先日から「お題箱」というものを利用して質問コーナーを開設しているのだが、早速いくつか質問をいただいている。
ツイッターのフォロワーは多くないし、Youtubeもインスタもやってないのに。ありがてえなあ (´-ω-`)
では早速1つ目。
質問
執着を手放すとは、一体どんな状態を表していると思いますか?
回答
「執着がない」=自分の中にある「何かを欲する心」が自分を苦しめていない状態。欲が行き過ぎて苦しみの元になってしまっているのが執着。
欲しいと思う心を捨てる必要はないが、気持ちを逸らすことが必要!
では、以下に少々解説を。
執着と欲の違い
執着は元々仏教用語。
そのあたりの詳しい話は他のサイトに任せるとして、ここでは「執着=苦しみの元になるくらいの欲」と定義しておくことにする。
では、「欲」とは?
それは読んで字のごとく「何かを欲する心」のことである。
「欲」という言葉にはどうにも悪いイメージが付いて回るが、実は「夢」や「希望」も欲の一種だ。
何かを欲するというのは人間としてナチュラルな動きであり、殊更非難されるものではない。
人間の悩みの元凶になりがちな恋愛・お金・仕事を筆頭とした全ての事柄に対して、欲を出すことを全く気に病むことはないのだ。
問題なのは欲が出すぎた状態になってしまうこと。
行き過ぎれば自分以外の存在にあなたの望み通りになるよう強要し、それが叶わないとストレスを感じるようになってしまう。
これが「執着」という状態である。
特に対象が意思を持つ対人関係の望みで執着が起こりやすいように思う。
引き寄せには諸説あるが、私個人としては自分以外の存在に、自分の思い通りになるように強要することはできないと考えている。
だから人の感情をコントロールするような引き寄せはとても起こりにくい。
上手くいくのは、相手の感情 (好意ではない) が少しでもこちらに向いている時である。
相手を変えるのではなく、変わる流れに乗せる、というイメージで考えてもらうとわかりやすいかもしれない。
また、執着は依存している状態だとも言える。
自分のことを自分で幸せにできるようになると、自然と執着は消えていくように思う。
執着しているかの判断基準
執着しているかの判定は一概にできるものではないが、参考程度に挙げておく。
該当項目が多かったら、自分の状態を確認してみた方が良いかもしれない。
- 頭から離れない
- うまくいかなくて悲しい・怒っている
- ライバルを不幸な状態にしてでも欲しい
- そのためにはすべてを捨てる覚悟がある
- 周りに反対されるが、何故反対するのかわからない
- 手に入らなかったら自分の人生は終わってしまう
- 代わりはない
欲がなければ心は平安だが、幸せを感じることもない。
欲を執着まで大きくせず、上手く付き合っていくのが良いかと思う。
完全匿名なのでよろしければどうぞ。
ただし、全ての質問にお答えするわけではないし、個人的な相談はNG。
*この記事の頭の方に業務連絡として書いてます。