引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

行き詰まったらブレインダンプ!

さて、前々回の記事に書いた通り、ブレインダンプしてみようと思う。

ブレインダンプのルール

ブレインダンプのルールはシンプル。
「思ったことを書き出す」それだけだ。
中には「タスクも含めて書き出す」にしているサイトもあるけど、私は義務的なものは書かないようにしている。
やることリストを作るわけではないのだ。
とにかく思いついたことを言語化していこう。

実際にやってみます

さて、では今から実際にやってみよう。

ブレインダンプをWEBにあげるとか、結構恥ずかしいよな。脳内垂れ流しってことだし。
まあいいや。
しかし変な夢を見た。電球交換してもつかなくて、点灯管が潰れてたとか変なところでありがちでリアル。
何だろ疲れてるんだろうか。まあ最近帰るの遅いし…
ゼルダを3日くらいやってないとかマジか!
週末はゼルダ三昧しようかな。ストーリー進めたいし、ハートも増やしたい。
とりあえず矢を買い占めよう…木の矢なさすぎ。
それにしても膝痛いな。水たまったか。これはしばらくサポーター生活だなー。
あんまり続くなら病院いかねばな。
でも行ったところですぐ治るわけでもないし、どうせ対症療法しかないなら行かんでいいか。
歩きすぎなんだよな最近。12000歩くらいがデフォだもんな。
でも歩いたら痩せるってことがわかった。ウォーキングバカにできないや。
あー、今日は何するかな。やらなきゃならんこといっぱいだ。
まあ方針は上に決めてもらおう。今より忙しくなることはしばらくないはず。今のうちに捌いとかないかんことたくさんあるな。
でも31日は休もう。今日申請するか。
しかし昨日は色んな人に会った。肯定的な方とはいえ、また変に顔が知れてしまった。目立つの苦手だなあ。
でもこうやって顔を知ってもらえることで、不意に助けてもらえたりするわけだし、やっぱり頑張って取り組むことは無駄にはならないなあと思った。
引き寄せったって寝てれば何でも願いが叶うってもんでもないわな(笑)
結局、いい方に意識を向けておくには、いいことが起こっている現実に気付くのが近道。
だからいいこと日記は効果的なんだろうな。
あと、執着を捨てるには何かに集中するのが一番かな。
だからゼルダに没頭するのは悪くない!
どんなことであれ、他人に過度の迷惑をかけないことなら、自分が楽しいことに没頭が最高ってことだな。
あ、もうこんな時間!遅刻する!!

…とまあこんな感じです。
ほんとに脳内垂れ流し感満載(笑)
紙に書いてもよし、キーボードで打ってもよし。
見直す必要は一切なく、ただ書くだけです。
30分くらいやるとスッキリするので、是非お試しを!

朝の10分でいいことだらけの1日に!

ブレインダンプやりますって言ったにも関わらず別な内容です(笑)
「3日後日記」とか「いい気分でいよう」の変化形がめちゃくちゃ効果あったので、みなさんに是非試して欲しい!

朝一に嬉しかったこと楽しかったことを振り返ると…

嬉しかったことだけを記録する、これも願望実現方法として有効だという話はしたと思う(…したよね?)
最近忙しくてまともに日記を付ける気力がなかったんだけと、昨日の朝、短時間で箇条書きにして出勤。
そうしたら、いつもは起こらないようないいことが連発!
ブログに書きたくなるくらい、いい日になったわけです(笑)

10分かけるだけで素晴らしい1日に

味をしめて今日もやってきた。
朝は忙しいとはいえ、ほんの10分。
これで想定外のいいことたくさん起こるんだったらいいよねえ。
毎日いいことが起こるので、書くネタがなくなることもなし。

遊びのつもりで軽くやってもらえればと思います!

再始動しますかね!

例に漏れず久しぶりの更新。
でも今回は長かったな。やっぱ冬はあかん。
寒いというだけで全てのやる気が削がれる。恐ろしい・

とはいえ何もしていなかったわけではない。
仕事に忙殺されてはいたけど、本読んだり色々考えたり。
大きな願いを叶える覚悟もしたし、これはそのうち叶うんだろうなーと思っている。

あと、最近よくやっているのが「ブレインダンプ」というもの(前に書いたっけ?)。
簡単に言うと脳内に浮かぶことを全部書きだしていくことなんだけど、これがものすごくスッキリする。
特に私のように誰かに相談したり愚痴ったりしない内向き人間には向いていると思う。
ブレインダンプをすると、願望が叶わない方に向いている意識をうまく手放すことができる。
書くことで消化される感じ。

次回、具体的にどんな風にやってるか、WEB上でやってみますかね。ちょっと恥ずかしいけど。
今日は短いですがこの辺で!

変化の前の抵抗が凄まじい(笑)

あけましておめでとうございます。
サボりすぎましたなあ(笑)
今ものすごく忙しくて…と言い訳しておく。

自分が変化に抵抗しているのを目の当たりにした

今かなり変化の時期で、正直不安とストレスで心が折れそうなところにいる。
頭の中で色々なことが堂々巡りしているんだけど、浮かんだ言葉の中にものすごく印象に残るものがあった。
それが
「高望みしなければこんな気持ち味わうことはなかったのに」
というものだ。

高望み、ということは、変化後の状況は自分に相応しくない、自分はもっと価値の低い存在だと認識しているということになる。
なるほど、だから色々とすんなりうまくいかないんだな。
というか、自ら「うまくいくことを拒否している」。

恐怖は仕方がないことなのかも

どこかで読んだのだが、変化の前は恐怖が生まれて来るものらしい。
無限の可能性に触れ、自分の強大さに恐怖する、とか。
この言を鵜呑みにしているわけではないけれど、自分が「自分の知らない自分」になるのは、確かに怖いことだよなーと思う。
全ては意のままのはずが、予想以上に影響力があるかも知れない。これは確かに恐怖だ。

違うやり方を試すチャンス

自分では自尊心の低さをある程度克服したと思っていたので、まさかの展開に驚いている。
実際のところ、現実はかなりいい方向に進んでいるので、今までのやり方(極力幸せに浸る)が間違っているわけではなさそうだ。
だが自分の中にはまだ未消化の感情や理屈がたくさん眠っていて、時々暴れては存在をアピールする。
うーむ、悩ましい。

これは今までのやり方だけでは不足ということなのかも知れない。
となると、自身を納得させるために他の方法も取り入れた方がいいのだろう。

「そうなっていない現実」を疑え

そこで考案したのが「現実を疑う」方法だ。
もしかしたらどなたか提唱しているかもしれない…と思ったら、検索かけたら出てきた。
私のやろうと思っていることは、このスレにあるものに近いかな。

今自分が望む状態と異なっている現実を疑う。
例えば恋人がいなかったら「え?なんで恋人いないの?いて当然でしょ?」のように。
いない現実の方が不条理だと思ってみるということ。

これは結構劇的に効いた。
叶うことに対して疑いがなくなって、そうなることで気分も良くなった。
結果として「3日後引き寄せ日記」のキモである「いい気分に浸る」も無理なく即実践できてしまう。すごい。

やれることはやろう

現実が内面の反映とはいえ、現実で経験しないと内面の変化を起こせない場合もある。
例えば歌手になるのに、「歌が上手い」と自分で認識するには「歌う」必要がある*1
だから少しでも、どんなことでも行動する。自分に対する信頼度をあげよう。
最初はなかなか結果が出ないかもしれないが、繰り返すうちに経験値はたまり、レベルアップする。
焦らないことが大事かな。


また何か変化があれば報告します。
更新頻度なんとかしろって話ですね(笑)
「今週叶えること」も復活させようかなー。

*1:もちろん歌手になるのにその認識が必ずしも必要なわけではないけど。中居くんとか。

異なる世界観が交差したのかもしれない

おはようございます。
前回更新が1ヶ月以上前とか…まじか…
もうちょっと更新頻度を上げたいところ(毎回言ってる気もするが)。

今日はネットで話題になっている「叶姉妹コミケ参戦」で気付いたことを。
引き寄せとは一見関係なさそうだが、実は面白い事例なのではないかと感じている。
お正月の暇な時間にでも読んでほしい。

叶姉妹コミケに参戦する

ツイッターなどでこの話は話題になっていた。
ずいぶん前に美香さんがジョジョ好きで恭子さんに布教しているという話を聞いたことがあったが、正直コミケ参戦までとは思っていなかった。

この方達のスタイルがキャラなのか地なのかは私にはわからない。
が1つ言えるのは、「参戦を表明した時から随分と丁重に扱われていた」ということである。
コミケ参戦に当たり、色々アドバイスを受けていたようである(それを素直に受け取る叶姉妹も素晴らしいと思った)。
叶姉妹コミケに降臨*1した時は、戦場であるコミケ会場で十戒のように人が割れ、叶姉妹のために道ができたという。
コミケで想像しにくければ、花火大会やお祭りなどを想像していただくといいかもしれない。
会場の広さが違うとはいえ、あの状況が10万人以上の規模で繰り広げられているのがコミケである。
その状況で人が割れ、芸能人なのに好奇の視点からの写真も撮られず(0ではないだろうが)、周りの人に拝まれるというのだからすごいとしか言いようがない。

叶姉妹にとってはそれが「当たり前」

さて、ここから引き寄せの話に入ろう。
コミケ参加経験者からすれば前代未聞の事態だったのだが、叶姉妹はそれをなんの抵抗もなく受け取った。
それは彼女たちにとってそう扱われるのが「当たり前」だからである。
全く異質の世界でも、自分たちのフィールドに変えてしまう。
彼女たちはどこに行ってその場をファビュラスに変える力を持っているのだろう。
なぜなら彼女たちにとってそれが「自然」だからである。

さて、この話を自分に置き換えたらどうなるだろう。
自分はどういう世界で生きるのが「当たり前」になっているだろうか。
「寂しい」「貧乏」のような「不幸な世界」で生きてはいないか。
「でも実際に現実がそうだから仕方がない」そうやって居直って諦める人もいる。
だがこのブログを読んでいる人はそうではないはずだ。幸せになる方法を模索しているからこそ、ここにたどり着いたのだから。
現実に流されず、現実を自分の望むように変える方に意識を向けることは可能なはずである。

望む世界の住人になろう

ここで出てくるのがいつもの「今、この瞬間に幸福感を味わう」方法である。
望む世界で生きる、それはつまり「幸せを当たり前にする」ということ。

例えば、スイッチを入れれば電気がつく。これは私たちにとって「当たり前」である。
だが本当は当たり前でもなんでもなくて、1つでも仕組が崩れればつかなくなってしまう。
その「当たり前」は色々なものに支えられた上で「当たり前」となっているのだ。

こういう書き方をすると「裏で苦労している人がいるんだから感謝しなさい!」みたいな論法になりがちだが、ここで伝えたいのは真逆。
「当たり前に電気をつけよう」、つまり「当たり前のものとして結果だけを享受しよう(ただし傲慢にはならないように)」ということだ。

仕組や過程は気にしなくていい。
欲しいものはただありがとうと言って受け取る、自分が望まなければ受け取らない。
あなたの見ている世界はあなたのために回っているのだから、気にしなくていいのである。

世間はこういう在り方を否定しがちだ。
それは「自分はしたくてもできないのに」という妬む人や、「常識」や「倫理観」という名の支配力*2が無効化されることを嫌う人がいるからだろう。
これは自身の体験だが、自分の思うままに振る舞うようになってからの方が自分の存在感は増したし、周囲に大切にされるようになった。
努力して自分の何かを変えたわけではない。ただ自分を抑えることを極力やめただけだ。
楽で楽しくて、さらに周りにも評価してもらえる。我慢していた時間は本当にもったいなかったなあと感じている。

さて、今年も今日で最後。
来年を、そしてこれからの人生をどうしたいか、考えるのには丁度良い機会である。
幸せになる決意、してみてはどうだろう。

それではよいお年を!

*1:という表現が自然と出てきてしまう。すごい。

*2:最低限の倫理観はルールとして必要だと思うが、過度になれば人を不幸にする

自分が「真に」願うことは何か 追記

後編の中身がタイトルから逸れてしまったので追記。
以下の2記事の続きです。

その願いの奥にある「真の願い」

上記「後編」の中で「条件が揃ったという仮定でもこれだけしか叶えたいことがない」と書いた。
これはちょっと誤解を招く書き方だなあと反省したのだが、物欲、1回の達成で満足できることは省いている。
今はこの手の願望も書き出した方がいいような気がしていて、思いつくままにひたすらリストアップしている状況である。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

この仮定は、そういう願いと「真の願い」を区別するためのものである。

今現在欲しいものがある。行きたいところがある。それはごく自然なことだ。
そういった「欲」を抑えることが美徳(清貧思想とか)みたいな風潮があるが、欲があるからこそ人生は楽しいのである。抑える必要はない。
だが、この手の欲は達成を永続させること(常にその状態を維持すること)はできない。
「ものを得る」感動というのは基本的に1回きりの体験だし、「どこかに行く」というのも繰り返しで満足度は下がる*1

その奥に自分が真に望んでいることがある。
自分に質問することでそれを見えやすくすることはできるが、基本的にはひたすら叶え続けるしかない。
叶え続けて叶うことが当たり前になり、安心し満足する。と同時に物足りなさも感じる。
例えるなら、平日は「時間が欲しい、週休2日じゃ足りない」と思っているのに、いざ長期連休になるとそれほどやりたいことが浮かばない、といったところであろうか。

大切なのは「達成」ではなく、「達成し続ける=その状態である」こと、満足感を永続させることだ。
それを実現してくれるのが「真の願い」と私が呼んでいるものである。

叶えることを選択しよう

叶えられる願いははすぐに叶える。まずはこれだ。
この観点で考えると、ライトな物欲や食欲なんかはふさわしいのではないかと思う。
「節制が大事」と思うかもしれないが、その節制の先に自分の幸せはあるだろうか。
とはいえ、どうしても抑えなければならない場合もあるだろう。そういう時は、妥協ではなく「自らそれを選択した」と思うようにすれば良いかと思う。

「仕方ない(お金がない・時間がない・能力がない)からこうした」という他責はダメだ。
そうやって「幸不幸を他者に決めさせる」ことを自分が選ぶことは、自ら「思い通りにいかない人生を選択している」ことに他ならない。

また、労の多いことを厭うのもやめた方がよいのではないかと思う。
理想の人生として「不労所得を得て何もしないで暮らす」なんてイメージがあげられることがあるが、この状態で一生を送ることは不幸の極みである。
(先ほどの仮定なんかはまさにこれ。)
これは「生命の保証はするが、それ以外に何も与えない」と言われているのと同義だ。
朝起きてご飯を食べて、その後はどうするだろう。
本を読む?ゲームをする?全てが簡単に与えられてしまっても、その興味は続くだろうか。
不足というのは、思いの外生きる意欲に寄与していたりする。だから不足も否定しないことだ。

結局「幸福」というのは、「自分がしたいことを自ら動いて叶えること」なのではないかと思う。
だからどんどん叶えることを選ぼう。
それがどんなに些細なことでも、常識はずれなことでも(違法なことはダメだが)、手間がかかっても、自分が楽しい、嬉しいと思う方に行こう。
不足感はどちらに進めばいいかを教えてくれるシグナルである。
叶えることを選び続ければ、いつしか景色は変わっているのではないだろうか。

*1:そもそも「行く」と言う表現自体が「常時そこに滞在する」という意味を内包していない時点でわかるはずだ。

自分が「真に」願うことは何か 後編

前編はこちら

久々に本を買った。
書いてあったことを元に、自分なりに作業をしている。

あなたなら何をする?

お題はこれ。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

要は、「本当になんのしがらみもなく自由に振る舞えたら、一体何をする?」と言うことである。

私は15項目ほどあげた。
…全ての条件が揃っても15項目くらいしかやりたいことがないのである、私の人生には*1
しかも、その大半は「今すぐに」叶えられるものばかり。
いくつか例をあげようと思う。

インテリアの整備

昔から部屋の模様替えやDIYなんかが好きだ。
だが予算や時間の都合もあって、なかなか思うようにいかないのが実情。
我慢することを選び、必要なものすら揃えていなかった*2

今日、その状況を打開するべく行動した。
必要なものは買い揃え、部屋を整理整頓。
まだ満足いく出来ではないが、不都合はかなり改善されたかと思う。

そう、「お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。」なんて条件がなくても、今すぐに叶えられるのである。
(お金があったところで同様にお金も時間もかかるのだから、実質的には変わりはない。)
ただ「叶えない」ことを選択していただけだ。

サッカーをする

私はスポーツをすること、特にサッカーが好きである。
好きな割に経験はほとんどないのでうまくはないのだが、いつかやりたいなーとは思っていた。
実際やっていた時期もあったが、人間関係がちょっと難ありで(恋愛のダシにされたりとか色々面倒だった)続かなかったのである。

サッカーはプレイするのにそこそこ人数がいる。しかも私は初心者で足を引っ張ることがわかっている。
誘ってでももらわない限り、ハードルは高い。
…というのも、完全に私の思い込みだった。
今の時代、やり方なんていくらでもあるのである。
やることを自分が「決められる」かどうか、ただそれだけだ。

この2つ以外にも色々と思っていたことを実現させた(〜が食べたいとかそんなレベルだが)。
そのおかげか、今は全く不足感がない。
ただ純粋に「〜がしたい、欲しい」と思うだけである。
この感じだと叶うのは早そうだ。

幸せを選ぶことは案外難しい

私は幸せになりたい。
みんながそう思っているはずなのに、逆の方に進んでしまうのはなぜだろう。
案外「幸せが怖い」のかもしれない。

「幸せ」でいると、どんどん状況が変化していく。
それは人間の願望がとどまることを知らないからである。
願望の変化に合わせて色々動くことになり、現状維持はままならない。
「自分が我慢すればいい」の方が楽な場合もあるのだ。

「叶える」ことを決めてから、私の現実は短期間で変わった。
今の状況で叶えられる範囲で結構。皆さんも積極的に「叶えること」を許可して欲しいと思う。

ちょっとタイトルと内容がずれたので、また後日別記事で書く。

続き↓

*1:あまり時間をかけて考えていないので、まだ増えることは十分あり得るが

*2:「その選択は引き寄せ的にはよくない」と分かっていても、つい目の前の損得を考えちゃう業の深さ。

自分が「真に」願うことは何か 前編

昨日こんな本を買った。

前作も買っていて、何気にヘビロテの本となっている。
マンガは読みやすくていいなあ。

真の願いは何?

この本に影響されて、朝からちまちまと書き物をしている。
良かったらみなさんもやって見てほしい。

★質問:お金は毎月1億円入ってくる。時間の制限もない。その状態が一生続くなら、あなたは何をする?

よくあるお題。私も取り組むのは初めてではない。
だが自分のことを知るにはちょうどいいのである。
時間を作って是非。

マンガでわかる「お金引き寄せ」の法則

マンガでわかる「お金引き寄せ」の法則

続き↓

【願望実現報告】「叶っていること」に気付くと、実現速度が加速する。

この記事のように意識的に叶えることもあるが、「気付けばあの頃の願いが叶っている」なんてこともしょっちゅうである。
叶っていることに気付くと、「叶うこと」に対して確信が持てるようになる*1
今日はそんな事例をあげたい。

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「この人と車でどこかにいきたい」

この記事で書いた「仲良くなりたい人」と、想像したレベルを超えて仲良くなっている。
SNSでやりとりしたり、プライベートなレベルで助けてもらったり。
調子に乗って、「この人と2人で車でどこかに行きたいなー」と軽く思ったのは2ヶ月ほど前だろうか。
先日、それが不意に叶えられてしまった。
…もっとも、仕事上の都合でそうなったというだけの話なのだが、そういう事態になること自体がレアケース。
この仕事の話を聞いた瞬間、「あ、あの時こう思ったのが叶ったんだ!」と久しぶりに衝撃を受けた。

叶うまでに何をしたか

もうお分かりかと思うが、結論から言うと何もしていない。
イメージングも、アファーメーションも、何も。
更に言えば、「願うこと」すらそこまで真剣にはやっていないのだ。
「一緒に車に乗ってどこかに行きたいな」とか「2人だけでしゃべりたいな」とか軽くイメージした程度である。
それが気付けば叶ってしまっているのだから面白い。

叶うから願いが浮かぶ

少々乱暴な言い方かもしれないが、この状況「すべての選択がこの結果につながっていた」とも言える。
恐らく、私が何をどう選んでも(叶う速さの違いはあれど)叶っていたのだと思う。
それは、願いというのがそもそも「叶って当たり前」のものだからである。

もし「願い事リスト」などを作っていたら、昔のものを見てほしい*2
忘れていた願いがきちんと叶っているのがわかるはずである。
そして、その叶っていることに対して、自分が何をしたかを考えて欲しい。
恐らく何も出てこないのではないだろうか。

願ったことを忘れている→特別そのために行動したわけではない→何故か叶う(しかも高確率)

こんな風になっているのが引き寄せの面白いところである。

願いを叶えることにブレーキをかけないことが肝要

以前にこんな記事を書いた。

結局は「叶えることにブレーキをかけない」ということが1番大事なのではないかと思う。
ブレーキをかけないようにするにはいい気分でいることが必要だ。

感情はサインでありエネルギーである。
数値化できないし、原理を説明できる訳でもないが、私の中では揺るがない前提条件となっている。

ポジティブな感情を抱く出来事は、あなたにとって正しい出来事である。
それが社会の常識と合わなくても構わない。あなたの人生においてはそれを選ぶことが正しいのだと思う。
(もちろん他者に迷惑をかけるようなことはやってはいけない。さらに、それがすぐに実生活の糧とならないこともある。一時的に生きることを優先させる必要も出てくるかもしれない。)
悲しい、辛い、苦しいなどのネガティブな感情は、現状を変化させたいというサインの役目もしてくれる。
私の場合、大きくステップアップする前には妙に不安な時期が続く。些細なことでも、理性が過剰に警戒態勢を取って落ち着かない。
だがこれは決して悪ではないから、無くそうなどと思わないこと。のめり込まないように意識をしておけば良いのである。

願い事リストを作ろう

願い事リスト、叶う確率を上げるだけではなく、後で見返して色々楽しいのでおすすめである。
恋愛系の願いが割と黒歴史になっていて恥ずかしい(笑)
そういう意味では、あまり個人名を入れて書かない方がいいのかもしれない。

*1:だからこそ自分にとってささやかな願いでもたくさん叶えることをおすすめしたいのだ

*2:作っていない人は定期的に作ることをおすすめする。100くらい挙げておくと色々面白い。

【思考ログ】自分をもてなそう

本日更新記事はこちら。

mentalworld.hatenablog.jp

この記事を書いてから色々思いついた。
まとまってないので箇条書き。
何かの参考になれば。

自分をもてなす

自分=大切な存在 と扱う
大切な人にこの食事を提供するか?我慢をさせたままにするか?
なるべく快適で満足してもらえることを目指すはず

だからこそ掃除や食事は大事。
着るものも高いものである必要はないが、自分が好きなデザインで快適なものを。
安いもので間に合わせるのはダメ。機能的には埋められても、満足感はない

自分が大切な存在だと気付き、そのように扱えば、幸せ以外には存在しなくなる。
自分の幸不幸は自分をどう扱うかで決まる。

絶対に叶えなければいけない願いはない

欲しいのは願いを叶えた先にある感情
その願いでなければいけないということはない

お金を使うのを躊躇ってしまうときに考えること

お金を使う=マイナス という考え方になっている。
それを変えるのは難しいかもしれないが、「自分はその金額を費やす価値のない存在か?」ということを再考することはできる

楽をするのは悪くない

自分が満足するということが基準
楽をした結果自分が満足できるならOK
毎日掃除を「すべき」だからするのではなく、自分が「きれいなところに住みたいから」する