引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

世界は優しい。シグナルはどこにでも。

忙しいせいか体調不良か、とにかくパワー不足。
これといって嫌なことがあったとは思わないのだが、小さなストレス源がたくさんあって辟易している。
特に相手が悪意なく(どころか善意で)する行為が私にとってはストレスだったりするから困ったものである。

そうやって感情に没頭していたら、ツイッターでこんな記事が流れてきた。

tabi-labo.com

引き寄せに興味のある方ならおそらくご存知かと思うが、いわゆる「映写機」的な話である。
(記事は大半が映画紹介なので見ても見なくても構わない。)

この記事のおかげで少し冷静になり、別のベクトルに感情を向けることができるようになった。
ついでに、「感情は自分の望みが何かを知るためのツールである」ということも*1

少し気分が良くなったら、その日のお昼にはとても嬉しいことが起こった。
1つの願いが叶っている最中だったのだが、どうやらそれが「叶って当たり前」くらいまで自分に落とし込まれたらしいと推察している。

現実にはいろいろなことが起こって、感情はそれに翻弄される。
それ自体は仕方のないこと、というより、「そうなるようになっている」のだ、私たちは。
だから、感情に溺れているということをまずは認識しよう。
世界は案外メッセージを送ってくれている。
気付けるかどうか、である。

全快とはまだ言えないが、まあ何とかなるのかなーという気分である。
さて、今日も頑張るかな。

*1:ただし、感情の役目はそれだけではない。

「忘れなければ叶わない」ことはない。大事なのはブレーキをかけないこと

こんな質問をいただいた。

どうしても忘れることが出来ない願いってあるじゃないですか。
そう言うのは忘れなくても叶う、でいいんですかね?

記事はこちら。

mentalworld.hatenablog.jp


この機に「忘れること」についてちょっと書いておこうと思う。

「忘れる」は必須ではない

確かに最近の私は「忘れろ」しか言っていないように思うが、これは誤解を生むようである。軽く反省。
特にこの記事など。

mentalworld.hatenablog.jp

「忘れるのが効果的」だというのは、あくまで「私にとっては」という前提がつく。
私は自分に効果があったから、読者の皆さんにも当然この方法をオススメする。
だからと言って必須要件ではないのだ。数ある方法のうちの1つでしかない。
「忘れなきゃダメだ」などという縛りが出来るくらいなら、この方法は忘れた方がいい。

目的を達するためのルートはいくらでもある

これは引き寄せ抜きでも言えることだが、ある結果にたどり着くためのルートは無数にある。
それを限定してしまうから成果が遠のくのである。

例えば恋愛。
よく「出会いがない」なんて言葉を耳にするが、「出会うこと」に対して方法を限定しなければそんなことはないはずである。
ネットで仲良くなってもいい、お見合いでも婚活でもいい、趣味の友人や幼馴染が恋人になる可能性だってある。旅行先で出会った人に一目惚れすることだってあるかもしれない。
要は「自分がどこまで許可できるか(許可したいか)」ということなのだと思う。

許可を出そう

どんなやり方を許可するかは個人の自由である。
「いや、自分は方法になんてこだわりはない、とにかく叶えたいのに叶わない」と思われる方もいらっしゃるかと思うが、果たして本当に制限していないのかどうか、今一度ご自身の行動を振り返って欲しい。
再考すべきは思考ではなく、行動である。
結局、実際に行動していないということは「気持ちの上で落とし込めていない」ということに他ならない。
自分がどう思っているかを知るには、あくまで行動をベースに考えて欲しい。

「〜したい」と思ったら、自分で叶えに行けばいいのである。
「引き寄せ」という言葉は、「自分が労力を払わずに望んだことがもたらされる」という解釈がされていることが多いと感じる。
それだと恐らく成功率は低い。なぜなら「自分で叶えること」を許可していないからである。
だからこそ、こういう遊びみたいなことも必要になる。

mentalworld.hatenablog.jp

ハロハロくらい、食べたい時に食べに行けばいいのだ。
それを叶える力くらい、自分にはあるのだから。

大事なのは「ブレーキをかけないこと」

基本的には「願えば叶う」のだと私は考えている。
にもかかわらず、叶わない事例が多いのはなぜか。
それはやはり「自ら叶わないようにしている」と考えるのが妥当だと感じている。

こう書けば「そんなことはない」と反発されるのは必然である。
私自身「叶えるのを自ら邪魔するわけがない」と思っている1人だから、気持ちはよく分かる。
だが、やはり現状の結論は変わらない。

いくつか事例をあげたい。

例えば「どうせ願いなんか叶わない」という想いを感じることがある。
特に自分にとって重要度の高い願いでそう感じることが多いかと思うのだが、この「どうせ叶わない」という想いは「絶対に叶う」と矛盾し、それぞれを相殺してしまう。
結果として変化を起こすだけのエネルギー量がなくなって現状維持、これが「ブレーキをかける」という仕組みなのではないかと考えている。

この相殺が半ば無意識で行われることもある。
自分の中に「矛盾する願い」が2つ以上あるときなどがそうである。
ダイエットのような苦行を強いられる類の願いが、事例としてあげられることが多いように思う。
「やせたい、けど食べたい」
この2つの願いは一見矛盾しているように見える。
自分が「2つを同時に叶えるのは無理」だという認識であれば相殺されてしまうだろう。
が、本当にそうだろうか?2つとも同時に叶える方法は皆無なのか?
私は方法などいくらでもあるように思うのだ。
「食べたい」なら食べればいい。ただしきちんとそのカロリー分+αを消費する。可能かどうかはともかく、原理的にはこれでいけるはずである。
何かの理由でそもそも「食べたい」という気持ちが起こらなくなり、結果として満足するまで食べてもやせる、ということだってありえるだろう。
こんなの実行できるのか?それはわからない。
だが少なくとも「全く方法がない」わけではない。それを認識することが重要なのだ。
とにかく、できる限り「不可能だ」と思っている項目をなくす。「もしかしたらできるかも?」程度にするだけでもかなり違うはずである。

ブレーキをかけない方法まとめ

ブレーキをかけないためにするべきは2つ。

・矛盾した考えを意識に長く止めない(だから忘れることをオススメしている)
・不可能だという考えを極力なくす

これが達成できれば方法にはこだわらなくていい。
忘れることが目的ではないので、そこを忘れないようにしていただければと思う。

引き寄せが急に上手くいくようになったので、何があったかを振り返ってみる

急に色々なことが叶うようになった。
何に起因するのか全くわからない。「引き寄せ研究」と称している身としてはかなりの敗北感である。
私だけが願いを叶えるのではなく、これを読む人がすべからく願いを叶える。私はこの境地を目指したいのだ。
今までと何が変わったか、考えてみたいと思う。

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叶った(叶うことを確信している)願い

まずはどんなことが叶ったのかを挙げていきたい。
書けること書けないことあるので、多少回りくどい表現なのはご勘弁いただこう。

・嫌いな人がいなくなった
・やりたい仕事ができるようになりそう
・想定もしていなかった臨時収入があった
・好きな人たちとかなりの頻度で関われるようになった
・欲しいと思っていたものを手に入れることができた
・やろうと思いつつ先延ばしにしていたことが強制的に実行された

抽象的で申し訳ない…
複数個の願いも同じところにカテゴライズしたので、実際には6個以上叶っている。
もっと古い記憶を辿ると、かなりのものが叶っている気がする。

どんな変化をしたか

重要なのはここから。
このように願いが叶うようになったきっかけが必ずあるはずである。
引き寄せが「法則」である以上、理由なく叶うなんてことはありえないのだ*1

よく動くようになった

このブログもそれなりに更新頻度が上がったのではないかと思う。
実はここ以外にもいくつかブログを運営しているが、そちらも含める更新頻度はそこそこ高い。
1日1記事には届かないが、それでも2日に1記事くらいは書いているのではないかと思う。
今までのことを考えると、これはかなりの変化である。

さらに言うと、ネット以外でもかなり動くようになった。
週に3回以上は釣りに行っているし、運動もしている。
これも今までの生活と比較するとかなり変わっている。

気が緩んでいる時間が多くなった

先の釣りの話になるが、私は海釣り専門なので必然的に海に行く回数が増えた。
海はいい。ものすごくリラックス出来る。
心に何も浮かばず、水面のようになる。集中するのは竿から伝わる感覚のみ。
もしかするとこれが瞑想と同じような効果を生んでいるのかもしれない。

仕事でたまるストレス、日々感じること(うれしいことも含めて)、そういうものは吐き出すか消化しないと澱のように溜まっていくばかりである。
釣りをしている間はきっと消化が促進されているのだろうと思う。

1日に数時間リラックスするだけでこの効果なのだとしたら、気を張る、執着する、心配するなどの「心に余白のない状況」は、引き寄せにとって百害あって一利なしである。
やはり「安心する」ことは引き寄せ率を上げてくれるのかもしれない。

幸せを積極的に得るようになった

例えば、欲しいものを買えるのに買わない。やりたいことがあるのに、やるべきことを優先する。
こういう状況を極力排除するようにした。

これは不思議なのだが、欲しいものをためらわず手に入れれば自然と物欲は減っていくし、やりたいことをやればどんな状況でも不満がなくなる。

安いからという理由での衝動買いが減り(ないとは言わないが)、「自分が本当に欲しいか、好きか」を考えるようになった。
「ものを手に入れたい」という時は、少なからず「好き」以外の理由(例えば見栄を張れる・安い・テレビで紹介されていた など)が入って来るものである。
そこを「好き」に絞るだけで、ものとの関係はかなり快適なものになるように思う。

やりたいことをしていると、どんな状況も「悪くない」ように感じられてくる。
例えば今日は雨である。
洗濯できない、釣りに行けない、寒いなど、不満をあげることは確かに出来る。
が、私の捉え方はそうではない。
「雨なら雨で家の中でゆっくり何か作ったりブログ更新したりできる。みんなもゆっくりしてるみたいだ。なかなかいい日じゃないか。」
「釣りに行きたい…!」という衝動が出てくることはあるが、不満に思うというレベルではない。

我慢(=感情や衝動を押さえつける行為)はよろしくないのだなあというのが率直な思いである。
もちろん法律やルールは守らなければならないから、必ずしも思いのままに動けるとは限らない。
だが、最大限許される範囲で自分の願いを叶えに行くスタンスは大切だと思っている。

リラックスしてみよう

実は「3日後引き寄せ日記」の趣旨も「安心しよう」ということ。
とにかく力を抜く。それだけである。

願望実現の理由が今日の記事のことだとは断定できないが、試してみる価値はあるのではなかろうか。
読者諸賢も是非やってみて欲しい。

*1:全てが偶然、運が良かっただけ、なら理由がないこともあるかもしれない。だが私は「そもそも偶然なんてない」というスタンスなので、そう主張されても反論するだけである。論拠を示すのが難しいが。

苦手な人と「関わりたくないな」と思っていたら、本当に関わらなくて済むようになった。

今日はちょっとびっくりな叶い方をしたので報告。
個人レベルではどうしようもないことが決まって、願いが叶ってしまった。
こういう展開がたまに来るから引き寄せは面白い。

この辺も同じ類の出来事↓

mentalworld.hatenablog.jp

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想定もしなかった展開が来る

最近、ある人のある行為にすごくイライラしていた。
その人自体が必ずしも嫌いというわけではないのだが、それをされると1日嫌な気分になった。
困ったのは、それが「善意から来る行動」だということだ。
「善意」は怖い。拒否しにくいし、すれば罪悪感を感じる。
本当は受け取るか受け取らないかは自分で決めていいはずなのに、だ。
しかも返報性まで感じてしまうのだから、悪意なんかよりよっぽど厄介である。

まあそんなやさぐれた私の善意に対する批評など、この際どうでもいい。
大事なのは、そういう「辟易するような状況は嫌だ」と思っていたら、その状況を安定して回避できるようなことが起こったことだ。
具体的に言えば、「その人の部署異動が決定した」のだ。

引き寄せに常識は通用しない

「何だ、たかが異動か」と思うなかれ。
立場的にその人がこの時期に異動するなど絶対にありえないのだ。

私は「こういうことされるのすごく嫌。関わるの面倒だなー」と思っていたくらいで、「どっか行けばいいのに」と明確に(かつ執拗に)は思っていなかったはずである。
それでも叶ってしまった。
そしてこれは私の別の願いへの布石になる予感もしている。

私には「書く」のが合っているらしい

強いて言うなら、このことに関して愚痴まがいのことを手帳の日記に書いた。
それが9月8日。まだ2週間経っていない。
その時はこんな展開が待っているなど予想だにしなかった。
これはもっと色々試して検証しなければ。

「手帳に書けば叶う」、これを私のセオリーとして確立できれば、願いを叶える精度も必然的に上がるはずである。

『”奇跡”は自分で起こせる!3日後「引き寄せ」日記』第3章 概要と理論



さて、この章ではいよいよ「3日後引き寄せ日記」の作り方と使い方に迫る。

第3章 『3日後「引き寄せ」日記』*1のつくり方&使い方

「現象・物質」ではなく「感情」に焦点を当てる

引き寄せが失敗するのは、リアルさの感じられない未来をイメージするから。
まずは「小さな引き寄せ」を体験し、体質を変化させようと著者は説く。
それを続けることで、前回の記事で書いた「第3ステップ」を目指すのである。

私は割とイメージは得意な方である。
絵を描くこともその一因かもしれないが、妄想でニヤニヤなど日常茶飯事だ(我ながら若干気持ちわるい)。

例えば、私は今欲しい財布がある。
ATAOのlimovitroというものなのだが、これがもうめちゃくちゃにきれいな財布なのだ。
これでレザー製というのだから信じられない。
私はこの財布の実物を見たことがない。
だが紹介されている文章から、その革の柔らかさ、しっとりして手になじむ感じ、何ならにおいまで想像することができる。
その想像が合っているのかは手にするまでもちろんわからないのだが、私自身には何ら疑いの感覚は湧いてこない。
その財布が自分のものになったことを考えると、自然とニヤニヤしてしまう(やはり気持ち悪い)。

ここまで想像しても、叶わないこともある(多分この財布は叶うが)。
特に恋愛系の人間関係は難しい。
…と思ったのだが、欲しいもの得るための想像と、恋愛を叶えたい時にする想像が違うことに、これを書いていて気付いた。
(恋愛系は感情が付帯してなかった。基本忘れてる)
とにかく、イメージできないことは叶いにくいというのが私の経験からの結論である。

1年後の自分はなかなかイメージしにくい。
では3日後なら?それが無理なら1時間後はどうだろう?
少し先の自分が、今の悩みを手放して安心感を得ている。
安心感の理由は何でもいい。悩みが根本から解決しなくても、おいしいものを食べたり、ちょっといいことがあったり。そんなきっかけで構わない。

これは私からの提案だが、もしその「きっかけ」が想像できたら、自ら動いてその「きっかけ」を手に入れてしまおう。
「きっかけ」をイメージできなければ、それを手にいれることはなかったはずである。自分で動こうがたなぼただろうが、方法はどうでもいい。
実はこれが「引き寄せ」の仕組みなのだが、あまりに簡単すぎて却って腑に落ちないかもしれない。
願いは自分で叶えてもいいのだ。問題は、イメージして、それを受け取ることを自分に許可できるかどうかだけである。

実践ワーク

さて、ここからはワークである。
ぜひやってみることをおオススメする。
詳細書けないのがもどかしい。ぜひ書籍を読んでいただければと思う。

①3日後になりたい「感情」を書き出す
②3日後、その感情を味わえる様な状況をイメージしてみる
③もっと先のこともイメージして書き出してみる

これは心のクセを治すためのワークなので、1回すればいいというものではない。
著者のHAPPYさんは「目的地を設定すれば自動でそこまで導いてくれる、カーナビと一緒だ」と述べ、1ヶ月くらいやれば変化が訪れるだろうと主張している。

変化にかかる時間は私にはわからない。
が、現実に対する捉え方を変えることは、引き寄せ抜きにしても重要であると考えている。
1番ダメなのは、やらずに諦めることである。
3日坊主でもいい。3日坊主を10回やれば1ヶ月だ。

3日後じゃなければいけないのか?

結論から言えば、3日後でも構わない。
大事なところなので著者の言を借りたい。

どんな現実を自分は「体験」したいのかを頭の中で決めてから、時計の針を進めていく。
「希望」に焦点を合わせ「未来を自分で作っていく」。この感覚をつかんでいただきたいだけなのです。
最大のポイントは「惰性の思考からの脱却」です。

3章まとめ

では今日も引用を。

1.2回では変化は起きないが、
続けることで確実に「心」に変化があらわれ、
現実は後追いで動きはじめるようになる

人は本来すべてを自由に創り出し
選択することができる


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*1:どうでもいい話だが、この鉤括弧の使い方違和感感じませんか。今更か。

叶えると決めたことリスト

書いて忘れることで願いがどのくらい叶うのか検証。
リストの名前は「叶うのは決定事項」という意思を込めて。
思いついた時に適当にリストアップして、叶ったらコメントを付ける。
あんまりプライベートなのはさすがに書けないが(笑)
とりあえず運用して、不都合あったら適宜ルール改正していく予定。
興味ある方はやってみてはどうだろう。


★2022/11/6更新★

『”奇跡”は自分で起こせる!3日後「引き寄せ」日記』第2章 概要と理論

☆その1・その2


さて、3回目。ずいぶん日があいてしまって申し訳ない。
今回もぼかしつつ伝わる様に。

2章 「感じ方」のトレーニング方法

思考状態のチェック

2章では「叶わない人の典型的なパターン」を解説し、その改善のためには感じ方と反応を変えるトレーニングが必要であると説いている。
そのためには、まず「自分がどのレベルにいるのかを把握する必要がある」という。
これはとても腑に落ちる話で、例えば筋トレをするのでも、たいした筋肉のないうちに急に負荷の高いものをやって、しんどい上に効果が薄いという悲惨な結末を迎えるパターンは珍しくない。
引き寄せも例外ではないのである。
チェック項目が3種類あり、どの該当数が1番多いかで自分のレベルがわかるようになっている。
いくつか引用したい。

第1ステップ
☆毎日がつまらない
☆自分はあまり幸せではないと思う
☆他人の評価が気になる


第2ステップ
☆毎日は幸せだが、夢はない


第3ステップ
☆ワクワクするようなやりたいことがある

設問数に差があるのがチェックリストとしては不完全な気はするが、そこはスルーしておこう。
どのステップにいるかで、必要な事が違うというのが著者の主張。
よくブログなどで書かれている「いい気分でいる」のが大事なのは、第1ステップに該当する人らしい(むしろそれ以外は必要ないとのこと)。

私はおそらく2~3の間をふらふらしているのではないかと思っている。
第3ステージまでいけば、紙に書いてイメージすれば割とすんなり叶うはずとの事である。
まだそこまで到達できている感はない。もうちょっとかな。

うまくいかない人は、第1からいきなり第3に飛んでしまっている。
表層的に取り繕っても本心で感じなければ現実は変わらないので、結果として引き寄せに挫折してしまう。
これがこの項の主張だ。

自己肯定感の必要性

「ネガティブな感情は悪いもの」よく引き寄せ系では出てくる話であるし*1、誰しも感じたことがあるのではないかと思う。
だが著者のHAPPYさんは、「ネガティブを否定しない」ことを説いている。
ネガティブな感情(不安・心配・嫉妬・悲しさ・寂しさ・怒りなど)を感じている自分がいるのは事実。今はこれでいいやとゆるく肯定する。
文中には「半ば開き直りのような」と書いてあるが、あるがままを見つめるのは自分を知る上でとても大切な事。そんなに卑屈になる事はない。

うまくいうかない現実にどうしても振り回されてしまう。これは往々にしてある事である。
私も悲しくなったり腹が立ったり寂しくなったり、現実(と過去)に振り回されることなど普通にある。
というか、「そうなるようになっている」のだ、私たちは。
(むしろ「引き寄せを知る」というのが若干チートなんじゃないのかと思わなくもなく…(笑) まあ世界は無限に与えてくれて、チートが他者からの搾取になるわけではない。何だろうが遠慮なく受けとればいいのだが。)
落ち込んだ時はきっと「落ち込みたい時」なのである。それはそれでまた何か変化のきっかけになったりするのだ。
「ネガティブを否定しない」、これはポイントになる考え方かと思う。

感情エネルギーを望む方に合わせる

人生は自分の思った通りになる、これが引き寄せの基本的な考え方である。
ということは、幸せな未来を望むなら「幸せを望む」ことは必須。
では「望む」とはどういう状態か。それがこの項には書かれている。

「現実を変えていく」「意図的に未来を創る」ということは、前述した通り望む未来の現実の自分の波動エネルギーに、「今」チャンネルを合わせていくことが必要です。

ちょっとわかりにくい表現である。特に真ん中の1節。
簡単に言えば、「未来で自分が感じるであろう感情を、『今』感じることが大事」ということである。

上っ面の感情ではもちろん効果はない。ネガティブを無理やりポジティブに持って行ってもダメなのだ。
だからこそ前項の「感情を認める」ということが必要となる。
一度認めてすっきりして、そこから仕切り直してポジティブな感情を経験しに行く。
他の記事で述べたかと思うが、自分で叶えられる願いはどんどん叶えに行こう。
そうやって幸せな感情を経験することで、「願いを叶える」ことへのハードルが下がる。
ただし「〜をしたくないから」という逃げの願いはダメだ。「〜したい」の方を叶えて欲しい。
何か嫌なことがある場合は、一旦「望ましい形」に置き換え、それを叶えに行くという形が良いかと思う。

2章まとめ

では今回も2つほど引用を。

「今の自分は不幸だ」と感じてしまう人は、
現実に対する自分の
「感じ方」と「反応」を変えるトレーニングをしよう

自分と向き合い「肯定」し、
"ホッ"とした良い気分でいる割合が増えると
「望む現実」が体験しやすくなる

詳しくは書籍で!

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*1:他の記事でも再三述べているが、私はエネルギーのベクトルの違いだと思っている。

願いを叶えたければ「願い事リスト」はどんどん作っていくべき!その理由は?

忙しさにかまけてつい更新を後回しにしてしまった。
色々と気付いたりしているのだけど、通り過ぎて行ってしまう。
自分の備忘録も兼ねて、アウトプットすることは大事だなあと痛感した。

そんなわけで、今日もふと浮かんだ仮説を展開してみようと思う。
現時点ではこれが1番願いを叶えるのにいい気がしている。

始まりは「書くと叶うのなら、たくさん書いた方がいいのでは?」という浅はかな考えから

再三言っているが、「3日後日記」にあるように「願いの叶った後の自分の状態」を書き出し、そのまま忘れるというのはとても効果がある様に思える。
私は今それをブログ上でやっているわけなのだが、ふと「願い事リストにしたらもっと捗るんじゃ?」と思いついた。
単純に「いくつもの願いを同時進行で進めた方が効率がいいに決まっている」ということである。

恐らく引き寄せを実践されている皆さんの共通の願望として、「早く願いが叶った状態を引き寄せたい」というのがあるのではないかと思う。
特に私はせっかちである。成果は早く出るに越したことはない。
なんとなく効率論とは引き寄せはそぐわない様な感じ(スピ系と科学・経済的な理論の反発する感じ)がしなくもないが、その感覚自体がまだ引き寄せを「特殊なもの」として扱っている証拠なのかもしれない。
引き寄せは何ら変わったことではない。当たり前の仕組みなのだ。

「願い事リスト」で願いがかなう、その仕組みを考える

私は今までに願い事リストをいくつか作っている。
年が変わってすぐに、新しい手帳に100の願いを書いたこともあるし、「2年は見ない」というルールでリストを封印したこともある。
10くらいのリストなら、もうどこに記載しているかわからないレベルである(これは良くない。あとで叶ったか確認できない)。
リスト化した願いの母数がわからない、途中で願いが変わったなどの理由で実現率は算出できないのだが、「そこそこ叶っている」ということは言える。

では、どうして叶うのか。
あくまで仮説であるが、こんな感じではなかろうか。
追証はこれからこのブログで*1

願いを考える=「考える」ことで「叶ったらどういう気持ちになるか」を自然と想像する
→書き出す
→願いを思いつかなくなる=全てが叶ったあとの状態を想像する
→満足した状態になる=執着がなくなる
→願いが叶いやすい状態になる

ざっくりではあるが、こういう流れになっているのではないかと推測している。
以下、項目を細分化して見てみることにする。

願いをリスト化することによるメリット

考えることは未来に焦点を当てること

考えるということは、対象に意識の焦点を当てるということである。
「願う」というのは起こっていない未来に焦点を合わせることだと私は考えている。
だからもし四六時中それについて「可能である」と考えていることができれば、どんな願いも叶うのではないかと思う。
実際には常識や理性でどうしても制限がかかってしまうので、何でもというわけにはいかないだろうが。

考えて焦点を当て、そこにエネルギーを与える。
エネルギー源は感情である。
起こって欲しい未来を考えて、それが叶ったらどういう気持ちになるか想像(創造)する。
叶うルートは規定しない。結果だけを考えればいい。

1つ1つに執着がなくなる

願い事をリスト化していくと、新たな願望がどんどん浮かばなくなってくる。
リスト化している時はこれが結構しんどかったりするのだが、実はこれが存外にいい働きをしているような気がしている。
これは「願いが浮かばないくらいに満たされた時間にいる」ということを、先取りしている状態ではないかと思うのである。

当たり前の事かもしれないが、不満*2がなければ願望は浮かばない。
不満を生じる様な状況は、逆に考えれば「目指す場所を教えてくれる」とも言える。
だが、不満が強すぎれば願望への執着や不安となり、実現にブレーキをかけてしまう事となる。
リスト化はこの辺りのバランスをうまく整えてくれているのではないかという気がするのである。

願いを苦もなく忘れられる

真っ先に浮かぶ、重要度の高い願いほど叶わない。
そんな経験をした(している)方も多いのではないかと思う。
かくいう私がそうである(笑)

前項でも書いたが、これはやはり「執着」という名のブレーキをかけているのではなかろうか。
もちろんベクトルが単純に正負方向のみだとは思わないのだが、少なからず邪魔をしているように思う。

リスト化のいいところは、多くの願いについて考えるために力が分散される事である。
集中した方がいいのでは?と思われるのはごもっとも。
だが、エネルギー量を1/10にするより執着ブレーキの方が悪影響を及ぼしている様に感じるのだ。
もちろん定量化できないしただの感覚でしかないが…。

すべて満たされた状態で何を願うか、思考実験ができる

「全てが叶った状態」になるのはなかなか難しい。
が、思考の上ならこれをいくらでも実現できる。
すべて満たされた状態でもさらに願う事、それは真に欲している事であり、もしかすると人生の目的ですらあるのかもしれない。
自分の目指すものを知る事ができるのはとても重要なメリットだと感じている。

今週叶えること

これだけリスト化の強力さを論じたのだ、もちろん私は新規のリストを作るつもりでいる。
せっかくなのでそのリストを記事化しておこうと思う。
いつ実装できるかは未定だが、上部メニューからリンクを貼る予定である。
お時間のある方はリスト化でどのくらいの時間でどのくらいの割合で叶っているかを見ていただければと思う。

リスト化をすればこの項は必要ないような気もするが、叶えたことを記録として残す目的で続けていくことにした。
検証目的なので無理矢理願いをひねり出している感はあるが…まあそれも一興。
「どうあっても叶う」という検証になればいいか。

まず先週の願いのおさらい。

mentalworld.hatenablog.jp

では今週の願い。
「成果に対して正当な報酬がもらえて嬉しい」
色々できる分、どうしても搾取される傾向にある(「簡単にできるんだからそのくらいやってくれてもいいでしょ」的な)。
もちろんこちらから「やる」と言ったものはいいのだが、押し付けてくる(拒否権を認めない)ことがあまりに多い。
簡単だろうが何だろうが、労力を払うのは変わりないのだ。
それに対してあまりに無頓着な輩が多くて割とイライラさせられる。
その辺が改善されたらとても嬉しく、より楽しい毎日になるのだ。

報酬はお金とは限らない。
だが「ありがとう」のような、口先だけでは何とでも言えるものはカウントしない。
形骸的な感謝は次の搾取への布石である。

それにしても、ほんとに心の狭い人間だなあと思う(笑)
いやいや、物心ついた時から要求されるばかりでリターンがなかったから、このくらい思っていてちょうどいいのだ。

結果。
色々もらいまくった。マジで。
今すごく熱を入れてやっている釣り関係のもの、すごく興味のあることに対する知識、極め付けのおすそわけラッシュ。
ちょっと普通ではありえない感じだったので嬉しかった。

だが反省点もある。
「正当な報酬」と書いたのが良くなかったように思う。
ここは「私が望むものを報酬としてもらう」としなければならなかったのだ。

何が起こったかというと、特に欲してない情報を善意で無理やり教えられたり、欲しくないお菓子をもらったり。
「何かしらの対価をもらう」という観点では、これらも立派な「報酬」である。
ただ、「私が望まない」というだけだ。

その辺りを反省しつつ、今週の願い。

「自分が欲しいと思ったものをたくさんもらえて嬉しい」

「成果をあげる」必要はないのだ(もちろんベストは尽くすが)。
素直に欲しいものを受け取ればいい。
それはものだけではなく、言葉や行為や気持ちも含める。
それが上っ面だけかどうかは、その後の態度でわかるはずである。

*1:差し障りのない願いしか書けないのが難しいところではある。さすがに個人特定できるようなものはなあ。

*2:引き寄せ云々抜きでも、不満というのは単なる変化への渇望である。それ自体に善悪はない。まあしんどいのは間違いないが。

【願望実現報告】無理めの願いが1ヶ月以内に叶ってちょっとビビっている

今日は報告のみなのでさらっと。
近々長文投下するので、引き寄せの仕組み考察についてはもう少々お待ちを。

8月下旬にスマホのTODOに羅列していた願いが予期せぬ形で叶った。
逆に焦る(笑)

「〜さんとLINEするようになりたい」という願いが叶った

電話番号も知っていてLINEも登録済み。
だけどプライベートでコミュニケーションとるのは不自然、そういう人がいる。
この人、とても面白いので個人的にすごく仲良くなりたかったのだが、なかなか距離を縮められずにいた。

それがこの1ヶ月くらいで驚く様な展開で仲良くなり、今では普通に雑談する仲である。
それでもLINEはしていなかったのだけど、想定もしていなかったきっかけで急にメッセージが来た。
かなり驚いたのと同時に、「(願いさえすれば)やっぱり叶うやん」と再確認した。

願いはスマホのTODOリストに書いただけ

何か特別な儀式をしたかというと、そんなことはない。
私はただ、願い事をリスト化しただけである。
(先に書いた長文はこの「願い事のリスト化」についての話である。結論を書いてしまうと、願い事をリスト化すると叶う確率が上がるのではないかと思っている。詳細はまた後日)

私が使っているのは「Wunderlist」というアプリであるが、別にどんなアプリでもいいし、ノートでも構わない。
とにかく書こう。

願いは叶うものである

この願い、書いた事をすっかり忘れていた。
やはり「書いて忘れる」方式は最強かなあと思っている。

短いが今日はここまで。おやすみ!

思い続けるは逆効果か!?願いを叶えるには「願って忘れる」が最強かもしれない

今週もなかなかに多忙だった。
この状況がいつまで続くのかわからないので、ブログを書きやすい環境にするべく模様替えをした。
これならご飯を食べながらパソコンをいじることができる。
もちろんスマホからブログ更新もできるが、そこそこ文章量もあるから大変だし、何より制約が多くて少々イラッとするのだ。
はてなブログのアプリがパソコン版と同じ機能を持ってくれればいいのだが…それは今後に期待ということで。

願いを叶える方法はいくつもある

タイトルと矛盾するようだが、願いの叶え方など山ほどある。
ひたすら唱えてもいいし、イメージしてもいい。
宗教的な存在に頼るのもアリだし(他人に迷惑をかけないレベルなら 強引な勧誘とかはいけない)、
引き寄せの法則」など完全に無視し、現実的な対処(努力する、策を弄するなど)を繰り返して実現させることだって可能だろう。
とにかく「叶え方は1つではない」ということが大前提。
「このやり方は間違っている」ということはなく、その方法が効率的かどうか、それだけだと思う。

そんな中、私が最近効果を感じているのが「願って忘れる」という方法だ。
やっていることは「3日後日記」の亜種だと思っていただければいい。
源流はやはり「3日後日記」である。

願いを「書いて忘れる」、これが良さそう

前項で「やっていることは『3日後日記』の亜種」と書いたが、ここで具体的に方法を説明したい。
…と書くと大仰だが、そんなに大したことはしていない。気楽にやって欲しい。

1.記録できるものを用意

書くもの、記録するものは何でもいい。
私が最初にこの方法の効果に気付いたのは、付箋にメモ程度に書いたことが叶った時である。そのくらい書くものはどうでもいいのだ。

mentalworld.hatenablog.jp

何を望んでいるか考える

書いたことが叶うのなら、望まないことは書かないようにしたい。
そのためにゆっくり考えられる環境だと望ましい。
我が家は猫に邪魔されるので、残念ながら集中できる環境ではない。
仕事も家事も全部自分でやらなければいけないから、それほど時間があるわけでもない。
それでも叶う。だから大丈夫。

注意して欲しいのは「逃げの願いを書かないこと」くらいか。
ここでは「逃げの願い=本当に叶えたいことの代替としての願い」と定義しておく。
例えば「お金が欲しい」→「安定した生活」と望むのなら、最初からお金を飛ばして「安定した生活」を望めばいいということである。

書く

新月の願い」系のサイトでよく書かれているような、「心を落ち着けて、集中して」書くということは必ずしも必要ない。
もちろんそれができれば望ましいが、そういうことができない場合も多いだろう。
「それができないから叶わないのだ」などという余計な意識付けになるだけである。
どんなやり方を取るにしてもそうだが、方法論の制約はなるべく取っ払ってしまおう。
方法は簡単。「どんな状況で願っても叶う」と決めてしまえばいいのである。

「書く時に感情を込めるか」だが、この判断が難しい。
というのは、私自身がどうやって願ったか覚えていないのだ。
わくわくしながらやったような気もするし(引き寄せ関係なく、予定を組んで未来を見る時間は楽しいので、それが功を奏している可能性はある)、時間がなくてさくっと流したような気もする。
1つだけ言えるのは、「絶対叶えてやる」のような執着心はなかったということのみである。

楽しく生活する

この項目は重要だ。

必ずしも「幸せにフォーカスし続ける」ことは必要ではないが、実現を邪魔する感情に惑わされないようにはしたほうがいい。
「実現を邪魔する感情」とは、心配、不安など。
とはいえ、「ほんとにこの願いが叶うのだろうか」「どうせ無理に決まってる」と思ってしまう、これは自然なことである。
なぜそんな思考が働くかと言えば、それは恐らく人間に「警戒心」というものがあるから。
「警戒心」は生命維持のための必須スキルである。
これがなければ種の存続自体が危うい。生物としてなければならない感覚だ。
だから警戒心が働いてしまうのは生物である以上仕方ないのである。「こんなことを思う自分はダメだ」などと思う必要はない。

警戒心を働かないようにする、そのために「楽しむ」ということが重要となる。
各々の経験を振り返れば納得していただけるかと思うが、人間はベクトルの向きが大きく違う2つの感情を同時に感じるようにはできていないようである。
その性質を利用し、心配や不安と相反する感情を積極的に感じるようにする。
それが「楽しむ」ことである。
状況は色々だと思うが、少しでもいい気分にフォーカスしていて欲しい。

主張が良くても一貫性がないと伝わらない

忘却することが実現率に寄与する、そういうことを考えていたら気になる本に出会った。

宇宙は逆さまにできている! 想像以上の恩寵を受け取る方法

宇宙は逆さまにできている! 想像以上の恩寵を受け取る方法

だがレビューが悪い(書評ではなく著者の対応が)ので、買うことはないかと思う。*1
肯定するものだけを賞賛、優遇し、批判的な態度のものは拒絶する。
批判に懐疑的であってもいいが、それ以外の視点は認めないという態度はダメだし、味方してくれたら報酬を与えるというようなことはしてはいけない。
そんなことをするからまともな議論ができなくて、「引き寄せ」が余計胡散臭くなるのだ。
そんなわけで、個人的にはアマゾンのレビューと無料ブログを読んで済まそうと思っている。
多分それで要旨はつかめるのではないか。

こういうものにお金を落とすことのないようご留意いただければと思う。
無料で公開されているもので済むなら、それでいいのである。
中には「お金を使わないから願いが叶わないのだ」などという暴論を唱える猛者もいる。
「無料で公開しろ」と消費者が要求するのも酷いが、無料で公開しておいて「払わないと叶わない」と吐くのも同様に酷い。
先の書籍もそうだが、結局「儲けの手段」(もしくは「自意識満足の手段」)なのかと思わざるをえない。

ちょっと脱線した。申し訳ない。
使う側であってももらう側であっても、お金への執着は本来の目的を曇らせてしまう。
お金は大事だ。損得ではなく、本当に自分が幸せを感じるものに使って欲しい。

今週叶えること

さて、例によって先週の結果報告から行こう。

今週叶えることはこれ。
「仲良くしたい人と飲みに行く」
これは普通の状況ならありえない。
…と思っている時点でダメである(笑)
「ありえない」と思っていることは起こりようがないのだ。
願って、忘れる。余計な意識を干渉させない。
これをうまくやれるかが私にとってのネックなのだろうと考えている。

「願って忘れる」はうまくいった。ブログを更新しなかった甲斐があったというものだ(笑)
残念ながら今週は叶わなかった。*2
が!
仲良くしたい人とばったり会ったり、いろいろコンタクトを取るようになった。
さらに、来週飲みに行くための布石が完成した感じもしている。
結果がどうなるかわからないが、この流れになること自体がとてもおもしろい。

では今週の願い。
「成果に対して正当な報酬がもらえて嬉しい」
色々できる分、どうしても搾取される傾向にある(「簡単にできるんだからそのくらいやってくれてもいいでしょ」的な)。
もちろんこちらから「やる」と言ったものはいいのだが、押し付けてくる(拒否権を認めない)ことがあまりに多い。
簡単だろうが何だろうが、労力を払うのは変わりないのだ。
それに対してあまりに無頓着な輩が多くて割とイライラさせられる。
その辺が改善されたらとても嬉しく、より楽しい毎日になるのだ。

報酬はお金とは限らない。
だが「ありがとう」のような、口先だけでは何とでも言えるものはカウントしない。
形骸的な感謝は次の搾取への布石である。
…このくらい狭量な私でも願いが叶うのだから、皆さんには安心していただきたい(笑)

さて、どうなるか。

*1:もし買った方がいたら、ざっくり(著作権に触れないレベルで)レビューしていただけるととても嬉しい。

*2:期日については気にすることはない。どうせそのうち叶うのだ、焦らなくていい。