引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

【前記事の続き】魔法の道具「紙とペン」の使い方①

魔法の道具の使い方

魔法の道具とはなんぞ?という方は昨日の記事ご参照ください。
3分もあれば読めます。


今日は 魔法の道具=紙とペン の使い方について。
方法自体があまりにもシンプルでガッカリされるかもしれないので、私が考える実現率アップのコツを書いていこうと思う。

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1.任意の紙とペンを準備する

「任意」としてるのだから別にチラシの裏でも構わないのだが、個人の性格に合ったものを選ぶのが肝要と思う。


前回の記事で「魔法の道具 = 紙とペン」であること、認識が制限となっていることを…

 ①信じられた・すぐ納得できた
 → 普通のペンとノート

 ②そんなわけない
 → 特殊な力のありそうなペンとノート

*納得≠思い込む 自然とそう思えなければ納得ではないので注意

①:願いを叶えることに「特別感を与えてはいけない」タイプ

「願いが叶うのは当たり前」とまではいかなくても、ある程度は「願いは叶うもの」だという前提条件に立っているタイプ。
「魔法はある(かも)」「妖精や幽霊はいる(かも)」と自然に思っていることが多い。
(私のようにファンタジー小説を読んで育つとそうなるのかもしれない)
「何が何でも○○を叶えたい」のような執着が少ないことを目安にしてもいいかもしれない。

②:願い事を叶えるために「奇跡を起こす必要がある」タイプ

「普通に生きていたら願いが叶うことなんてあまりない、せいぜい50%-50%がいいところだ」
「願いを叶えるためには努力が必要 色々なことをコントロールしなければならない」というタイプ。
「楽をして○○を得るなんて、何か悪いことをしているに違いない」という思考になりやすい傾向もあると思う。

ちなみにどちらが「いい」とか、そういう意味で書いているわけではないので勘違いなさらぬよう。
話が長くなるので書かないが、「全てが思い通りになる」 も 「全てが思い通りにならない」 も、どちらも等しく苦しい生き方になるはずだ。


①の方は市販のノート、なんならいつも使っている手帳に書いたり、スマホに入力でもOKのはずだ。
ちなみに私はCampusノートの方眼罫にフリクション使用。1冊200円もしないはず。

②の方は「このノートには魔法がかかっています」と謳われるようなものを使った方がいいかもしれない…。
もしくは、儀式的なことをやってから願いを列記する。
とにかく願掛けに特別感を出すことが実現への早道のように思う。


私は①なのに②のやり方で願ってしまっていた。
だからその時期はびっくりするほど実現率が低い(笑)
人のやり方を鵜呑みにするのではなく、まず自分を観察することが大切である。


長くなってきたので今日はここまで!

紙とペンは願いを叶える魔法の道具

魔法の道具?

「いい加減なこと言うな!」と怒られそうなタイトルだが、本当にそういう道具はある。

そう言われた時、皆さんはどんなものを想像するだろうか?

結論を先に言おう。
答えは「紙とペン」だ。

こう書くと、大半の方がガッカリしたり、この言葉を信じないのではないだろうか。
だが、本当に紙とペンは魔法の道具である。
ついでに言うと、この言を自然に受け入れられないことは、引き寄せに対するハードルが高いということも同時に示している。

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奇跡は起こらないからこそ「奇跡」

「奇跡のようなことが起こらないと叶わない」、そんな願いをお持ちではないだろうか。
残念ながら、そう考えている時点で叶う確率は相当低いと言わざるを得ない。
なぜなら叶うのは「奇跡」だから。
叶って「当たり前」なら叶うのだ。(時期はわからないが)

筆記用具に願いを叶える力がないと大半の人が思う理由、それは恐らく、筆記用具があまりに身近で、ありふれたものだから。
自分の見える範囲に魔法なんてないのが「常識」。
そうやって生きるように誘導されているから当然の判断だと思う。

だが引き寄せには常識の檻を破るのが必須。
今認識しているルールは、実はものすごく限定的なものだということに気付かなければならない。
(いわゆる認識変更というやつだ)

紙とペンの使い方はまた別の記事で書く。
今日の記事では「自身がいかに常識に囚われているか」をちょっとだけ考えていただければ幸いである。
(常識に囚われないというのは、「常識を無視して好き勝手に行動していい」ということではない。常識では考えられないルールを受け入れるだけの度量を持つということである。念のため。)

文字数と結論と引き寄せと

文字数と満足度

唐突だが、私は文章を読むのが早い部類だ。
子供の頃は隙あらば本かゲーム(RPGとかの字読む系)だったので、自然と身についてしまった。
だから、「文章が短い=内容薄くて面白くない」みたいな等式が脳内にあるのだが、当然のことながら、それは万人に通用する価値観ではない。

そのことをうちのおっちゃん(彼氏ができました その辺はまた別記事で)が教えてくれた。
自分とは正反対で、字が嫌いで結論を早く言えというタイプ。
結論のない文章にモヤっとするのは同じだが、文字数少ないと伝わるものも伝わらないだろうと思っていたので結構衝撃的だった。

そんなわけで、「この記事で何を言いたいか」は意識して書いていこうと思っている。

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引き寄せでも結論を明確に!

実は引き寄せも同じことが言える。
望む結果はとにかく「ストレートに結果をイメージする」ことが大事。
細かいところがイメージできなくても全然構わないから、最終的にどうなりたいかだけは明確にしよう。
(むしろ個人名とか数値とか、具体性がない方がいい気がしている)

実現した願いはどんな願い方をしているか、また後日データを取って検証したいと思う。

更新復活

ブログってどうやって書くんだっけ?
っていうくらいのレベルで更新してなかったけど、皆様いかがお過ごしだろうか。

願いは叶った?それともまだ引き寄せのタイムラグの中?
なんなら願いが消滅した人もたくさんいると思う。

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私はと言えば、周りの状況がびっくりするほど変わり、色々翻弄されつつ毎日やっている。
(その辺はツイッター見てくれてる人ならわかってもらえるかと思う)
叶ったこともあれば、叶っていないこともある。
けど最近思うのは、夢や希望は「叶える」のではなく「そうなると決める」ということだ。
秒速で実現することもあるし、半年以上動かないこともあるけど、焦ることはなくなった。
こういう感覚を伝えていけば、世の中の引き寄せトライ中の方々の一助になったりするんじゃなかろうか。
私の場合、ツイッターよりもブログの方がアクセス数が多いので、手間と時間はかかるけど、久々に再開しようかと思っている。

正直に言うと、更新復活しようと思ったのは、仕事にリソース使うのもちょっとアホらしくなってきたというのが大きい(笑)
仕事に没入してしまうと、「当たり前の仕組み」がやけに重く、頑丈に感じられてしまう。
引き寄せはこの対極にある。
現実世界に生きつつも、精神の軽やかさは維持したいのが本音である。
メソッドにも宗教やスピ系にも依らず、自分の感覚を信じて引き寄せという仕組みを語ろうと思っているので、またお付き合いいただければと思う。

【実験】「今から思うことが現実に起こります」と宣言してからイメージしてみる



なんていうアイディアが降りてきた。
効果があるか実験である。

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表現=現実化

今朝から「今から思うことが現実に起こります」と宣言してから色々イメージしてたのだが、重要度高いとわかっているにもかかわらず、すぐに別の(あまり望まない)イメージにすり替わっていることに気付いた。
我ながら、どれだけ不幸好きなのか…
打開策として、「書く」というツールを使うことで意識のブレを避けることができることはわかっているので、未来創造日記や願い事リストはやはり続けるべきであろう。

それどころか、文字や音(言葉を口に出す)ことは、ダイレクトに意識を「現実化」させる行為だということに、今更ながら気付いた。
頭の中にあったものを現実の世界に即座に映し出す、それが書くことや話すことなどの「表現」の本質である。
ただイメージするだけよりも効果があって当然だということが、すごく腑に落ちた。

実験方法

この観点で効果検証実験をしていきたい。
方法は下記の通り。

  1. 「下記の項目は現実になります」と宣言する
  2. 叶えたいことを書く (あくまで実験なので、普段あまりなさそうなことで、叶わなくても問題ない項目が良い)

以上である。
実験なので、1週間、もしくは最低10回は上記を繰り返したい。
先に「下記の項目は現実になります」とだけ書いたフォーマットを作っておくと実験を継続しやすいかと思う。

「不満」は「不幸」ではなく、変化しなさいというアラーム

仕事が忙しかった。
私はここ数ヶ月突っ走り、さらにこの先数ヶ月間も忙しい日が続くことが予想されてる状況。
それなのに…

さすがに「やってられるかー!!」となった。
だが、そのおかげで色々気付いたこともあった。

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不満が溜まる時は変化の時


特に最後に書いた「ここで気付かなかったら強制終了モード突入」、これは読者諸賢には本当に肝に銘じておいていただきたい。
自分を大事にしない方向に進む→不運なことが発生 となる。
宇宙は進む方向が違うことを「不運の連続」という形で示してくれる。

逆に、自分が喜ぶことをやっていくと、驚くくらいに流れに乗れるものだ。
「自分にとって何が幸せか」をきちんと把握しておくことが肝要である。
常識的な「幸せ」が、自分を幸せにしてくれるとは限らない。(このブログ内では再三言ってるはずだ)
ステレオタイプの価値観が通用する時代は終わったのだと思っている。

お金を稼ぐゲームの中での生き方

お金についてもう少し言及しておきたい。

私たちは「お金を稼ぐゲーム」のプレイヤーである。
「お金を稼ぐゲーム」において、会社に所属することは安定性を増加させるが、自分の行動結果が様々なしがらみによって正当に反映されないというリスクを抱えることにもなる。
今回のボーナス減はそのリスクをもろに食らったのだろう。
ただし安定性はあるので、のらりくらりやってもある程度の収入は見込めるという点では悪い環境ではない。

私は人生のいかなる瞬間でも楽しくあるべきだと思っている。
「仕事はつらいものだが、お金をもらうには仕方がない」などとは微塵も思わない。
「楽しく働いてたくさんのお金をもらう」これが私の仕事観だ。

社内政治が多く、声の大きいものが権力を持つような昭和体質の企業にいることもあり、そろそろサラリーマン稼業もやめどきかと考えている。
楽しくて熱量を持てる仕事を創造する時である。

【自由開放】願い事帳

「たくさんの観測者がいるほど世界はその方向に動きやすくなる」
と私は考えている。

lucky pig

例えば自分のツイッターやブログで「○○が欲しい!」「○○さんと結婚したい!」など、素直に書ければいいのだけど、実際はリアルとつながってるアカウントだったり、そもそもツイッターもブログもやってないなんて場合、家でこっそりノートに書いたりすることが多い。私もオープンにしにくい大半の願いはそうしている。
唯一オープンにしているのが物欲に関してだけど、これの実現率、実現速度が尋常ではなく早い。
そんな経験といろいろな本に書いてあることがつながって、冒頭の結論に行き着いた。

…とまあ、御託はこの辺にしておいて。
コメント欄を使って願い事を書く→みんなに見てもらう→現実化の加速を狙う
というのをやってみようと思います。

そんなに厳しく検閲する気もないんですが、倫理的にいかんと判断できるもの(=直接的に他者危害原則を侵すもの。不幸になれとか別れろとかね)は消しちゃいます。
あくまで「自分が主語」でね。
あと個人名記載とかのプライバシーを侵害するもの、政治・思想系の書き込みも消します。
個人は特定できないように、且つ読んでいる人が詳細想像できるように、が良いかと思います。

引き寄せの現実化のコツがちょっとわかったかもしれない

どーもどーもこんにちは。
また久しぶりの更新となってしまった。
文字数少なくても書くのに1時間以上かかるから、忙しいとほんと更新できんのよね…
って、こんなの言い訳だな(´・ ω ・`)

それはさておき、最近引き寄せの現実化が加速しております(*´罒`*)
具体的には
・給料上がった(さらに上がるかも)
・仲良くなりたかった人たちと飲み会できることになった
・私をもやもやさせる人が悪意を送ってこなくなった
・欲しいものが手頃な価格で手に入った(Bluetoothスピーカーとか)

などなど。
割と前から願ってたことなので、ここに来て一気に動き出したのにちょっと驚いている。

ここで皆さんが気になるのは「何をしたか」ということだと思う。
一言で言えば、「脳内に嫌な思考が入る隙間をなくした」というところだろうか。
ちなみにアファも努力も必要なかった(少なくとも私にとっては)。

具体的に何をした?

では具体的に何をしたのか。
答え「エド・シーランの『What do I know』を常に脳内再生(なんなら小声で歌う)」
スピ系っぽさ皆無で拍子抜けした方いたら申し訳ない(笑)

この曲↓

「÷ (ディバイド)」というアルバムに入ってます。
「Shape of you」とかが有名で隠れがちだけど、名曲だと思うなー。

この曲と「Castel on the hill」を車で爆音で流して歌う→仕事中も脳内再生 という生活をしてます。
先週末にようやくiPhoneに曲を移動して聴けるようにしてからだから、丸1週間くらいのうちに色々変化の兆しが出てきたことになるかな。
自分でもびっくりしている。

ついこんなこと考えてしまうくらいには驚いたんですよ、マジで。

何が良かったのか?

理由がないと納得出来ない!そんな方もいると思うので、何が起こったのか考察してみることにする。

常にいい気分でいられる

私は音楽は結構好きで、何か聴きながら作業するのが1番捗るタイプの人間だ。
勉強中も基本音楽を聴きながらやってきたが、さすがに仕事中は難しいので、脳内再生で妥協している。
とはいえ脳内再生も常にできるわけではなく、自分にがつっとハマる曲*1でないと難しい。脳内再生できるくらい聴き込む前に飽きてしまうというのが正しいかもしれない。
だが、一旦脳内再生できる状態までくると、暫くは楽しいままでいられる。
昨日までしんどいと思っていた仕事も、びっくりする程なんとも思わない。
悪意、敵意なんかも割とスルーできるし、モヤっとしたらまた脳内再生モードに戻せばいいだけ。
結果、引き寄せメソッドとして良く言われる「常にいい気分でいる」を体現できたのではないか。

実はアファの効果あり

毎日歌ってるので、実はアファの効果もあるのではないか。
この曲、歌詞に「Love,understanding,positivity」= 愛と理解と前向きな姿勢 なんてのが含まれてる。
「Love can change the world in the moment」= 愛は一瞬で世界を変えることができる とか。
別にアファするつもりで歌っているのではないので、苦行感は一切ない。これもまたいいのかもしれない。

余計な思考が入らない

脳内再生することで、余計な(望まない方向の)思考をする時間が減った。
個人的にはこれが現実化を1番加速させた要因なのではないかと思っている。

今までのことを考えても、曲の内容問わず、脳内再生して自然と口ずさんでいる状態の時は、ものすごく物事の展開が早く、且つ望み通りだった。
これは逆に普段の生活でいかに思考をコントロールできていないかという証明でもあるし、脳内再生という手段にこだわる必要もないということだ。
「望む方向にフォーカスする」は、引き寄せにおける大原則であることの証明とも言える。
(実験母数が1で、しかもデータが主観的になってしまうので、「証明」なんて大風呂敷を広げるのはちょっと言い過ぎか?)


少し話は逸れるが、「望む方向にフォーカスする」という観点で、この本が面白かった。

かずみんさんという方で、ありえない妄想をしてニヤニヤすることで、それを現実化しようというやり方を提唱している。
ブログもあるので気になる方はまず見ていただければ。


原理原則を押さえて、自分にフィットしたやり方でやろう

音楽脳内再生なんてのはあくまで私のやり方であり、絶対ではない。
やってる事の原理原則を理解すれば、やり方なんて何でもOK。
かずみんさんの妄想法を選んだって、きっと同じ効果が得られるはず。

1番いいのは、やはり自分に合うやり方を自分で見つけることかと思う。
性格や好み、分かっているのは自分自身なんだから、人の言う通りになんかする必要は無い。

毎回書いてるが、「コンサルして願いが叶う方等教えます」なんて言ってくる輩には、逆に警戒すべし。
引き寄せ界隈では色々な肩書きを見るが、基本的に全て「自称」や「民間資格」である。
そもそも「効果保証」 は法に引っかかる気がするのだがどうだろう。

何度も繰り返すがら自分を変えられるのは自分だけである。
だから「成就率100%」などに踊らされないように…*2
そういうのにお金を使うくらいなら、週末1泊温泉旅行とかに行った方がよほど癒されるし効果があるはず。経済も回る。
占いは私も好きだが(第六感的なものはあると思うので)、これも程々が吉、かと。
占いにコントロールされてはいけない。

最後話が逸れたが、音楽好きな人はポジティブな曲を選んで「脳内再生法」を是非試して見て欲しい。

*1:曲の感じが好き、歌いやすい=音域があってる、歌詞が好き など。割とハードル高め。

*2:リツイートしてくれたら遠隔で気を送ります」みたいなのもあまりおすすめできない。「欲しがるエネルギー」が集まるから、余計に「欲しがる」状況を自分の世界に呼び込みそうな感じがする?直感なので論拠はないが

嫌いな奴は「嫌い」でいい!

生きていれば当然望まないこともやってくる。
例えば嫌いな人と関わらなきゃいけなかったり、面倒な仕事を押し付けられて手柄だけ持ってかれたり、お釣りごまかされたり。
ちなみにこれは全部今日の私の話。何なのマジで。

だけど怒ったりしない。
嫌いなあの人にだっていいところはあるはず。
仕事を振ってきたのは忙しかったのかもしれない。
お釣りごまかされたのはその場で確認しなかった自分も悪かった。
そう、心はつねに寛大に!視野は広く!!

…何てできるかーい!!!ヽ(`Д´)ノ

できるわけないんですよ、人間なんだから。
なのにそういうことを要求されるようになっている。
そんなん「やったもん勝ち」やん?おかしいやろが!

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不快な感情は我慢する必要はない


でもそういう「嫌い」や「不愉快」にも意味はあって、それを味わうからこそ逆の価値(ここでは「好き」と「居心地いい」かな)もわかる。
別に我慢しなきゃいかんものではないのです。
むしろ存分に怒り、罵倒したらいい気がする。真面目*1な人からは怒られそうだけど(笑)

ただ、SNSとかで言うのはオススメしない。
それは周りの認知があなたの世界に影響を与えるから。

だいぶ端折ってるので、全部読みたい方はTwitter参照でよろしく。

最近、「周りからどう思われるか」っていうのが、割と自分の世界に影響を与えている気がしている。
リアルではもちろん、あったことのないネット上の知り合いの持つイメージすら、私の世界の一部を創っているのではないか。

それはもちろん「SNSにはキラキラした投稿をしないといけない」なんてことは意味しない。
むしろ「自分の好きを発信しよう」とか、「評価は気にせず、楽しかったことを投稿していこう」とか、自分にとって自然で、且つ自分が望む姿をみんなに見てもらい、その認識の力を使って自分の世界の変化を加速させようというものである。
ただし、「優越感に浸るためにやる訳ではない」ということを肝に銘じておかないと、逆に望まない方向に進んでしまう可能性もある。
目指すのはエネルギーの搾取ではなく、お互いがお互いの世界の変化を加速させる協調。「自分さえよければよければいい」の精神とは対極のもの。

我慢や無視こそ1番の害悪

とりあえず今日言いたかったのは、
怒りも悲しみも、抑える必要など全くない!!むしろどんどん発散して、対極にある価値の素晴らしさを再発見しよう!
そして、どっちの価値も「悪い」わけではなく、単に「対極」にいるだけということを理解しよう!
ということだ。

過度の我慢、抑圧が1番よろしくない。
それは引き寄せだけではなく、心理学などでも言われていること*2である。

さて、今から罵詈雑言を並べてやるか。
そして、優しくしてくれた人たちには最上級の感謝を。
嫌いは嫌い、好きは好き。それでいいのだ。

*1:この「真面目」なんて価値も曖昧なもんです。すべての概念がすっごいふわふわしたものなのに、なぜ人間は(自分含めて)縛られるんだろう。

*2:過度の抑圧が多重人格を生む など。興味がある方は調べていただければと思う。

自分の願いを叶えるのが最優先!!

GW、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
お仕事の方も当然いるよね。ご苦労様です。

私は9連休だったりするんですが、ちょっと買い物に行ったり断捨離をしたくらいで、これと言って大したことはせずに終わっていきそう。
ゲームばっかりしてるけど、おかげでようやくモンハンのラスボス倒すところまで行けた。満足。

こんな過ごし方をしていると、「9連休もあるのにもったいない!どっか旅行とか行けばいいのに!」とか、「ゲームばっかしてないで、本とか読みなよ」とか、そういう余計なことを言ってくる輩も出てくる(もしかするとそれは他人ではなく、自分の中にいるもう一人の自分かもしれない)。
結論から言うと、そんなもんは全スルーでOK。好きなことしましょう。
大抵「常識」とか「社会的な善」を盾にごにょごにょ言ってるだけで、当の本人もそれ以上にの思想は何も持っていないことが多い。

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どちらの価値が高い?

何かを選択するとき、大抵の人が「選択肢のどちらに価値があるか?」を考えているはずだ。

例えば今日の晩御飯。
「牛肉ですき焼とかおいしそうだけど値段…。豚バラ安いし、買って焼肉にしようかな。」
(↑私がよくやる選択(笑)豚バラ×大根おろし最高。)

ここで価値が高いのは「おいしくて値段が安いもの」。
じゃあこんなのはどうだろう。

「今日は!絶対に!うなぎを!食べる!!」

こういう日ないですか?疲れてるときとか特に。
ほんとにここのうなぎめっちゃうまかった…絶対また行く。

ここで価値が高いのは「うなぎ」。
好きなもの色々あるけど、この瞬間はうなぎ以外全部ダメ。
値段?そんなん二の次でしょう!!
破綻しない範囲なら、割と何に使ってもいいと思ってる。
(「経済を回してるからOK」なんて理由付けも不要。自分を満足させるためにお金を使うの、なんで悪いの?)


長々と書いたが、ここで伝えたかったのは「価値基準とは変動するものである」ということ。
「食事」という凄く限られた視点で語っても、「値段/おいしさ/栄養」などの個々の要素をどの程度優先させるか、それはその人次第なのだ。
そんな曖昧なものに決まった「正しさ」を求めること自体に無理があるのに、世の中では往々にしてそれが行われているのだから恐ろしい。
それが冒頭の「休みは旅行にいくべき」「ゲームはくだらない、本は素晴らしい」みたいなコメントとして出てくるわけだ。

「好きなものよりコスパいいものを買うのが賢い」という呪詛

ちょっと話は変わるが、皆さんは「コスパがいいもの」は好きだろうか。
ちなみに私は大好き(笑) 質/量/値段、このあたりのバランスを取って買い物をすることが多い。
だがそれは「それ以外の価値基準では私にとって同価値」な場合、端的に言えば「これが欲しい」という欲求がどれに対しても湧かない(もしくは同程度)場合のみの適用だ。
コスパが悪くても、欲しいものがあればそちらを優先する。

そんなの当たり前でしょ?と思うかもしれない。
だがそれができない人間もいるのだ。まあ昔の私だったりするわけだが。
子供のころ、誕生日プレゼントですら欲しいものを素直に「欲しい」と言えなかった。
結局、「これでいい」と言って、安い仮面ライダーファミコン選んだ記憶がある。まあ結果的にはそのゲームでめっちゃ遊んだけど。

何でこんなことが起こるのか?
要因は色々あるだろうが、「自分に価値がないと思っている」ことが大きく影響しているのではないかと思っている。
上記の例だと、
自分に価値はない(もしくは価値が低い)と感じる→こんな高いものを買ってもらうのは悪い→妥協→満足できない→ネガティブになる→自分に価値はないと感じる 
というループにはまる。
子供の頃の満足の比率がもう少し高ければ(ほんとに嬉しかったの、両手で足りるくらいしか記憶ない…)、もうちょっと素直にお願いできる大人になってたかなーとも思うが、まあこれはこれで必要な経験だった気もする。しんどかったけど!(笑)

コスパを追求するのはいいんだけど、それを最優先にするのはお金に自分の人生の主導権をあげているようなもの。
そういう状態は、はっきり言って楽しくない!
私たちはお金を貯めるために生きているわけではないし、自分の望みを叶えるためにお金を使うのは全然問題ないのだが、どういうわけか「節約」「コスパ重視」の価値が高いと思わされるようになっている。
最優先すべきは自分の感情である。「節約」・コスパ重視」などのその他の基準が1番になってはいけない。
(ただし、経済的に破綻するような極端な欲求は例外。そういうものは何かの代替であることが多い。ex:高級車GET=みんなから羨ましがられる ←本当の欲求は「評価されたい」)

いい気分でいられることを選択し続ければ最強!

このブログでは再三主張してるけど、人生を幸せにし、引き寄せの流れに乗るためにも大事なことなのでもう一回書いておく。

大事なのは自分がいい気分でいられるものを選択すること。
今、この瞬間が「幸せ」になる選択を一生続ければ、幸せ以外が入り込む余地はない。

これは決して刹那的・短絡的に生きるということではなくて、長期的な視点で健康・家計・スキルアップなどを考えることは全く矛盾しないんだけど、「今、この瞬間にフォーカス」することを逃げ口上にしている人がたまにいて、「あー…」という気分になる。
「嫌を避ける」≠「いい気分を選択する」だし、「今」にフォーカスして自分の欲求を優先すると、むしろ苦手なことどんどんさせられる流れになったりする(ただし苦行感はない)んだけどな…
まあ逃げることすらもその人の意思だから、私は何も言わないけど。
とりあえずグチ相手・ひがみ対象にされる前に距離は置く(笑)

あと念のため書いておくけど、他人に危害を加える欲求は実行しちゃダメ。
法律的にも倫理的にも引き寄せ的にも。
この手の願望も何かの代替の場合が多いかな。


このGW中、是非「自分が満足すること」をなんでもいいのでやってみてほしい。
掃除する、ゲームする、ゆっくり寝る、おいしいものを食べる、欲しいものを買う などなど。
お金なり時間なりコストはかかるけど、まずはそのコストを負うのが苦痛じゃない程度で。
そしてできればそれを習慣化、さらに他のこともやってみる。
まずはお試し1ヶ月!その後何が起こるかはお楽しみ。