのはダメ」とジャッジしてるらしい。
「そんなことにお金を使うなんてわがまま」とか。

私の人生は私のものなのに、これは何なんだろう。

謎認識の理由

この謎の認識が生まれる理由、心当たりは山ほどある(笑)
子供の頃の以下の経験(感覚)が元凶かと思う。

・自分の100点より兄弟の70点の方が母親にとっては価値がある
・同じことをお願いしても自分はダメで兄弟はOK
・成功しても評価は現状維持、ミスったら減点
・理不尽なことでも我慢しなきゃいかん(反論したら逆ギレされる)
・頼れるのは自分だけ

こういう経験すると、「自分には価値がない」「必要とされるのは自分の能力であり、自分の感情は無視される」「役に立たないと居場所がなくなる」「怒ったり逆らってはいけない」「自分の話は聞いてもらえない」とか、普通に思うようになります。
だいぶ抜けたけど、いまだに根っこは残ってるかなー。

結局のところ、自分で自分を肯定できてない(=評価が低い)から「自分のためにお金を使うなんてわがまま」なんて感覚になるのだと思う。

対処法

対処として取った方法は2つ。

①自分の感情を全肯定する
欲求のまま行動する

①はいわゆる「自愛」というやつですね。
自分に価値がないと思う、まずそう思うこと自体を受容する。
決して「価値がないなんてなんで思うの?何でもできるし褒められるし、そう思い込んでるだけやん」とかやらない。
確かにそういう状況によって得られたものもあるし、状況や他人を「悪」とするのはおかしい。
けど、そう思っちゃうということ自体は私にとって紛れも無い真実。だからそこは認める。

自愛の方法として、最近読んだ「宇宙はイケメン彼氏」のやり方(キャラ設定の仕方)は結構参考になりました。

文字数少ないのですぐ読めます。
表現を尽くして少しでも具体的に書いてほしいって人には物足りないかな。
3日後日記がはまった人なら良いかと。
作者さんのブログまとめなので内容はブログからも読み取れるけど、なかなか探しにくいので本の方がおすすめ。

②の欲求のまま行動する、これは①をやってからがいいかなーと思います。
じゃないと罪悪感とか湧いてきちゃう。
自分に優しくしてるつもりでも、心地好くなければ不正解。
叶えても罪悪感を感じないやつから攻めましょう。

トイレ行きたい→すぐに行く
チョコ食べたい→すぐに買いに行く
ゲームしたい→帰ったら即やる
眠い→ベッドへGO!

以上は最近私が実際にやったことです(笑)
これだけでも割と満足しちゃう。
必ずしもお金や時間をかけることはなくて、求めてる→叶った!の流れを認識して満足できれば良いのかと。
「ある」を認識するとほぼ同義かな。

案外自分が敵になってたり

そんなことあるわけないって思うかもしれないけど、実は自分を1番認めてないのは自分なのかもしれない。
ってことは、そこをクリアすれば見える世界はもっと変わるのかも?
「意識が世界を作っている」という認識が当たり前になるところまでは来てるから、あとは内観して現実に何が反映されているのかを見ないといかんのかなー。

観察、そして自愛!

あとは自分がドラマの主人公ではなく、ドラマを見ている人だという感覚、これを忘れないように。
どっぷり浸かれば現実に翻弄されるのは当たり前。
超高機能VR、現実ってつまりはそういうことだよね。

下書きの内容すら古く感じてしまうくらい、日々の考え方は変化している

みなさんおはようございます。
この3連休は台風直撃なようで…情報に留意してご安全に。

さて、昨日久々にパソコン開いて、溜まりに溜まった下書きとか見てたんですが。
ダメだね。なんかもう今の感覚に合わなくて全てボツ!

別にこの間何かを突き詰めて考えたり、すごい気付きがあったとかではないんだけど、記事を読んでも「なんか違うなー」という感じ。
というわけで、お蔵入りとなる記事がわんさかです(笑)

この現象から得られるのは、自分というものは思った以上に変化しているということ。
連続してるから気付かないだけで、久しぶりに会った人からは「変わったね」って言われるのかもしれない。

やっぱり「変化しない」なんてことはありえない。
だから今しんどい人もその状況が続くわけではないし、逆に幸せでも永遠ではない。
幸も不幸もどちらも必要な「経験」と考えるなら、今に生きてしっかり経験しないといかんのかなあとか思います。
もちろんしんどいのは極力避けたいけど(笑)