引き寄せ研究室

実験そして考察。目に見えない、数値化できないものを紐解きたい。

願望を現実化させるのに必要だったのは

「庭(畑)付きの中古住宅が欲しい」
休止状態になる前から持ち続けた願望だが、ここにきてようやく動き始めた。
長かった(笑)
けど、色々覚悟の決まった今がベストかなあとも思う。

願望の現実化が起こったきっかけ

結局のところ「変化に対する覚悟」が必要だったらしい。

こんなものを「覚悟」と呼んで良いものかと思わなくもないが、「家…欲しいけどローン…どのくらいまでなら無理なく組めるかなあ?引っ越しも大変だし。家…なかなか大きな決断だよねえ。」とぐるぐるしていたことを考えると、大きな一歩なのだ。

お金に対する覚悟を決めても、他にも判断・決断しなければならないことは山ほどある。
・職場との距離
・商業施設との距離
・高齢になっても住める間取りか?
・耐震性は?
・シロアリ被害や柱の劣化等ないのか?
・インフラの整備状況
ハザードマップでのランク付け
・今の家をどのタイミングで離れるか(借りてる畑の作物の状況とかも考えたい)

などなど。
ちょっと考えただけでもこれだけ思いつくので、ちゃんと調べたらもっと出てくるはずである。
これはもうリストアップして1つずつ片付けていくしかないのだろう。

うう、なかなか大変だなこれ…

引き寄せは労力がかからないわけではない

勘違いされやすいのだが、「引き寄せ」と言ってもいきなり目の前に現れるわけではない。
こんな風に地道な努力がいる場合もあるのだ。
ただし、本当に追い風に乗ったように、サクサクと完成に向かっていくことがほとんどである。
ありえないくらいの好条件が重なることもしばしば。

例えばこんな風に。

お金や手間をまるっと請け負ってもらえる場合もあるのだ。
①なんて敷金帰ってきて、さらに諸費用30万円くらい浮いた気がする。
今回もそんな流れになったりして。

【続報:60日で願いは叶うのか】え、何か既に叶うの確定…?

前回こんなことを書いた。

ちまちまと望んだ未来を想像してるのだが、ちょっと驚くことが起きたので報告したい。

異動確定!?

私が異動して欲しい人(パワハラ系なのでPさんとする)が同僚と大声で雑談していた。
「雑談はいいけど声のボリューム下げろよ」と思いながら、パソコン作業のBGM程度に会話を聞いていると、唐突にPさんが「僕は春に異動するから」なんてことを言ったのである。
この言葉で完全に聞き耳モードになってしまったのだが、残念ながらこれ以上は何の言質も取れず、その真偽は曖昧なままとなってしまった。

(異動なんてセンシティブな話をそう簡単にすることはないはずだし、もう裏で話が進んでるのか?
でも、人を手放す選択をうちの上司がするだろうか?
うーん、現実的にあり得る話ではある。
けど、まだまだ油断ならない。
もっと具体的にイメージするか!)

そう、ここで油断してはならないのだ。
良くも悪くも、未来は変更可能。
私がやるべきは、明日も変わらずイメージングをすることである。

具体的に何をしたか

こんな話をすると、「一体何をしたの?」と思うだろう。
「本当は何か裏技的なものがあるのでは?」と感じている方もいるかもしれない。
だが残念ながら、引き寄せ的に目新しいことはしていないのだ。
言われている通り、愚直にイメージングに感情を持たせただけである。

運気を上げると言われていることや、遠隔ヒーリング、運気の受け取りなどはもちろんのこと、最近は内観の類も一切やっていない。
普通にイライラもするし、体調が良いわけでもない。
そんな状況でも、未来はちゃんとイメージしたように向かうようだ。

強いて言うなら、今がどういう未来に向かっているのか、その知らせには注意を払っている。
私の場合、他人の口から語られることが多いようだ。
ただし、何でも「これはお知らせに違いない」と解釈しないようには気を付けなければならない。
希望的観測はかえって現実化を遅くする。

明日からも変わらずイメージングをして、どうなって行くか確認しよう。
変化があればまたご報告しようと思う。

「60日あればどんな願いも叶う」ってほんまかよ??

これがタイムラグ60日説の元ネタ記事です
タイムラグが必ず60日であるという意味ではありません!!
「原則的にはそういうことができる」ということです
「原則的」とは「ルールに基づいて考えれば」ということ
だから60日は絶対ではなく、長くも短くもなります

前回記事で書いた新訳本、早速本屋で確認した。
原書の和訳の答え合わせをするつもりで軽く立ち読みしていたら、ある一文が目に止まった。

「どんなことでも60日で叶えられる」
マジで??

そんな項目あったっけ?と思いながら原書の目次を見ていくと、私がまだ読んでいない箇所に、確かにあった。

このタイトル自体は「どうすれば60日以内に望みを叶えることができますか」という意味だが、その冒頭にこんなことが書かれている。 

You’ve essentially said, that within 60 days, we could have everything be the way we want it to be in our lives. How would you suggest that we go about doing that?

*参考文献:The Law of Attraction: The Basics of the Teachings of Abraham (English Edition) Esther Hicks, Jerry Hicks

ざっくり訳すと、(You=エイブラハム)
「あなたは本質的に、60日あれば私たちの生活を望んだ通りにできる、と言っています。私たちがそのようにするためには、どうすれば良いでしょうか?」
という感じ。
答えは下記の本の中。
私は原書(英語版)があるので買わなかったが、気になる方は是非本屋さんへ。
この本です↓

原書の引用もあまり長いと良くないと思うので、ここではしない。
(というか、残念ながら私がうまく訳せないのだ 意味はわかるがいい日本語が浮かばない)
ここで言いたいのは、「60日あれば原理的には叶う」ということである。

…こんなの実験するしかないやろ(笑)

そんなわけで、昨日から実験を開始している。
願いはお仕事のことなので詳しくは言えないのだが、
•ある人の異動
•部署内グループの再編成
•私がプログラミング系業務の担当になる
という感じ。

効果は上々で、既にそういう話題を何度も聞いている。
果たして60日で叶うのか!?とゲーム的な感覚で楽しんでいるところである。
特に決まったやり方はなく、気分良く妄想すれば良いことにしている。
(気分良く、というのがすごく重要)

良かったら皆さんも試して欲しい。
60日で叶うのは、なかなか早いと思うのだ。

あと今気付いた。
「願望」だと叶わないかも。
これについてはまた別途書こうと思う。

「引き寄せの法則」再考:シンプルに考えよう


皆さんはこの本をご存じだろうか?

これは引き寄せの法則について、最初に書かれた本である。
と言っても、これはもちろん翻訳本、しかも2022年4月に再翻訳された最新版だ。
まさか15年たって再翻訳されているとは…。
「引き寄せ」が息の長いコンテンツだということがよくわかる。

私が読んだことがあるのは2007年版である。
正直に言って、当時は全然しっくりこなかった。
チャネリングなんていう胡散臭い内容もさることながら、翻訳がどうも合わなかったのだ。
意味が違うわけではないのだろうが、文章を読んでもすっと自分に入ってこない。
結局途中で読むのを放棄したまま、何かの折に本を処分してしまった。

そんなわけで、私はこの本にはあまりいい印象がないのだが、先日ふとこんな考えが浮かんできた。

「他人の翻訳がダメなら、原書を読めばいいじゃない」

ということで、現在ちまちまと洋書を読んでいるところである。
(冒頭の再翻訳版が出ていることを知っていたら、わざわざ英語で読むなんてやっていなかったと思う まあ英語の勉強も兼ねて、ということで…)

基本に立ち返るというのは大切だ。
特に、今の引き寄せ界隈の玉石混淆な状態を考えると、「引き寄せとはそもそもどういう法則なのか」ということを再確認することは非常に重要である。
自分の知っている「引き寄せの法則」は、実は後世で都合良く解釈され捏造されたものだった、なんてことも、ありえなくはないのだ。

引き寄せのルールはシンプル

この本で説かれている引き寄せのルールは、とてもシンプルなものだ。
以下、英文で引用する。

Because the Law of Attraction is responding to the thoughts that you hold at all times,
it is accurate to say that you are creating your own reality.
Everything that you experience is attracted to you because the Law of Attraction is responding to the thoughts that you are offering.

*参考文献:The Law of Attraction: The Basics of the Teachings of Abraham (English Edition) Esther Hicks, Jerry Hicks

ざっくり訳すと以下のようになる。

引き寄せの法則はあなたが常に考えていることに反応するのだから、あなたが自分の現実を作っていると言う方が正確である。
あなたが経験するすべてのことは、引き寄せの法則があなたが提示している考えに反応しているために引き寄せられたのだ。」

「良いことも悪いことも、すべてはあなたが引き寄せている」、この本ではそう書かれている。

「そんなことはない!自分はこんな経験はしたくなかった!」という声があちこちから上がってきそうだが、「法則」というものの性質上、善悪・大小の区別なく適用されて当然だから、「引き寄せ」が「法則」であるならこのことは正しいのだろう。
(善悪判断や例外が適用されるということは、引き寄せるかどうかを「何者かが判断している」ということになる。それはもう「法則」ではない。)

ぼやき

引き寄せの法則とは、本来こんなにシンプルなものなのだ。
にもかかわらず、どうしてこんなに引き寄せ難民が多いのか?

このブログは、現状をなるべくリアルタイムで記録していく媒体にするつもりなので、この話の続きはnoteの方にでも書こうと思う。
恐らく、今の引き寄せ界隈でベーシックとされている方法論について物申すことになるのではないかと思う。
早く内容を知りたいという方は、是非冒頭の本を読んでいただきたい。
訳者は本田健さんなので、理解しやすく書いてくれているはずだ。

しかし、ほんまに何とかならんかなあ、この現状…
なぜこんなにシンプルなものが宗教化しているのか。
色々な人が色々なことを言うから混乱を招いている気がする。
(もちろん私も含めて、だが)

いつでも誰でも「引き寄せアドバイザー」になれてしまうのも現状を悪化させている。
かと言って資格を与える協会なんかができても、試験などがあるわけでもないから、お金さえ払えばだれでもなれる信用度の低いものにしかならないし。
真っ当にやる方ばかりならいいのだが、残念ながらそうはなっていないのが現状だ。

当然のことながら、私に引き寄せ難民を助ける義務が課せられているわけではない。
それどころか、そうなることすら個人の自由選択の結果なのだから、そもそも私が干渉するべきではないのかもしれない。

でも、TwitterのTLでメンタル弱っている人がカモにされているのを目の当たりにすると、どうにもお節介したくなってしまうんだよねえ…
自助努力できるようなテキストでも作るか…

儀式に頼らないでも引き寄せは起こる

皆様いかがお過ごしだろうか。
このブログも相当期間間を開けてしまった。

書かなかった理由は色々あるが、ぶっちゃけて言うと書くことがなくなってしまったのだ。
というのも、ほとんどの事柄が「叶っても叶わなくても良い」と思えるようになったのである。
ちょっとマウンティングしているような書き方になってしまって申し訳ない。ただこれが今の率直な気持ちなのだ。

本当に願っていれば勝手に叶う

とは言っても、すべての願いが叶っているわけではない。
例えば、宝くじで高額当選したい!なんて願いは叶っていないのだ (年末ジャンボ当たらないかな…)
だからと言って、焦って何か行動することはない。
望んでいるなら勝手に叶うし、望んでいない現実は起こらない、それがわかっているから。
「叶わないってことは、望んでないんだなー それか叶っている途中かな?」と、そう思うだけである。

願っているのと執着することは違う。
願っている状態は自立している。
叶わないのは残念だが、他の選択肢を考えることができる。
なぜなら、願っているのはその先にある結果だと認識しているからである。
例えば先の宝くじの話。
「高額当選したい(=高額当選という経験をしたい)」のではなく、「高額当選で得たお金で何かをしたい」のだ。
だから宝くじに当選しなくてもあまり気にならない。
宝くじは手段である。ほかにいくらでも道はある。

これに対して、執着は依存である。
叶わなければ辛い、苦しい。それを得られなくては絶対にダメだという状謡に陥っている。
宝くじで高額当選しなければ!」
たまたまお金系のたとえ話になってしまったが、恋愛でも同じである。

この差、ご理解いただけるだろうか。
叶わないなーと思うときは、少し落ち着こう。冷静になって考えてみよう。
それを叶えること自体が目的と化していないか?
その先にある本当の目的が見えている?
宝くじに当たってどうしたい?恋愛を成就させてどうしたい?
この質問に対してぱっと回答が浮かばない時は、なかなか叶いにくい状態にあるかもしれない。

儀式に頼らない

引き寄せでは色々な儀式がある。
アファのように科学的に効果があるものもあるが、単にそれっぽい雰囲気を演出しているだけのものもある。
特に気を付けるべきは、高額の金銭を要求するようなもの、フォローやいいね、リツイートのような拡散を要求するものである。
これは引き寄せビジネスであると思っていい。
人の弱みに付け込んでお金儲けをする、そういう類のものである。

金銭を求めるのは悪くはない。
むしろ、何かをしたらその対価を得る方が無料提供よりもよほど健全な仕組みだ。
こうやってブログを書くのも時間と労力を割いている。対価を受け取っても全く問題はない。
ただし、対価は適正であるべきだし、提供する側は相手の判断力を奪うようなことを言うべきではない。
例えばこんなのはどうだろう。

「たくさんの人の願いを叶えてきた遠隔ヒーリングを、限定3名のみ行います!通常100000円のところを今回は30000円で受けられます(そうしろと天からお告げがありました)。今後しばらくはやらないので、気になる方はぜひご参加ください!」

実績があり、7割引きという低価格。そして今回を逃すともう2度と受けられないかもしれない。
ツイッターでこんな文言が流れてきたらどうだろう。心が揺れないだろうか?

これはテレビショッピングやネットのCMなんかでもよく使われている手である。
こういう方法でグイグイくるような相手は避けた方が無難だ。

あとは成功の実例ばかりを並べたりも要注意。あんなものはいくらでも捏造できる。スクショがあっても信用はできない。
他人から少し何かを言われたところで、劇的に変わるものではないのだ、引き寄せは。
その程度で現実が変わる、理解できるなら、掲示板の引き寄せスレがあんなに伸びることはないはずである。



軽く近況報告のつもりが、ずいぶん長々と書いてしまった。
このブログもnoteも一定の需要があるようなので、またちまちま更新していこうと思う。

具体的な方法論を書くのは、抽象論じゃ伝わらないからだよ

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最近とある人(引き寄せ界ではそこそこ名前を聞く人)が「ただ◯◯すればいいだけなのに、何で方法論ばかり説くのか」みたいなツイートをしていた。
誰が何を言おうがスルーしとけばいいのだが、折角なので少し自分の気持ちを書いておこうかなあと思う。

言いたいことはわからんでもないが

確かに、引き寄せを体得すればするほど方法論は不要になるというのが事実である。
呼吸のように無意識で行うようになってくるから、とても説明しにくい。
(なんて偉そうに書いているが、私もまだまだ修行中)

だから、冒頭に書いたように発言する気持ちもわからなくはない。
が、自身を「引き寄せについて語るもの」という立場とするなら、それはあまりにも不親切だし怠惰だろう。
特にお金を受け取るつもりなら尚更だ。

説明とは具体化と抽象化を繰り返すこと

タイトルにも書いた通り、方法論を書くのは抽象的な表現では伝わらないからである。
ここで言う抽象的・具体的という言葉は、下記のような意味を示す。

抽象的:ふわふわした、意味の幅が広い、いろいろな解釈ができる、応用が効く、雰囲気重視
具体的:言葉が示すものを容易に想像できる、実際の事象に即している、解釈が1つしかできない、汎用性がない、行動重視

例えばこんな感じ。

抽象的な表現ー具体的な表現
1.赤いものーリンゴ 2.冬ー2020年1月 3.a+b=cー1+2=3 4.幸せー恋が叶う

抽象的な表現から具体的なものを特定することはできないが、具体的なものから抽象的なものを想像することはできるだろう。
(あまり伝わらないのであれば、ひとえに私の語彙力不足が原因である)

同じ単語であっても、人によって想像するものは違う。
前提条件が違うということを、書く側は考慮しなくてはならない。
私が文章を書くときに言葉の定義や捕捉を鬱陶しいくらいに付けるのは、そう考えているからである。

抽象表現は「それっぽい」

説明文は抽象的表現ばかりでは成立しない。
にもかかわらず、世の中の「引き寄せ解釈本」に抽象表現が多いのは何故だろう。

これはあくまで推測だが、その方が「それっぽさ」を醸し出せるからではないだろうかと考えている。
引き寄せができなくても「できる人」のような雰囲気は漂わせることができる。
「雰囲気だけ出ても引き寄せできないなら意味ないやん」と突っ込みたくなるが、そうは思わない人たちがいる。
それは「引き寄せビジネス」をやっている人たちである。

(この話は書くと長くなるので割愛。
そのうちnoteに書く予定だが、あまり拡散したくはないので有料記事にしようと思っている。)

引き寄せを行うのではなく、引き寄せをビジネスとして利用している人は確実にいる。
お金を得ることは何ら否定しないが、阿漕なやり方はしない方がいい。

伝わるように書く

日記なら好き勝手に自分だけ理解できれば良いが、何かを説明しようとする文章なら「理解される文章を書いているか」ということを気にしながら書くべきだと思う。
特に引き寄せは数字でのデータを提示できない。殊更留意するべきジャンルだ。

引き寄せでありがちな「ふわっとした表現で良くわからない」のは、読者ではなく書き手が悪い。
これからも極力気をつけて書いていきたいと思っている。

強制的に変化が起きる時期が来てしまった

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お久しぶりですこんばんは。
最終更新から早2ヶ月。
「更新頻度あがるかも」なんて、やはり大ウソになってしまった。
noteの方はちまちまと更新しているので、ぜひご覧いただければと思う。

note.com


生きていると、どうしても変化しなくてはいけない時がある。
例えば進学や就職で住む場所が変わったり、恋愛や友人などの人間関係に大きな変化があったり。
あなたも経験があるはずだ。

私が経験した大きな変化は、大学進学・失恋1・失恋2・転職である*1
そして今、また大きな変化が起きる予感がしている。

変化の予兆

今のところ私には何も起こっていないが、色々な所に予兆が見える。
毎日がつまらなくなる、周囲の状況が停滞する、うまくいかないことが増える、など。
急に何かを変えたくなる、そういう気分さえも予兆の場合もある。

私はここ2年ほど、どうしようもないくらいの停滞感の中にいた。
特に仕事面が本当に淀んでいて、収入自体は上がっているのにもかかわらず、楽しいと思えなくなってしまった。
幸い、プログラミングを業務に使うことが増えて多少その感覚も改善されたのだが、最近また別の問題が起こって、今度こそ終焉を迎えそうな予感がしているところである。

強制力が働くのは私がグズグズしていたから

私が私の望みを叶えるためには、変化する必要があった。
にも関わらず、私は色々と理由をつけて(面倒くさかったというのが1番大きい)それをスルーして来た。

そのツケが、今からやってくるのだ。

変化の強制はすごい。
待ってくれない。状況に対応せざるを得ない。
1度職場でモラハラ男にキレて、上司に異動させろと迫るくらいのことはやったのだが(ありがたいことに上司はちゃんと対応してくれた)、それだけでは足りなかったらしい。

変化はそんなに怖くない

こんな書き方をすると、恐怖心を煽ってしまうかもしれない。
だが、変化のおかげでどんどん人生が望む方向に向かっているし、変化の最中は必死になるから、とてもエネルギッシュに時間を過ごせる。「生きている」という実感がある。

停滞から変化するまでの待機時間が個人的には1番きつい。
モヤモヤしながらも何もできないからだ。
変化が始まると、あとは野となれ山となれ。勢いだけで突破できる。

変化の波に乗るには

この時期に重要なのは「直感を信じること」である。
何かを選択する時、私たちはつい合理的な判断をしようとする。
それももちろん間違いではないのだが、この時期は「これやってみたい」「これが欲しい」のような直感を信じた方が上手くいくことが多い (もちろん絶対ではないが)。
もしあなたが「何かが変わりそうだ」という予感を感じたら、いつもより少しだけ直感を信じて欲しい。
ただし無理はしないことだ。
人間は自分にとって都合のいい方を信じたくなるようにできている。
リスクヘッジはしっかりして、その上で直感を信じてアクションしてもらえればと思う。

私に起こる変化とは?

何となくだが、仕事の内容がガラッと変わる、転居、本腰を入れて副業をする あたりが起きそうな気がしている。
やりたいこともあるので、そちらはこのタイミングでアクションを起こす(=「直感に従って」行動を起こす)。

さて、これからどうなることやら。

*1:そのうちの失恋2で「認識変更」が起こり、望むことが現実になるようになった

叶える覚悟はあるか?

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先日お伝えした通り、こちらのブログを「日記」的な位置付けにした。
何だかとても気が楽だ。
調子に乗って更新頻度を爆上げしてしまうかもしれない。

先日、久しぶりに「願いの書き出し」をやった。
茶店でケーキセットを堪能しながら。まさに至福のひととき。

だが、思いの外願いが出てこなかった。
何故だろう。現状に満足している自覚はないのだが。
少し考えてみた。

願望の書き出し=願望を自覚すること

「書く」という行為を行うには、書く対象を認識する必要がある。
対して心の中で「願う」という行為は、割と曖昧な雰囲気を持っている。
これは完全に私の心象であり論理的に説明はできないのだが、「願う」ときは丸くてぼやけていたイメージが、「書く」とその輪郭がはっきりする。
オカルトな表現になってしまうが、「言葉にパワーがこもる」というのが的確である。

ただし、この感覚には個人差があるかもしれない。
私の思考系統は視覚優位である。
物事を写真や動画のように記憶することは得意だが、音だけを聞いたり、文を声に出したりではあまり頭に入ってこないのだ。
だから願いを書いて、書いたノートのページを丸ごと「記憶する」(意識的に覚えるのではなく、なんとなく頭に入ってしまう感じ)ことで、願いが叶いやすくなるのかもしれない。
(だからこそ同じ方法でも叶う人と叶わない人がいて、引き寄せにいろいろなアプローチが必要なのかもしれない)
この辺はぜひ皆さんも個人で試していただき、実証していただきたいところである。

「書くと叶ってしまう」恐怖

「書けば叶うとか羨ましい!」という声が聞こえてきそうであるが、書くと叶ってしまう=安易に書き出すのはリスクがあることにもなりうる。
例えば今パートナーと不仲だったり、仕事がうまく言っていないからと言って、その愚痴を書き出して願望化してしまうと、ほとぼりが冷めた頃に叶ってしまう可能性がある。

願望を持ってから叶うまで、タイムラグがあるのは皆さん経験されていると思う。
ラグの大小は願望によって異なり、今の所予測できるような状況ではない。
(叶うまでどのくらいかかるかわかる=即時叶える方法がわかる ということである)

幸いなことに今までこのようなことは起こっていない。
これは恐らく、願望を書き出したあとにネガティブな気持ちが維持されない(=愚痴を書いた時点で完了)しているからのような気がしている。
継続的に思っていたり、叶うことに覚悟ができたら、恐らく叶っていく。
私の経験では、嫌な人・物事を自分の前から消すときは必ず「あ、これもういいや」という言葉が湧いてくる。
これが私の「ネガティブなことを叶える覚悟」が決まった合図なのだろう。
こう思ってから半年以内程度で、対象は私の視界から消える(もしくは私が移動する)。
私は何もしない。ただ「いらない」と思っただけである。

願望を「書く」と「もういいや」となってしまう可能性が上がる。
このような懸念が願望の書き出しにブレーキをかけているような気はしている。

叶えるのにも覚悟がいる

願望を叶えることは、実はとても覚悟のいることだ。
それがいかなる願いであれ、「願望を叶える=現状から変化する」ことに変わりはない。
その変化を自分が受け入れられるかどうか、それが叶うまでのタイムラグを生んでいるのかもしれない。

「願いを叶えたい!今すぐ変わりたい!」
恐らく皆さんの想いは同じのはずだし、私自身もそう思っているつもりだ。
でも実は、「叶えたくない自分」がいるのかもしれない。いや、恐らくいるのだ。
では何故叶えたくないのだろう。自分に変化が起きるとどんなデメリットがある?
このような視点で自分を見つめ直すことが、願望実現への早道になるかもしれない。

【業務連絡】noteにも更新しています

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久しぶりの更新になった。
こちらのブログは閉鎖してnote1本にしようと思っていたのだが、使い分けて行くことにした。
こちらは日々気づいたことを極力そのまま書き、noteは体系的に記事にしていく。
noteは勝手に改行・段落分けされてしまうので、どうにも書きにくいのだが、関連記事をまとめて読むのに適した機能(マガジンなど)は使っていきたいのだ。

このブログ記事とかぶる部分もあるかもしれないが、読んでいただけると幸いである。

note.com

【実験途中経過:効果あり】「今から思うことが現実に起こります」と宣言してからイメージしてみる

先日からこんな実験をしている。 

mentalworld.hatenablog.jp
 
かなりヘビーな願いにもかかわらず、既に効果があって驚いている。

kira

実験方法 (願いの書き方)

スマホでノートアプリに下記のように宣言文を書き、その下に願いを書く。
(私は「NOTE'd」といいうアプリを使っている。鍵もかかるし操作は単純だし、このアプリのおかげで割と楽に続けられている)
書き方、個数、全て自由。
宣言文をもっと「簡単に叶うこと」を強調した表現にするのもいいだろう。
とにかく、「頭の中にあることを『叶うと決めて』アウトプットする」ということが本質である。

wish

前の記事では「軽めの願いが良い」と書いたが(心理的なハードルが低く叶いやすいので)、私自身は目下解決したいことをそのまま書いた。
内容も固定ではなく、適宜追加・削除している。

効果検証

実は、1番ヘビーな願いがあっさり叶ってしまった。

仕事関係の話なので詳しくは書けないのだが、一言で言うと、嫌いな人(そこそこの権力者)と関わらなくて良くなったのである。
過去のツイートから状況を察していただけると幸甚。


正直なことを言うと、叶うわけがないと思っていた。
にも関わらず、書いた願いの中で1番早く叶ってしまった。
私がしたことと言えば、叶う宣言の後に願いを書くこと、自分の心に正直になり(我慢しない)、現実的なアクションをしたことくらいだろうか。 


これからもこの実験を続け、効果検証データを取っていくつもりである。
皆さんも是非この方法を試していただければと思う。