引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

具体的な方法論を書くのは、抽象論じゃ伝わらないからだよ

f:id:gachamania:20201114092439j:plain
最近とある人(引き寄せ界ではそこそこ名前を聞く人)が「ただ◯◯すればいいだけなのに、何で方法論ばかり説くのか」みたいなツイートをしていた。
誰が何を言おうがスルーしとけばいいのだが、折角なので少し自分の気持ちを書いておこうかなあと思う。

言いたいことはわからんでもないが

確かに、引き寄せを体得すればするほど方法論は不要になるというのが事実である。
呼吸のように無意識で行うようになってくるから、とても説明しにくい。
(なんて偉そうに書いているが、私もまだまだ修行中)

だから、冒頭に書いたように発言する気持ちもわからなくはない。
が、自身を「引き寄せについて語るもの」という立場とするなら、それはあまりにも不親切だし怠惰だろう。
特にお金を受け取るつもりなら尚更だ。

説明とは具体化と抽象化を繰り返すこと

タイトルにも書いた通り、方法論を書くのは抽象的な表現では伝わらないからである。
ここで言う抽象的・具体的という言葉は、下記のような意味を示す。

抽象的:ふわふわした、意味の幅が広い、いろいろな解釈ができる、応用が効く、雰囲気重視
具体的:言葉が示すものを容易に想像できる、実際の事象に即している、解釈が1つしかできない、汎用性がない、行動重視

例えばこんな感じ。

抽象的な表現ー具体的な表現
1.赤いものーリンゴ 2.冬ー2020年1月 3.a+b=cー1+2=3 4.幸せー恋が叶う

抽象的な表現から具体的なものを特定することはできないが、具体的なものから抽象的なものを想像することはできるだろう。
(あまり伝わらないのであれば、ひとえに私の語彙力不足が原因である)

同じ単語であっても、人によって想像するものは違う。
前提条件が違うということを、書く側は考慮しなくてはならない。
私が文章を書くときに言葉の定義や捕捉を鬱陶しいくらいに付けるのは、そう考えているからである。

抽象表現は「それっぽい」

説明文は抽象的表現ばかりでは成立しない。
にもかかわらず、世の中の「引き寄せ解釈本」に抽象表現が多いのは何故だろう。

これはあくまで推測だが、その方が「それっぽさ」を醸し出せるからではないだろうかと考えている。
引き寄せができなくても「できる人」のような雰囲気は漂わせることができる。
「雰囲気だけ出ても引き寄せできないなら意味ないやん」と突っ込みたくなるが、そうは思わない人たちがいる。
それは「引き寄せビジネス」をやっている人たちである。

(この話は書くと長くなるので割愛。
そのうちnoteに書く予定だが、あまり拡散したくはないので有料記事にしようと思っている。)

引き寄せを行うのではなく、引き寄せをビジネスとして利用している人は確実にいる。
お金を得ることは何ら否定しないが、阿漕なやり方はしない方がいい。

伝わるように書く

日記なら好き勝手に自分だけ理解できれば良いが、何かを説明しようとする文章なら「理解される文章を書いているか」ということを気にしながら書くべきだと思う。
特に引き寄せは数字でのデータを提示できない。殊更留意するべきジャンルだ。

引き寄せでありがちな「ふわっとした表現で良くわからない」のは、読者ではなく書き手が悪い。
これからも極力気をつけて書いていきたいと思っている。